第17話 王女として

 その日は、前日から降り始めていた雪が大降りになり、凍えるような寒い朝だったという。

 ちょうど朝食を終え、食後の紅茶を飲もうとしていたエリーゼの養父母、エルドラン男爵夫妻は、外から扉を叩く音が聞こえてくることに気付いた。

 耳を澄ませば、雪の音に掻き消されまいとばかりに必死で叫ぶ女の声がする。


 既に外には、大人のくるぶしまですっかり隠れてしまうほどの雪が積もっていた。

 働き者の農夫でさえ、こんな日は家に閉じこもって毛布に包まり、雪の気配が過ぎ去るのを待つものだ。

 それなのに、一体誰が。


 不審に思いながらも、助けを求める声を無視することもできず、エルドラン男爵夫妻はそっと玄関扉を開けた。

 そこにいたのは、二十代半ばほどの若い女だった。

 質素な旅装に身を包み、腕に赤ん坊を抱いている。まだ一歳にもなっていないであろう、乳飲み子だ。


『これは大変だ。早く中へお入りなさい!』


 男爵は慌てて女を中へ招き入れようとした。

 しかし女はそれを無視すると、抱いていた赤ん坊を男爵の腕へ強引に押しつける。


『どうかこの子を、こちらのお宅で匿って下さい! 命を狙われているのです!』

『何を――』

『決して、太股の痣について口外なさいませんよう……! 必ず、必ずお守りください!』


 女はそう言い置くと、男爵たちが引き留める間もなくその場を立ち去った。

 足跡はあっという間に雪で掻き消され、どちらの方向へ行ったのかさえわからなくなった。


 赤ん坊を押しつけられた男爵夫妻は途方に暮れた。

 女の様子から察するに、何かとてつもなく深刻な事態に巻き込まれているのは間違いない。

 このままこの赤ん坊に関われば、自分たちも危険な目に遭ってしまうかも。


 だが――。


『なんて可愛い赤ちゃんなのかしら……』

『ああ、本当に……』


 たった今起こった騒動も知らず、おくるみの中ですやすやと寝息を立てる赤ん坊。

 どんな事情があろうと、この子に罪はない。

 そして、自分たちの安全と引き換えに赤ん坊を放り出すような真似を、思いやり深い男爵たちは決してできなかった。


『この子は、わたしたちの子として育てましょう』

『そうだね。私たちが、この子を守るんだ……』


 男爵夫妻は、周囲には遠縁の孤児を引き取ったと説明することにし、赤ん坊にエリーゼという名を付け、我が子として大切に大切に育てた。

 


§



「……その女性はどうなったの?」

「わからない。雪が止んだ後、周囲を捜索してみたが手がかりは見つからなかった」


 父は力なく首を振る。


「お前が身に着けていた産着やおくるみがとても上等な品だったことから、私たちは、お前がどこかの高貴な家柄の落胤だろうと考えた。そしてお家騒動に巻き込まれ、ここまで逃げてきたのだろうと……」


 そして父のその予想は、当たらずとも遠からずだったというわけだ。

 エリーゼは王家の娘で、王妃に命を狙われなんとか逃げ延びた。男爵家にエリーゼを預けた女性――恐らくは、乳母の働きによって。


「じゃあ、お父さまたちはわたしが王族の娘だとは知らなかったのね? その女性に頼まれたから、痣のことを隠そうとしていただけで……」

「痣のことを誰かに知られれば、お前が危険な目に遭うと思っていたのは本当だ。だが、それとは別の理由で、怖かったんだ」

「別の理由?」

「本当の両親に繋がる手がかりがあると知れば、お前は私たちから離れていってしまうかもしれない……。もう、会えなくなってしまうかも……。それが怖くて、お前が成長しても中々本当のことを言い出せなかった。本当にすまない」


 それが、十三歳のあの晩にエリーゼがうっかり盗み聞きしてしまった、両親の会話の顛末だったのか。

 複雑な気持ちだった。

 もっと早くに話してほしかった気もするし、ずっと知らないままでいたかった気もする。


 だが、感情はどうあれエリーゼは真実を知ってしまった。

 自分が、行方不明になっていたこの国の王女、ハリエットであることを。

 それでも。


「お父さまとお母さまは、わたしの大切な両親よ。血が繋がっていないわたしを、危険を顧みず、ずっと大切に育ててくれた」

「エリーゼ……」

「わたしのことを守ってくれて、ありがとう。お父さま」


 本当の両親がわかったとしても、エルドランの父と母がエリーゼを慈しみ、愛してくれた。その事実は、これから何があっても一生変わらない。


「――だから、今度はわたしがお父さまたちを守る番だわ」

「エリーゼ? 何を――」


 不安そうにまたたきをする父の両手を強く握りしめ、エリーゼは廊下に繋がる扉のほうへ目を向けた。


「ノースフォード公爵、そこにいらっしゃるんでしょう。どうぞ、お入りになってください」


 声をかけるなりすぐ扉が開き、ギデオンが入室してきた。

 お加減は、と問いかける彼の言葉を視線だけで制し、エリーゼはきっぱりと告げる。


「決めました。わたしは王女として、王城に参ります」

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