第26話 外出
部屋に戻ったギデオンは、手紙の束から重要なものを取り出して目を通すことにする。まず真っ先に手に取ったのは、平凡な男の名前が記された、何の変哲もない封筒だ。ギデオンはこれが、国王からのものだと知っている。
カモフラージュのために普通の郵便物として出された手紙には、ハリエットを気遣う言葉とともに、ギデオンに数日中に城へ来てほしいという旨が記されていた。
おそらくお忍びで、ノースフォード邸を訪れるための相談をしたいのだろう。常になく乱れた走り書きのような文字からは、早く生き別れの娘に会いたいという、国王の急いた気持ちが伝わってくる。
(明日にでも登城しよう)
エリーゼの教育のために休暇を与えられてはいるものの、内務副長官という立場上、直接城に出向いて確認しなければならない書類も溜まってきていることだ。
ちょうどいい。国王に謁見するついでに、部下たちの様子でも見てこよう。
国王からの手紙を鍵付きの引き出しにしまい、他の手紙にも目を通す。優秀な副官からの手紙に、外務長官への愚痴が延々と記されているのを流し読みし、次の手紙の差出人を確認した瞬間、思わず眉根が寄った。
装飾過多な封筒をしばらく無言のまま眺めた後、封を開けずに引き出しの奥深くにしまい込む。どうせ後で目を通さなければならないことは分かっていたが、今はとてもではないが彼からの手紙を読む気にはなれなかった。
手紙の整理を終え、クローゼットの扉を開ける。
きれいに整理整頓されたクローゼットの中には、落ち着いた色合いの服や外套がかけられていた。
今は男性でも華やかな色をまとうのが流行というが、ギデオンは基本的に藍色やオリーブグリーンなど、落ち着いた色が好きだ。
とはいえ今日は女性連れだ。あまりに地味な格好だと、隣にいるエリーゼに恥をかかせてしまうかもしれない。
迷った末、金糸の刺繍が施された鮮やかなコバルトブルーの上下に、シンプルな濃紺の外套を羽織ることにする。派手すぎず、地味すぎず、町歩きにちょうどいい服装だと思う。
ちょうど着替えを終えた頃、扉をノックする音が聞こえた。返事をして開けにいくと、同じく着替え終えたエリーゼが部屋の前に佇んでいる。
髪を緩く編み込んでハーフアップにし、パウダーピンクのドレスと木苺色の外套を纏った彼女は、本当にベタな表現だが、まるで花の妖精のように可憐だった。
何か感想を言うべきだろうか。紳士として、貴婦人の装いを褒めるのは当然のマナーだ。少なくともこれまでのギデオンであれば、例えそれが苦手な相手であっても、社交辞令として賞賛の言葉のひとつやふたつは口にしたはずだ。
しかし、なぜかエリーゼを前にすると、素直に言葉が出てこない。
自分などに褒められても彼女は嬉しくないかもしれない。むしろ、気味悪がられるだけかも知れない。
それに、どうせ男性からの賞賛など聞き飽きているだろうという思いもあった。
そういえばエリーゼが屋敷に来た初日も、同じようなことがあった。
あの日彼女が着ていたのは、夏の夕暮れのようなグラデーションを描く、紫色のドレスだった。あの装いも彼女によく似合っていて、初めて見たとき、馬鹿みたいに固まってしまったのをよく覚えている。
「……待たせてすまない、そろそろ行こうか」
結局、気の利いた言葉などなにひとつ言えず、エスコートのために腕を差し出すことしかできなかった。
「――あのっ」
エリーゼが意を決したように口を開いたのは、馬車に乗ってしばらく経った頃だった。それ以前も、やけにそわそわと膝の上で何度か手を組み替えていた彼女は、不安そうな顔でギデオンを見上げる。
いつも――家族と別れた直後ですら気丈な態度を崩さなかった彼女のこんな表情は初めてのことだ。よほどの悩みでもあるに違いないと、ギデオンは身構える。
「……そんなに、似合いませんか?」
「えっ」
しかしエリーゼが発したのは、予想外にも程がある一言だった。
何が、と問い返しそうになり、しかしそれを口にする寸前で彼女が何を言いたいのか、その意図に思い至る。
貧しかったとはいえ、彼女は貴族の養女として育てられていて、もちろん貴族のマナーについてもある程度は知っているわけで。美しく装ってもなんの反応を返すこともない朴念仁を前に、不安を募らせ、勇気を出して問いかけたのだろう。
唖然としているギデオンに気づいたのか、エリーゼははっとしたように視線を伏せた。そして頬をほんのりと染めながら、ごまかすように笑い出す。
「あ、あはは。わたしったら、変なこと言ってすみません! 気にしないでください!」
「――似合っている」
勝手に自己完結した彼女の言葉を無視するような簡潔な感想に、エリーゼが「へ?」と間の抜けた声を零して目を見開く。
遅れて、ぽんと音が聞こえるように、瞬く間に顔が赤く染まった。相変わらず目は見開いたまま、口もぽかんと開いている。
随分と素直な反応をするものだ。普段しっかりして見える彼女も、こうしていると年相応にあどけない。
「あの、あ、ありがとうございます。なんだか、せがんだみたいですみません……」
そう言いながらも、似合っていると言われて満更でもなかったのか、エリーゼの口元は小さく綻んでいた。
(――くそ)
心の中で、ギデオンは毒づいた。
やはり、言うべきではなかったのかもしれない。驚愕と、恥じらいをあらわにするエリーゼをいじらしいと思うなど――あってはならないことなのだから。
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