21 幕間 カルラの手記2

   1


 ある日、キングがいつもの朗らかな色を消し、真剣な表情でレクスに仰った。

「お前に頼まれていた特効薬の開発に成功した」

 それは、妹君ユリア様のためにレクスが依頼されたものだ。国に難病として指定されている病で、ユリア様がご存命だった頃は特効薬の開発が成功した例はなく、ユリア様はその病により身罷みまかったのだ。

「……そうですか……」

 レクスは心から安堵した表情をなさった。それから真剣な表情でキングに向き合う。

「その薬は量産できますか?」

「ああ、可能だ」

「では国内全域への流通経路を確保しましょう。必要としている民がまだいるはずです」

 レクスはお強い。ユリア様には間に合わなかったことで、王立研究所を恨めしく思っておいででもおかしくはない。しかしレクスは、それよりいまも苦しむ民のことを慮っておられるのだ。

 レクスの心は気高く美しい。これほどまでに高尚な心の持ち主を見たことがない。心の清廉さがご尊顔にもよく表れている。幼さの残る少女のようなお可愛らしい顔立ちは、ご本人は本意ではないようだが可憐だ。キングが夢中になられるのも頷ける。しかし、キングが惹かれておいでなのは外見だけではない。先述の通り、レクスの心がキングを魅了するのだ。キングだけではない。我々、使用人どももレクスの魅力に惹かれている。ご本人は自己評価が低くていらっしゃるが、レクスはまるで魅惑の魔法を使っているような――


   *  *  *


「いけない、いけない」

 カルラはゆるりとかぶりを振った。これまで書いていた日誌のページを丁寧に切り取り、小さく息をつく。

「また私情を挟んでしまったわ。レクスのこととなると、つい熱くなってしまうわね。これはいずれ処分しましょう」

 そうして、今日もまた机の小さな箪笥に肥やしがひとつ増えたのであった。いずれ処分するつもりである。いずれ。


   2


 レクスは常に多くの仕事に追われておいでだが、ある日、突如としてぽっかりと時間が空くことがある。報告書の処理待ちであったり、視察団の到着を迎え入れる準備が早く済んだり、レクスがあまりの忙しさに目を回され休憩するときなどだ。そういうときは、イーリスが執務室に来てお茶を淹れる。私の淹れるお茶とイーリスの淹れるお茶では、やはり味が違ってくる。私室で飲まれるお茶のほうがリラックスできると判断したのである。

 窓際に椅子を運んで外を眺めていたレクスが、あ、と小さく呟いた。イーリスとともに窓の外を見下ろすと、キングが女性たちに囲まれているところだった。おそらく貴族の淑女たちだろう。

「また女性に囲まれていますね」

 苦笑いを浮かべながらレクスが呟く。

 そう、キングは女性におモテになるのである。

「レクスも、恋人がおモテになられると大変ですね~」

 のんびりした口調で言うイーリスに、レクスは首を傾げた。

「私とキングは恋人同士ではないけど……」

 これには思わず、えっ、と私とイーリスの声が重なった。レクスは不思議そうな表情をされている。

「私とキングを恋仲だと思っていたんですか?」

「いえ、むしろ違うんですか?」と、イーリス。「あれだけ甘い時間をお過ごしなのに?」

「え、いや」レクスは頬を赤らめる。「だって、交際を申し込まれたことはないし……」

 それはそうかもしれないが、と私とイーリスは黙り込む。キングの御前でなくてよかった。

 しかし、レクスのお考えにキングはお気付きなのであろうか。もしそうであれば、キングの胸中は察するに余りある。

 キングの想いがレクスに届くまでは、まだしばらく時間がかかりそうだ。


   3


「おい、そこのでけーの!」

 不意に聞こえた声に、フィリベルトとルドがいち早く反応した。そして、レクスを背にかばおうとされたキングの前に、それより早くレクスが進み出られる。

「何者だ」

 レクスから発せられたとは信じ難いほどに鋭い声だった。

 賊でも入り込んだのかと思われたが、先ほどの発言はスーツに身を包んだふたりの男のものだった。貴族のようだが、礼儀はなっていないらしい。不躾な視線をレクスとキングに向けている。

「俺ら、レクスにちょっと用があるのさ」

「レクスはどこにいるんだ?」

 貴族とは思えない口ぶりに、レクスは目を細めた。

「話ならここで聞く」

「は? だから、レクスを呼べって言ってんだよ」

 その者たちは到底、貴族とは思えなかった。そもそも、この国の民であるならキングのご尊顔を知らないのはおかしい。いくら箱入りであろうと、社交界でキングのご尊顔を知らない者はいない。可能性があるとするならば、国の末端の末端の辺境伯あたりの貴族だろう。辺境伯には、社交パーティに顔を出さない者もいないわけではない。それでもかなり少数派だ。貴族にとって社交パーティは様々なコネクションを作る場で、出席する利点のほうが大きいはずだ。おそらく彼らは、その少数派のうちのふたりなのだろう。

「そっちのでかいのがレクスなのか?」

 不躾にキングを指差す男に、レクスは溜め息を落とした。

「自分の国の王の顔も覚えられないのか?」

「は?」

「話はここで聞く、と言っているんだ」

「まさか、お嬢ちゃんがレクスだってのか?」

「はは! 冗談はよせよ!」

 その場にいたレクスの侍従すべてが、あ、と心の中で呟いたはずだ。頬を引きつらせたレクスが、ひとつ息を吸い込む。そして、パチンと指を弾いた。その瞬間、レクスの背後に現れる五人の宮廷騎士と三人の宮廷魔法使い。その光景に、男たちの表情が凍り付く。

「さあ、話を聞こうか?」

 そのときのレクスの表情は、私の文章力では表現することができない。


   *  *  *


 聞くところによると、あの男どもはやはり辺境伯の子息だった。それも、没落寸前の。社交パーティに出る余裕はなく、レクスどころかキングのご尊顔も見たことがなかったようだ。とは言え、貴族とは思えない態度であったことは間違いがない。

「レクス、まさに魔王って感じだったね」

 執務室のデスクにつくレクスに、キングが感心されたように仰った。

「あんなの見せかけですよ。お嬢ちゃんって言われちゃいましたし……」

 その発言が最も侍従たちの肝を冷やさせた。

「レクスは可愛いからね」

「そんなこと言うのキングだけですよ」

 そんなわけはない。おそらく、口にしないだけですべての侍従が思っているはずだ。なにせ、レクスは可憐でお可愛らしい。これ以上のことはきりがないので割愛する。

「いやー、さらに惚れちゃったよ。レクスのあんな表情を見られただけで、あの者たちの罰を軽くしてやりたいくらいだ」

「私情を挟まないでください」

「しかしね、レクス。ひとつだけ」

「なんですか?」

「ああいうとき、王は前に出てはいけないよ」

 キングの仰る通りである。今回は攻撃的な者ではなかったため事なきを得たが、もし戦いを挑まれた場合、フィリベルトとルドがいたと言えど攻撃がレクスに届いていた可能性もある。

「すみません……」

「いや。レクスにかばわれてドキッとしてしまったから、私は得をしたと言えばそうだ」

 レクスの視線が冷ややかになる。キングの株は上がったり下がったり、忙しない状態であった。


   4


 勇者パーティの三人が城への滞在を認められ、レクスの護衛として仕える許しが出されて以降、レクスの周りはさらに賑やかになった。その中でも、アンシェラ嬢は殊にレクスを好ましく思っているようだ。

「あたしたち、レクスに仕えることができて本当に幸運だと思ってるんです」

 ある日、アンシェラ嬢がそう言った。レクスに仕えることのできる者が幸運であることは間違いない。

「可愛くて賢い妹ができたみたい!」

 無邪気に笑うアンシェラ嬢に、侍従たちは凍り付いた。

「……えーっと……」

 しかしレクスは激高することはなく、困ったように言い淀んでいる。

「レクスは男でお前より年上だよ」

 キングが冷静に仰ると、えっ、とアンシェラ嬢は目を丸くした。

「ご、ごめんなさい……あたし、とんでもなく失礼なことを……」

「気にしないでください。女の子に間違えられるのはしょっちゅうですし、魔族は年齢がわかりづらいですからね」

 アンシェラ嬢は十六歳らしいが、確かにレクスはそれより若く見える。しかし、魔族は人間に比べてはるかに長命だ。キングも三百歳を悠に超えている。アンシェラ嬢がレクスを自分より年下と思うのは無理もないことだ。

 レクスは敵意を向ける者には容赦ないが、仲間と認めた者に対してはお優しい。もしアンシェラ嬢が敵対する人間であったなら、先ほどの発言はレクスの怒りを買っただろう。レクスがアンシェラ嬢の味方でよかった。私はそう思った。

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