第10話 芋洗い

 半ば強制的に台所へ連れて行かれたギデオンは、そこで職員からエプロンを手渡された。

 よりにもよって白地にフリルの付いた、女性もののエプロンだ。

 屈辱と羞恥で顔を真っ赤にしながらエプロンを着けたギデオンに、中年の女性職員が心底申し訳なさそうな顔をする。


「こんなエプロンしかなくて、ごめんなさいねぇ。何せ施設の職員は女ばかりで……」

「大丈夫。アレンビー卿は大変心が広いお方ですから、そのくらいで文句は仰いませんわ。それに、よくお似合いですわよ。ねっ」


 ねっ、ではない。

 明らかに笑いを噛み殺しながら口出ししてきたエリーゼを密かに睨み付けたが、フリルのエプロン姿では迫力も何もあったものではなかった。


「……それで、私は何をすればいいんだ」

「アレンビー卿には、芋洗いをお願いします。あの籠の中のお芋、全部このタワシでしっかり泥汚れを落としてくださいね」


 エリーゼの指し示した先には、子供ひとり入りそうな大きな籠があった。

 籠の中には芋が山ほど入っており、今にも零れ落ちそうだ。


「――まさか、先日の仕返しをしようとしているのか?」


 普通芋洗いなど、貴族に任せるような仕事ではない。

 職員たちに聞こえないよう小さな声で問いかけると、エリーゼはにっこりと笑う。笑顔だけ見れば、清楚で可憐な花のごとき佇まいだ。


「なんのお話でしょう、アレンビー卿。わたしが仕返ししたくなるような、何か失礼なことをなさった心当たりがおありなのですか?」


 ただしその言葉には、棘と毒が大いに含まれていたが。

 涼しい顔で当てこすってくるエリーゼに、ギデオンはとうとう口を閉ざした。これまでの会話でわかったことだが、どうもギデオンは彼女との口論に弱いようだ。

 とはいえ。


「あのお芋は子供たちが裏の畑で丹精込めて育てて、先日収穫したばかりなんですって。なので皆、今日の昼食をとても楽しみにしてるんですよ。ああ……、でも王都からいらしたアレンビー卿には、芋洗い係は少し荷が重いでしょうか」


 遠回しに『どうせお坊ちゃん育ちのあなたには無理でしょう?』と、完全にこちらを冷やかしている彼女の思い通りになるのは、非常に癪だ。

 眉を寄せたギデオンは、つかつかと籠の側まで歩いて行くと、勢いよくそれを持ち上げた。


「いいだろう。これを、全部洗えばいいんだな」


 何食わぬ顔で籠を流し台まで運ぶ。

 職員たちの間で黄色い歓声が巻き起こったかと思えば、エリーゼも目を丸くしてギデオンを凝視していた。


(舐めるなよ、エリーゼ・プリムローズ)


 確かにギデオンは王族の一員であるが、これでも十四歳から十九歳までの間、身分を隠して王国海軍に所属していたのだ。力仕事も料理の下ごしらえも、訓練の一端としてみっちり仕込まれた。

 芋洗いなど赤子の手を捻るより簡単にこなせると、証明してみせよう。

 袖を捲って手を洗ったギデオンは、右手にタワシ、左手に芋を携え、一心不乱に芋についた泥を落とし始めた。



§ 



(中々やるじゃない)


 一方のエリーゼはといえば、慣れた様子で手際よく芋を洗い始めたギデオンの姿に、少し彼のことを見直していた。

 てっきり、『この私がそんな仕事などできるものか!』などと怒りだして去って行くかと思いきや、意外な熱心さを見せている。

 どうせ無理だと思って芋洗い係を任命したのだが、これは嬉しい誤算だ。

 

 そして女性職員たちも、別の意味で大喜びしていた。


「ね、ね、エリーゼさま。あの貴族のお兄さん、男前だねぇ」

「王子さまみたいな見かけによらず力持ちだし、あの腕の逞しさと言ったら。眼福だよ」


 彼女たちはすっかり、ギデオンの都会的で洗練された雰囲気を気に入ったようだ。

 皆、ギデオンより随分と年上だというのに、料理の下ごしらえをしながら彼のほうへチラチラ視線をやっては、十代の乙女のように頬を染めてうっとりしている。


 確かに、顔立ちが端整な事は間違いようもない事実だ。

 海より青い瞳。眩いばかりの金髪。すっと通った鼻筋に、形のよい唇。

 精悍さの中に優美さも兼ね備えた雰囲気は、いにしえの物語に出てくる騎士のように魅力的だと思う。

 悔しいが、初対面からあのようなことを言われなければ、エリーゼだって職員たちと同じく見とれていたかもしれない。

 

「もしかしてあの人、エリーゼさまのいい人なんじゃないの?」

「えっ!?」


 思いがけぬ言葉に、エリーゼは危うく、手にしていた包丁を取り落としそうになってしまった。

 まさかこの流れで、自分に話の矛先が向くとは考えてもみなかった。


「どうしてそんなことを?」

「だってあの人と話している時のエリーゼさま、なんだかすごく生き生きしてるし」

「いやですわ、そんな……。わたしのような田舎娘、領主さまのご親戚が相手になんてするはずありません」

「そうなの? お似合いだと思うけどなぁ」


 むしろ嫌われています、なんて正直に言えるはずもない。

 それに互いに対する悪感情は抜きにしても、王の甥が貧乏男爵令嬢を相手にするわけはないのだ。

 これ以上その話題を長引かされてはごめんである。


「……光栄ですわ」


 エリーゼは曖昧な笑みを浮かべ、やんわりとその話題を打ち切った。

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