第3話 メイドの仕事
とはいえ何もエリーゼだって、他人の(財)力ばかりに頼ろうとしているわけではない。
少しでも貧しい家計の足しになればと、自ら働きに出るくらいの気概はあった。
「エリー、二階の掃除終わった?」
広い館の二階に、若い娘の声が響く。
エリーゼは掃除の手を止め、にこやかに相手を振り返った。
「ええ、終わったわ。あとはお庭の掃き掃除だけね」
「それじゃ、お昼ご飯の前にちゃっちゃと終わらせちゃおう」
「もちろん! ああ、お腹空いた」
もし、世間の人が今のエリーゼを見たら、きっと
何せ全身をかっちりとメイドのお仕着せで固め、片手にちりとり、もう片方の手に箒と言った出で立ちで懸命に床掃除を行っていたのである。
この辺り一帯を治める領主グレイフィールド辺境伯の館。
エリーゼはそこで身分と名前を偽り、二年前から通いのメイド『エリー』として働いている。
もちろん働き始めた当初は、両親から大いに反対された。いくら貧しくとも、メイドなんて男爵令嬢のする仕事ではないと。
せめて侍女か家庭教師として働くようにと言われたが、その頃には既にエリーゼの悪評はグレイフィールド中に広がっており、とてもではないがそういった職につくことは望めなかった。
『今のままではチェルシーが結婚する際の持参金すら用意できない』と言ってなんとか両親を説得したが、エリーゼ自身はメイドの仕事を気に入っている。
グレイフィールド辺境伯も彼の母親も優しく、その身分にしては珍しく使用人たちにも気さくに接してくれるし、まかないとして出る料理も絶品だ。
仲良くなった同僚たちと気取らない会話をするのも楽しかったし、それに伝統あるグレイフィールド館を自らの手でぴかぴかに磨き上げるのは、中々に達成感があった。
エリーゼの働きぶりは同僚たちからも中々に評判で、通いではなく住み込みで働いてくれればいいのに、と言われているくらいである。
「そういえば、先日から旦那さまのお兄さまが滞在なさってるのは知ってた?」
「ええ、家政婦さんから聞いてるわ。確か、すごく偉い方なのよね」
庭の落ち葉を掃く手は止めないままに、エリーゼは同僚の言葉に相づちを打った。
グレイフィールド辺境伯は現国王の甥にあたり、その兄ノースフォード公爵は王都で内務長官として国王の補佐をしているらしい。
「ええ、そうよ。遠くから見たことあるけど、威圧感がすごいというか。穏やかな旦那さまとは違って、なんだか厳しそうな方だったわ」
「あら。でもあれだけ美形だったら、あたしはお近づきになりたいかも」
そう口を挟んできたのは、少し離れた場所で窓の拭き掃除をしていた少し年上の同僚だ。
彼女は夢見る少女のような表情でうっとりと空を見上げると、バケツに浸した雑巾を硬く絞って言った。
「輝くばかりの金髪に、海のように青い目をしていたわ……。堅物そうな雰囲気が、またイイというか。一夜だけでもお相手してほしいわぁ」
「やだ、何考えてるのよ! 相手はお貴族さまよ? あたしらみたいな平民なんて、相手にするはずないって! ねえ、エリー?」
「え、ええ……そうよね」
どうやら同僚は、すっかりエリーゼを平民だと思い込んでいるようだ。
安堵するやら落胆するやらで、エリーゼはぎこちない微笑みを浮かべる。
「それに、家政婦さんからも執事さんからも口を酸っぱくして言われてるでしょ? 公爵さまは厳しい方だから、できる限り粗相のないようにって」
「それはわかってるけどぉ……」
年上の同僚が唇を尖らせた、丁度その時だった。
「――君たち。下らない私語は慎みたまえ」
背後から厳しい声が飛んできたのは。
慌てて振り向けば、そこには金色の髪に青い目をした、いかにも貴公子然とした男性が佇んでいる。
ノースフォード公爵さま、という同僚の呟きが聞こえていなかったとしても、エリーゼはそれが誰なのかすぐにわかったことだろう。
すっと伸びた背筋。凜とした佇まい。
そして一切癖のない、美しい発音。
ノースフォード公爵はエリーゼがこのグレイフィールドで出会った誰よりも美しく、洗練された紳士だった。
(怖いくらいに綺麗だわ……)
息を呑み、見とれたのも一瞬のことだった。
「王都では職務中の私語など、それだけで解雇に値する怠慢だ。規律の乱れは主人の顔に泥を塗る行為と心得ておくように」
嫌みたらしくそう言った公爵が、改めてエリーゼたちに目をやる。そして呆れたように、言葉を続けた。
「まったく、この家の家政婦は使用人たちにどういう教育をしているのか……。まるでしつけが行き届いていないな。能力のない家政婦を置いておくと、ろくなことにならないと弟に言っておかねば」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
さも家政婦を解雇するかのような流れに、エリーゼは咄嗟に声を上げていた。
「エリー、やめなさいよ……!」
同僚ふたりが慌てて制止しようとするが、構わず公爵に詰め寄る。
「確かに、仕事中にお喋りをしていたのはわたしたちが悪いです。申し訳ございません。でも、だからって家政婦さんに責任を取らせるような真似をしなくたって――」
「弟は随分優しい主人のようだな。君のような立場も弁えず、目上の者に対する態度もなっていないメイドを雇うなど。慈善事業の一環か何かと思えるほどだ」
公爵が冷たい眼差しをエリーゼに注ぐ。
しかしエリーゼは臆するどころか、ますます腹を立てる一方だった。
なんて頭の硬い人だろう。大らかで優しいグレイフィールド辺境伯とは正反対だ。
「ええ、グレンフィールド辺境伯は大変お優しく親切な旦那さまです。ですが、世の中にはメイドの些細なミスですら赦せない主人がいるということですね。大変勉強になりましたわ、
お返しとばかりに精一杯の嫌味を込めて言い返せば、彼は青い目を大きく見開いてエリーゼの顔をまじまじと見つめた。
初めてメイドを『個』として認識したような眼差しだった。
「君は――」
そう言うなり、彼の表情が徐々に険しさを増していく。
いくらなんでも言い過ぎたか、と後悔し始めた時にはもう遅かった。
「こちらへ来い」
彼はエリーゼの手首をきつく掴むと、強引に館の裏手へ引きずって行く。
そうして半ば無理矢理壁に追い詰めると、エリーゼが逃げられないよう両手で囲いを作り、親の敵を睨み付けるような目つきでこう言ったのだ。
「エリーゼ・プリムローズ。君が、なぜここにいる?」
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