8 間違いだったよ
気が付くと、真っ暗な中に佇んでいた。右も左も、前も後ろも暗闇が広がっている。なんの音も聞こえない。
辺りを見回している彼のそばで、突如として闇が実体を持った。
『お前は王に相応しくない』
何重にも聞こえる声。男、女、子ども、すべての声が響き渡る。
『ひとりではなんの役にも立たないくせに』
周囲を闇に取り囲まれた。四方八方から不快な混声が耳を突き刺す。
『お前が民のために何ができると言うんだ』
彼は耳を塞いだ。それでも、無遠慮で不躾な罵倒が手を擦り抜ける。
身動きが取れなくなって、その場に屈み込んだ。喉の奥に張り付いたように言葉が出てこない。やめてくれ、と心の中で叫んだ。そんなことは自分が一番よくわかっている。
『お前はキングの期待に応えることはできない』
息ができない。酸素を失った肺に圧迫されたように涙が溢れてくる。雫が落ちた足元で波紋が広がった。それに合わせるように溢れてくる不協和音。まるで耳元で囁かれているようだ。
『お前はキングを失望させる』
『ほら、キングだって――』
どくん、と心臓が大きく跳ねた。視界が歪む。
『――お前を王に選んだのは間違いだったよ』
* * *
大きく息を呑んで、レクスは覚醒した。
鼓動が早鐘のように脈打って心臓が痛い。短い呼吸を繰り返し、涙が止め処なく溢れてくる。ベッドの上に体を起こすと、まるで鉛のように重かった。
なんて酷い夢だ。
(……もし、あれが……キングの本心だとしたら……?)
そんなことを考えただけで、騒がしい心臓がいまにも止まりそうだ。息が苦しく、頭の血管が弾けそうなほどに痛い。
誰か、と呼び鈴に手を伸ばして、すぐに思い留まった。この鈴を鳴らせば誰かが来る。自分の夢見が悪いというだけで誰かの眠りを妨げていいなんてことがあるはずがない。
枕に顔を
* * *
「
レクスが執務室に入って行くなり、先に到着していたキングが言った。
昨夜の夢が思い出される。
「……本を読んで、少し夜更かししてしまったんです」
キングの目を見ることができず、デスクに向かいながらレクスは答えた。ふうん、と呟くキングは不審そうだ。
「仕事に支障を来さないようにしてくださいね」
優しさと厳しさを含んだ声で言うブラムに、はい、とレクスは硬くなって頷いた。
起床したとき、イーリスに目が少し腫れていると指摘された。氷を持って来てもらい冷やしたが、まだ違和感は残っていたようだ。それとも、キングが目敏いのかもしれない。
気持ちの切り替えは苦手だ。だが、夢見が悪いことで王の務めを滞らせるわけにはいかない。
「西の町から報告書が届いています」
椅子に腰を下ろしたレクスに、ブラムが二枚の報告書を差し出す。その内容は、西の町の治安が悪化しているというものだった。いくつかの事例が記されており、大事ではないが放っておけば危険なものだろう。
「自警団はどうしているのですか?」
「宮廷騎士の増員の志願で抜けた者が多くいたようです。そこから補填できていないのです。なにせ、教えられる者がおりませんから」
先月、王宮では騎士隊の増員が図られた。志願は騎士の家の出の者が多いが、一般市民でも応募することができる。自警団に所属する者の中には、宮廷騎士に憧れと目標を懐く者も少なくない。護衛官の配備は主要都市にしかなく、ほとんどの町や集落で自警団が組織されている。護衛官がいる町では民に指導をして団員にすることが可能だが、そうでなければ団員を増やすのは困難だろう。
「自警団と言えど」レクスは言う。「犯罪を取り締まるためには戦う
「隣町から護衛官を派遣することも可能ですが」
「いえ……。宮廷騎士をふたり、派遣してください。その騎士に民を指導させて、増員を図ってください。それでも駄目なら新しく護衛官を常駐させましょう」
「はい。では、そのように」
手配のためにブラムが執務室を出て行くと、レクスは次の報告書に手を伸ばしながら溜め息を落とした。
「疲れているのか?」
本から顔を上げたキングが言う。
「あ、すみません、仕事中に溜め息なんて……」
「いや。これだけ仕事があれば、溜め息つきたくもなるよ」
キングは相変わらず優しい。その分、昨夜の夢が現実味を帯びていく。あんな本心を隠しているのかもしれないと思うと、どうしようもなく怖い。それを確かめる勇気はない。もし同じことを目の前で言われたら、その瞬間にすべてが崩れてしまう。王の座を退かざるを得なくなるだろう。もしそれがキングの望みなら逆らうことはできないが、それを恐れて投げ出すことは許されない。
「お前は物憂げな表情すら可愛いな」
「……キングの目には特殊なフィルターがかかっているみたいですね」
「謙遜するな。お前は魔族イチ可愛いよ」
「嬉しくないです」
いつか、こんなやり取りすらできなくなる日が来るのだろうか。
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