第8話 極秘の任務
§
その日から、ギデオンによる『エリーゼ監視作戦』が決行されることとなった。
作戦と言っても、何も大それたことをするわけではない。単にエリーゼ・プリムローズが働いているところを、影からひっそり観察するだけだ。
「兄上……暇なの?」
部屋の窓からオペラグラスで中庭を覗き込むギデオンに、ルークが心底呆れた顔をする。
丁度中庭ではメイドたちが掃除をしている最中で、エリーゼもその中に混じって、枯れ葉を掃き集めているところであった。
彼女は実に生き生きと仕事をしており、冷たい秋風の中で頬を赤くしながら、せっせと箒を動かしている。
(く……っ。想像と違う……)
ここ数日、ずっとエリーゼの仕事ぶりを見つめているギデオンだったが、今のところ、別段目立った動きはない。それどころか、収穫はゼロだ。
ルークが言った通りエリーゼは実に真面目で、申し分ない働きを見せている。
それによくよく観察していると、同輩の分の仕事を手伝ったり、率先して汚れ仕事をしたりと、かなり気働きも利くようだ。
密かに観察していればすぐにボロを出すだろうと思っていたのに、中々尻尾を掴ませないエリーゼの様子に、ギデオンは徐々に焦れ始めていた。
「失敬な! 私は断じて暇ではない。この書類の山が見えないのか?」
「いや、うん。皮肉のつもりで言ったんだけどね」
オペラグラスから目を離して抗議すれば、ルークは苦笑を零し、机の上に積まれた書類に目をやった。
「わざわざ王都から書類まで持ってくるなんて、さすが仕事人間というかなんというか。たまの休暇なんだから、少しくらい羽を伸ばしたらいいのに」
ギデオンは一瞬、言葉に詰まった。
実のところ、休暇というのは真っ赤な嘘だったからだ。
訳あって母にも弟にも話していないが、グレイフィールドへやってきたのにはきちんとした理由が存在するのである。
「……そういうわけにもいかない。私が休んだ分、部下たちに皺寄せが行くのだからな」
「兄上って真面目でお人好しだよね。たまには部下のことも頼ればいいのに」
答えるまで少し間が空いたことに、ルークは気付かなかったようだ。
そのことに安堵しながら、ギデオンはさりげなく話題を変える。
「私のことより、お前自身のことはどうなのだ。領主の仕事にばかりかまけて、婚約者をないがしろにしてはいないだろうな?」
「大丈夫だよ。僕は兄さんと違って要領がいいから。そんなことより、兄さんのほうはどうなの。誰かいい人いないの? 恋人でも、気になる人でも」
話題を変えたつもりだったのに、瞬く間に話題の矛先が自分へ向いてしまった。
ギデオンは苦虫を噛み潰したような顔で腕を組む。
その話題は、彼が最も忌み嫌う類いのものであることを、弟が知らない筈はないというのに。
「ルーク……。お前、私を怒らせたいのか?」
「そういうわけじゃないよ。ただ、僕は兄上に幸せになってほしいだけ」
ギデオンが眉間に皺を寄せたのには、訳がある。
六年前、ギデオンがまだ十六歳の少年だった時の話だ。彼は王命によって、とある女性と婚約を結んだ。
しかしその女性は婚約期間中に他の男性に心移りし、ギデオンを裏切ってその相手と結婚した。
その上、ギデオンの目を盗んで父の形見の指輪を盗み出していたことまで発覚したのだ。
よくある政略結婚で、ふたりの間に愛など微塵も存在しなかった。
けれどギデオンはギデオンなりに彼女を大切にしていたし、結婚してからも妻として尊重するつもりでいたのに。
「まあ、兄上の気持ちはわかるけど、
「な――。私は、盗み見など……」
「オペラグラスで観察するなんて、立派な盗み見だと思うけど? じゃあ、僕と母上は午後からお茶会に招かれてるから。留守番よろしくね」
そう言い残すと、ルークはギデオンの反論を聞くことなく部屋から去って行った。
ひとり部屋に取り残されたギデオンは、かつて参加した夜会で、元婚約者から告げられた言葉を思い出していた。
『わたくし、つまらない人には興味がないの。婚約破棄してくださいな』
最後に参加した夜会で、公衆の面前でこき下ろされ恥を掻かされたことは、今でもギデオンの心に深い傷を残している。
ギデオンがエリーゼを敵視する大きな理由が、それだ。
元婚約者とエリーゼが他人であることも、頭ではわかっている。
しかし、エリーゼが手ひどくオーエン子爵を振った場面と、己が婚約破棄された過去とが重なり、ギデオンの心を酷く苛立たせるのだ。
(感傷に浸るなど、私らしくもない)
そうだ、過去を振り返っている余裕などない。
己はある重要な任務を携え、グレイフィールドまでやってきたのだから。
過去の残滓を振り払うように頭を横に振ったギデオンは、鍵のかかった書類鞄の中から折りたたまれた一通の書類を取りだす。
そして一旦周囲の様子を注意深く窺った後、その書類を開いた。
『対象に関する調査報告及びグレイフィールド近隣の孤児院一覧』
ギデオンが国王からその話を聞かされたのは、ちょうど半年前――王妃が亡くなってすぐのことだった。
『我が甥よ。そなたの忠心を見込んで、内密に頼みたいことがある』
密かにギデオンを私室まで呼びだした国王は、そこで信じられない事実を告げた。
それは彼がかつて、女官に手をつけ産ませた庶子がいるということ。
亡き王妃は気性が激しく、国王が少しでも他の女と会話しようものなら、その相手を鞭打ったりするほどの嫉妬深い女性であった。
そんな王妃から愛人と赤子を守る為、国王は自分の子だということを隠し、辺境へ逃がしていた。
しかし最近になって、その子供が行方不明になっていたことがわかったというのだ。
『王妃は死の間際、ふたりの乗った馬車に暗殺者を差し向けたことを打ち明けた。女官は谷底に落ちて死んでしまったそうだが、乳母が赤ん坊を連れ、命からがら逃げ出したそうなのだ……』
王の怒りを買うことを恐れ、王妃は長い間女官の死と赤子の失踪を悟られないよう、手を回していたらしい。
けれど死を目前にして、己の行ったことの罪深さに耐えられなくなったのだろう。真実を明るみにし、息を引き取ったのだそうだ。
己の子が消息知れずと知った国王は、ただちにその行方を探ることに決めた。
しかし、まだ王妃の喪も明けておらず、庶子の生存も不確かなことから、その情報を知るのはごく一部の王に近しい人間のみ。大々的に調査を行うわけにもいかない。
そこで取り立てられたのが、辺境グレイフィールドに土地勘のあるギデオンである。
『十六から十八歳くらいの娘で、髪は恐らく金か赤。青か緑の目をしており、左内腿に羽根の形の痣がある。。孤児院及び修道院などの施設で育った可能性が高い。十七年前にグレイフィールド内の森で暗殺者に襲われ、乳母と共に行方不明』
与えられた情報はそれだけであるが、大恩ある王のため、なんとしてでも行方知れずの王女を見つけ出したい。
ギデオンはそう決意し、グレイフィールドへやってきたのだった。
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