第20話 タウンハウスにて

「……怒りました?」

「いいえ、怒ってなどおりません」

「嘘、やっぱり怒ってる! 本当にごめんなさい、悪気はなかったんです!」


 たちまち敬語に戻った彼の態度に、エリーゼは慌てて頭を下げる。

 やがて頭上から、くっくっと喉を鳴らす音が聞こえてきた。

 不審に思って顔を上げると、ギデオンが口元を押えながら笑いを堪えているではないか。


「だ、騙したのね!?」

「騙したもなにも、初めから怒っていないと言っている」

「ひどい! そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」


 思わず抗議したエリーゼだったが、ギデオンがあまりに楽しそうに笑うものだから、段々とどうでもよくなってしまう。

 しまいにはなんだか自分まで楽しくなって、つられて笑い出す始末だ。

 そうしてひとしきりふたりで笑い合った後、ふと、ギデオンが笑いを納めてエリーゼを見つめる。


「よかった。少しは元気になったようだな」

「え……」

「グレイフィールドを出てからずっと、沈んでいた様子だったから」


 思わぬ言葉に、反応が一瞬遅れてしまった。

 つまり彼は、エリーゼを元気づけるためにわざわざそんな態度を取ったというのか。


「君は、小型犬のようにキャンキャンわめいているほうが似合っている」

「――失礼ね!」


 付け加えられた余計な一言に一応抗議はしたものの、彼の表現があまりに的確で、また笑いが込み上げてくる。

 ふたりは顔を合わせて同時に吹き出し、馬車の中が軽やかな笑い声に満ちる。

 エルドラン男爵邸を後にした時の重く寂しい気持ちは、もうすっかり薄れていた。


     ◆◆◆


 いくつかの町や村を通り過ぎ、グレイフィールドを出て二日目の朝。

 ようやく馬車は王都、ペトルヴェイルに到着した。

 ウィンドモア宮殿を中心として広がるその都には、多くのタウンハウスが整然と建ち並んでいる。


 タウンハウスとは、普段、自身の領地にある本邸カントリーハウスで暮らしている貴族たちが、社交シーズンになると利用するための別荘である。

 その多くは集合住宅だが、中には単独の建物を所有する貴族もいる。

 ノースフォード公爵邸も、その内のひとつだ。


 ソーンヴィル通りにあるその瀟洒な邸宅は、彼の祖母が結婚する際に建てられたものらしい。

 広大な庭園に噴水を有する人工池、そしてどこか教会建築を思わせる、古典主義的な建造物。

 ここが今日からエリーゼの住居というわけだ。


「お帰りなさいませ、旦那さま」

「お帰りなさいませ!」


 玄関をくぐるなり、大勢の使用人がエリーゼたちを出迎えた。

 エルドラン男爵邸では使用人はクレアひとりしかいなかったため、ずらりと立ち並ぶ人の多さに圧倒されてしまう。

 

「旦那さま、長旅お疲れさまでございました。そちらが、お手紙でお知らせくださっていたお嬢さまですね」

「ああ。エリーゼ嬢だ。丁重に世話をするように」


 近づいてきた初老の男性と言葉を交わすと、ギデオンは主要な使用人を紹介してくれた。

 家令のスコット氏、家政婦のビーチャム夫人、そしてここにいる間エリーゼの世話係を務めてくれるという、メイドのヘザー。


「ようこそ、お嬢さま! 使用人一同、お嬢さまのお越しを楽しみにお待ちしておりました」

「こんな素敵なお嬢さまがいらしてくださって、本当に嬉しいですわ」

「ありがとう。しばらくの間、お世話になります」


 田舎娘だと侮られることを密かに心配していたが、どうやら杞憂に過ぎなかったらしい。歓迎ムードの使用人たちの態度に、エリーゼはほっと胸を撫で下ろす。

 ――やけに歓迎されすぎている気もするが、きっと気のせいだろう。 


「今日は疲れただろう。まずは夕食まで、部屋でゆっくり休むといい」

「ありがとうございます。そうさせていただきます」


 エリーゼを気遣ったギデオンが、ヘザーに部屋への案内を命じる。

 見たところまだ十三、四歳くらいだろう。そばかすが愛らしいメイドは、少し緊張しながらも、新しい任務を前に張り切っているようだ。


「お荷物、お持ちいたします!」

「ありがとう。重いけど大丈夫かしら?」


 実家から持参した荷物は、大きなトランクひとつだけ。

 しかし、そのトランクには身の回り品や服の他、薬草学の本や、お気に入りのハーブの入った小瓶などがパンパンに詰まっている。


「大丈夫です! わたし、結構力持ちなので!」


 その言葉通り、ヘザーは小柄な割にやすやすとトランクを持ち上げ、エリーゼを客間へと先導した。


「こちらがお嬢さまのお部屋ですっ! お嬢さまがいらっしゃると聞いて、皆で頑張ってお部屋を整えたんです!」

「とっても素敵なお部屋ね」


 花柄の壁紙に、白い家具や調度品で統一された部屋は、華美すぎず大人しすぎず、清潔感がありながらも可愛らしい印象だ。

 花瓶には季節の花がセンス良く生けられており、メイドたちの細やかな心遣いが感じられる。


「気に入っていただけたならよかったです。きっと、旦那さまもお喜びになります」


 トランクを部屋の隅に下ろすと、ヘザーが改めてエリーゼに向き直った。


「ええと、まずはお茶をいかがでしょう? よろしければ、甘い物もご用意いたします」

「そうね、せっかくだからお願いしようかしら」


 普通の令嬢に比べれば体力があるほうだと自負していたが、さすがに二日も馬車に乗っていると疲労困憊もするものだ。

 用事を言いつけられたのが嬉しかったのか、ヘザーは満面の笑みで一礼して部屋を出て行った。

 しばらくして戻ってきた彼女の手には、ティーセットや皿の載ったトレイが携えられている。


 皿の上にマカロンが盛られているのを見て、エリーゼは思わず目を輝かせた。

 マカロンはこの国では高級品で、田舎では滅多に食べられない代物なのだ。

 ピンクや黄色、薄緑に水色。さまざまな色をしたマカロンは、まるで色とりどりの宝石のようだ。 


「ん、美味しい!」


 ヘザーがお茶の準備を終えるなり、エリーゼは淡い紫色のマカロンにかぶりついた。

 ブルーベリージャムの上品な酸味とバタークリームの甘みが口の中に広がった。表面のサクサクした食感はもちろん、中の少しねっちりした食感もたまらない。

 舌に残った甘さの余韻に浸りながら、ストレートの紅茶を流し込むのが、エリーゼのお気に入りのマカロンの食べ方だった。


 二つ目のマカロンに手を伸ばしたところで、ヘザーがじっとこちらを見ていることに気づいた。

 目が合うと、彼女は見られていたことを咎められたと思ったのか、恥ずかしそうに頬を染める。


「も、申し訳ございません。お嬢さまが想像以上に素敵な方だったので、つい見とれてしまって……」

「ありがとう、嬉しいわ」


 年下の女の子にこんな風に言われて、嬉しくないわけがない。むずがゆい思いに緩みそうになる口元を隠すため、カップに口を付ける。

 しかし、そこでヘザーがとんでもないことを言い出した。


「わたし、とっても光栄です! 未来の奥さまにお仕えできて……」

「ごほっ」


 危なかった。口に含んでいた紅茶を思わず吹き出すところだった。

 すんでのところで紅茶を飲み込んだものの、気管に入って噎せてしまう。

 何度も咳き込んでいると、心配したヘザーが背中を摩ってくれた。


「大丈夫ですか、お嬢さま」

「大丈夫、大丈夫よ。でも、未来の奥さまって――?」

「違うんですか? わたしたち、てっきり……」


 そこでエリーゼはようやく、使用人たちの大げさな歓迎ムードの理由に気づいた。

 彼らは、エリーゼがギデオンの花嫁候補だと勘違いしていたのだ。


 


 

 

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