二章

第19話 攻防

「王都の私の屋敷で、あなたには私の客人として過ごしていただきます」


 向かい側に腰掛けていたギデオンが口を開いたのは、グレイフィールドを出発してしばらく経った頃だった。


「ただし、半年後まであなたの存在を世間に知られるわけにはいきません。遠縁の令嬢が行儀見習いのために滞在しているということにしておきます」


 事務的な淡々とした口調だ。

 家族に別れを告げたばかりなのだから、もう少し悲しみに浸らせてくれてもいいのに。一瞬そう思ったが、これもエリーゼが落ち込まないための、彼なりの配慮なのかもしれないと思い直す。

 その証拠に、彼は無言で頷いたエリーゼをじっと見つめると、気遣わしげな声を寄越した。


「……私は陛下の命に従い、あなたを家族から引き離しました。償いにもなりませんが、王都についたら、あなたの望むものはなんでも用意いたします。甘い菓子でも、最新流行のドレスや帽子でも、人気の香水でも」

「いいえ。わたしが自分で決めたことですから」


 エリーゼを強引にプリムローズ家から連れ去ることも出来ただろうに、ギデオンはそうしなかった。だからエリーゼはあくまで、自分の意思で彼について行くことを決めたのだ。


「わたしは、家族を守るために王女として生きることを決めました。償いなんて求めたら、自らその矜持に傷を付けることになります」


 王女になって贅沢をしたいわけでも、大勢にかしずかれたいわけでもない。エリーゼの願いはただひとつ、家族が平穏無事に幸せな人生を送ること。

 そのためにエリーゼは自分の意思で、自分の足で、この道に立っている。

 誰に償ってもらう必要もないのだと胸を張れば、ギデオンは眩しげに目を細めた。


「大変失礼を。王女殿下のご立派な心意気に感服いたしました」

「ただ、それはそれとして、ノースフォード公爵にお願いしたいことがふたつあります」


 エリーゼは椅子から少しだけ身を乗り出し、彼の顔をまっすぐに見据える。

 ギデオンはややたじろいだように身体を引こうとするが、背後の壁に阻まれて諦めたようだ。


「……なんなりと仰ってください」


 観念したように居住まいを正した彼に、エリーゼは指をひとつ立てて見せる。


「まずひとつ。プリムローズの母のために、ネロリア草という薬草を仕入れていただけませんか? ティグル王国にのみ生息する心臓の病に効く薬草なのですが、近頃市場に流通する量が減って、価格が高騰して困っていたのです」


 母の心臓の病は、完治するものではないと医者からも言われている。

 けれどネロリア草には病の進行を遅らせ、病状を和らげる効果があるのだ。

 今のエリーゼには先立つものが何もないから、悔しいが他人ギデオンの力に頼らざるを得ない。


「かしこまりました。すぐに手配いたします」


 そう言うと、彼は懐から取り出したメモにペンで何かを書き付け、馬車の窓を開けた。護衛していた騎士がすぐさま馬を寄せるのが見える。


「これを王都に。至急頼む」

「承知いたしました」


 短いやりとりの末、メモを受け取った騎士は離れていった。


「王都にいる私の執事に早馬を出しました。遅くとも到着の翌日には、ネロリア草が手に入るはずです」

「ありがとうございます。これで母も少しは楽になります。……それでは、ふたつめのお願い事を言っても?」

「もちろんです」


 すかさず指をもう一本立てると、ギデオンは軽く応じた。

 今度の願い事も、薬草を手に入れるような割と簡単な類いのものと思っているのだろう。懐にメモ帳とペンをしまう様子からは、一切の警戒が感じられない。


「ずっと気になってたんですけど、敬語で喋るのをやめてほしいんです。あと、殿下って呼ぶのも」

「そ――それは。申し訳ございません。私は一臣下として、王女殿下に気安い口をきくわけには……」

「それが駄目だって言ってるんです!」


 すかさず指摘すれば、ギデオンは困ったように眉を下げた。

 どうやら彼の中でエリーゼはすっかり、主君の娘という立ち位置になっているらしかった。

 彼の生真面目さは美徳かもしれないが、こちらはつい昨日まで田舎娘として過ごしていたのだ。公爵という立場の人からの、下にも置かぬこの扱いは居心地悪いことこの上ない。


「わたしは〝行儀見習い〟としてあなたの屋敷でお世話になるんでしょう? あんまり大仰な態度を取っていると、使用人たちからも不審に思われますよ」

「ですが、ハリエット王女」

「エリーゼです、ノースフォード公爵。もっと〝遠縁の田舎娘〟に対する態度で接してください。だいたい、あなたとわたしは従兄妹同士なんでしょう?」

「従兄妹同士といっても、私は臣籍に下った国王陛下の妹の子で――」

「それでも、従兄は従兄でしょう。そうだ! わたしも、あなたのことをギデオンさまと呼ぶことにするわ。そうすればもっと自然でしょう?」


 なおも抵抗しようとするギデオンの言葉を封じ込めるように言うと、彼はしばらく迷うように視線を左右にさまよわせた。

 けれど彼にとって不運なことに、ここで意見を仰ぐべき相手はエリーゼしかいない。ややあって、降参したように肩の力を抜いた。


「……わかった。半年後、君の存在が公表されるまでは、これまでどおりの態度で接することにしよう」

「よかった。正直、調子が狂うなって思ってたんです。ノース……ギデオンさまは生粋の貴族だし、わたしよりずっと年上だし」

「ずっとというほどではない。私はまだ二十二だ」

「えっ」


 驚愕に、思わず声が裏返った。

 するとギデオンが怒ったように眉根を寄せ、腕組みをする。


「そんなに意外か?」

「ええと……その……ごめんなさい。もうちょっと年上かなって」


 言葉を濁したが、実際のところ二十六、七歳くらいだと思っていた。

 言い訳をさせてもらえるなら、老け顔と言いたかったわけではないのだ。ただ、威厳のある言葉使いや仏頂面が、彼を実年齢より達観しているように感じさせたのだった。

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