第21話 誤解

 彼女たちが勘違いしてしまったのは、ギデオンにも大いに責任があるようだ。

 恐縮したヘザーが言うには、彼がエリーゼのことを説明する際に『とても大切な客人』だと、意味深な言葉を用いたことが原因らしい。

 おかげで家令や家政婦を始めとする使用人一同は『とうとう旦那さまにも春が!』とぬか喜びしてしまったとのことだ。


「本当に、ただの行儀見習いなの。期待させてしまってごめんなさい」


 咳込みすぎたせいで痛む喉を紅茶で潤しつつ訂正すると、ヘザーが慌てて両手を振った。


「いえ、こちらこそ勘違いをしてしまって申し訳ございません! 皆の誤解も解いておきますね」


 そう言いつつもしょんぼりと肩を落とす様子に、罪悪感を覚えてしまう。

 こんな純朴な子に変な期待を抱かせてしまうなんて、ギデオンという人はなんて罪作りな男なのだろう。


「ギデオンさまには、後できちんと文句を言っておくわね」

「まあ!」


 冗談めかして軽口を叩けば、ヘザーは目玉が飛び出そうなほどに目を大きく見開き、まじまじとエリーゼを見つめる。


「あの旦那さまに文句が言えるなんて、さすがです! わたしたちなんかは、恐ろしくてとても――あっ、申し訳ございません」


 人は時に、余計なことを口走る生き物だ。ヘザーは慌てたように口を噤み、それだけでは足りないと思ったのか両手で唇を塞ぐ。

 本来であれば注意すべきなのかもしれないが、素直な年下の失態なんて可愛いものである。少々迂闊なところなど、妹のチェルシーに似ていて親近感を覚えるほどだ。


「ギデオンさまは、あなたたちにとってどんなご主人さまなの?」


 三つ目のマカロンをつまみながら興味本位で聞いてみると、意外にもすぐに答えが返った。


「旦那さまは、厳格ですがとても思いやり深い方です! このお屋敷で働いている使用人は皆、旦那さまのことを尊敬しています」

「ギデオンさまは果報者ね」


 エリーゼの言葉に、ヘザーは照れくさそうな笑みを浮かべた。しかし、すぐにその表情を曇らせる。


「あとは、早く奥さまがいらっしゃればわたしたちも嬉しいのですが……」


 ちら、と期待するような視線を寄越されたが、気づかないふりをした。その件に関して、エリーゼが力になれることは何もない。

 そもそも彼のような身分であれば引く手あまただろうから、そう心配することもないだろう。


「ごちそうさま。美味しかったわ」


 中身を飲み終えたカップをソーサーに戻し、エリーゼは早々にその話題を打ち切った。



 お茶の時間を終えた後は、旅の汚れを落とすため湯を浴びることにした。

 与えられた客間には専用の浴室が備えられており、下女たちが湯船にたっぷりと湯を張ってくれる。

 贅沢に薔薇の香油を落とした湯に肩まで浸かれば、旅の疲れが一気に癒えるようだった。


 王都までの道中、宿場に二度世話になったものの、田舎の安宿に湯船などあるはずもない。一等いい部屋でも、盥に湯を張るのが関の山だ。

 久しぶりの入浴はため息が出るほど気持ちよく、ついつい長風呂をしてしまった。


 湯浴みを終えて脱衣所に戻ると、そこにはヘザーが用意したであろう着替えが置かれている。

 下着やシュミーズは実家から持ってきたものだが、紫色のドレスなんてトランクに入れていただろうか。困惑しながら広げてみると、やはり見たこともないドレスだった。


 派手なドレスはすべてチェルシーのためにと実家に残してきたため、手持ちはどれも地味なものばかりのはず。


 しかし今手元にあるこれは、一目で分かるほど上等な品だ。胸元から裾に掛けて美しいグラデーションを描いており、ところどころに施された銀糸の刺繍が華やかである。


 戸惑った末、エリーゼはシュミーズ姿のまま、扉の向こうにいるであろうヘザーを呼ぶことにした。


「あの、ちょっといいかしら?」


 扉の隙間から手招きをすると、荷ほどきをしていたヘザーが素早くやってくる。


「どうなさいました?」

「このドレス、わたしのじゃないと思うんだけど……」

「そちらは、旦那さまのお母さまが若い頃お召しになっていたものだそうです。今夜の晩餐に着ていらっしゃるようにとのことです」


 どうやらエリーゼの荷物が少ないことを見越して、予めギデオンが用意してくれていたらしい。


「お気に召さないようでしたら、別のドレスを――」

「ううん、これがいいわ」


 シャノン夫人のドレスを着るなんて畏れ多い気持ちでいっぱいだが、エリーゼだって年頃の少女。人並みに、美しい衣装に心を躍らせることもある。

 貸してくれるというのなら、喜んでお借りしようではないか。

 

 扉を閉めたエリーゼは、いそいそとドレスに袖を通すのだった。

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