第15話 公爵と王女

§



 グレイフィールド館の応接室にて。

 左頬を真っ赤に腫らし、縮こまりながらソファに腰掛けるギデオンを、ルークが冷たい目で見下ろしていた。


「――言い訳があるなら聞こうか、兄上」


 腕組みをしながら見下ろされ、ギデオンは気まずい思いに俯く。

 こんなに怒った弟を見るのは、初めてのことだった。


 ――ギデオンがエリーゼのスカートを捲り、引っぱたかれた直後。

 騒ぎを耳にしたルークが慌てて中庭へ駆けつけ、兄とエリーゼに事情を問いただした。

 そしてひとしきり何が起ったのか把握した彼は、すぐさまふたりを引き離し、エリーゼを母の部屋へ。そしてギデオンを応接室まで連れて行った。

 もちろん、兄の暴挙の理由について尋問するためだ。


 エリーゼとギデオンを引き離したのは、ひとつにはショックを受けているであろうエリーゼを少しでも落ち着かせるため。

 そしてこれ以上彼女が騒ぐことで、ギデオンの行為が他の使用人たちの耳に入ることを避けるためなのだろう。

 とはいえ、騒ぎを広めない配慮をしているというだけで、ルークの態度は実に容赦のないものだったが。


「一体どうして、女性のスカートを捲りあげて、中を覗き込むようなとんでもないことをしたのか。納得できる説明をしてくれるんだろうね?」

「……それは」


 事情を説明しようとし、けれどすぐ思い直して口を噤む。

 国王から与えられた極秘任務の内容を、たとえ弟とはいえ軽率に打ち明けるわけにはいかなかった。

 しかしその沈黙を、ルークは後ろ暗さ故と思ったようだ。


「まったく、兄上には落胆したよ。立派な紳士だと信じていたのに……」


 額を押さえながら首を横に振る弟の姿に、ギデオンは大いに慌てた。

 このままでは弟から自分に対する信頼は、地の底へ落ちる一方だ。


「っ違う!! これには深い訳があるんだ!」

「深い訳って? エリーのご両親の前でも言えること?」

「――っ」


 母譲りの緑の目に射すくめられ、ギデオンは声を詰まらせた。

 嫁入り前の娘のスカートを捲り、その名誉を傷つけたとなれば、彼女の両親は黙っていないだろう。

 エルドラン男爵家はグレイフィールド辺境伯家と比べていわゆる弱小貴族だ。訴えをひねり潰すのは簡単かもしれないが、まっすぐで正義感の強いルークは、きっとそれを許さない。


 そして何よりギデオン自身が、エリーゼに不埒な真似を働いてしまったことを心底悔いていた。

 言い訳をさせてもらえるならば、痣を確かめるのに夢中になるあまり、他のことを考える余裕が一切なかったのだ。


(どう説明する……? スカートの中に蜂が入っていったとでも言うか?)


 だが、そんな陳腐な言い訳で弟が納得するとも思えない。

 いっそ正直に、国王の密命を受けた話を打ち明けられたらどんなに楽だろうか――。

 もちろんそんなことは容易にできないわけで、ギデオンは内心で頭を抱えた。その時だった。


「……あの、エリーです。入ってもよろしいでしょうか」


 応接室と廊下を繋ぐ扉の向こうから、細い声が割って入る。


「エリー!?」


 たった今、ギデオンの彼女に対する横暴な行為について話し合っていただけに、兄弟はぎょっとして扉のほうを振り向いた。


「兄上はここから動かないで」


 ルークは小声でそう言うと、急いで扉を開けに行く。

 そこには気まずげな表情のエリーゼが、緊張に身を強張らせながら佇んでいた。


「どうしたんだい、エリー。君は母の部屋で休んでいてくれていいんだよ」

「いえ……その、さっきはびっくりして大騒ぎしちゃいましたけど、公爵閣下に謝りたくて……」


 思いも寄らぬ言葉に、ギデオンとルークと鏡あわせのように揃って顔を見合わせる。


「謝る? 兄じゃなくて、君が?」

「はい、実は……さっき公爵閣下がわたしのスカートを捲ったのは、蜂がスカートの中に入ったからなんです」

「蜂が」


 更に思いも寄らぬ言葉を繰り出すエリーゼに、ルークが呆気にとられながら復唱した。

 これにはギデオンも驚き、声を失うしかない。

 一体、エリーゼは何を考えてこんな嘘を言ったのか。


(まさか、私を庇おうと……?)


 そうとしか考えられなかったが、理由がわからない。

 ギデオンのしたことは、憲兵に突き出されても文句の言えない行為だというのに。


「助けていただいたにも拘わらず、驚いて咄嗟に手が出てしまって。だから、ええと、その、旦那さまはもうお仕事に戻られてください!」

「えっ、ちょっと、エリー!?」


 ルークは納得のいってない様子だったが、エリーゼにぐいぐい背中を押され、そのまま部屋から追い出されてしまった。

 扉がぱたんと閉まり、エリーゼがすかさず鍵を掛ける。


(鍵? なぜだ?)


 ギデオンとふたりきりになった挙げ句、外から人が入ってこられないよう施錠するなんて、ますますもってエリーゼの考えていることがわからない。

 戸惑いのままに彼女に声をかけようとしたギデオンだったが、口を開くより早く、エリーゼがつかつかと側まで歩み寄ってきた。


「さっき、痣って言ってましたよね……!」

「――うん? あ、ああ。確かにそう言ったが」

「痣のこと、何か知ってるんですか」


 そう問いかけるエリーゼの表情はどこか鬼気迫っていて、真剣だ。

 その気迫に呑まれたギデオンは、しばらく呆気にとられていた瞬きを繰り返すしかできない。だが、「どうなんですか?」と詰め寄られ、ようやく我に返って口を開いた。


「君の……いや、貴女の太股にあるその痣は、王家の血を濃く引く者にしか現れないものです」

「え?」

「お探ししました、王女殿下。よくぞ、ご無事で――」


 胸に手を当て、右足を軽く後ろに引いて恭しく頭を垂れる。

 淑女に対する最上級の礼を前に、エリーゼが大きく息を呑むのがわかった。

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