魔王討伐後の新魔王は苦悩する

人魔抗争編

1 魔族の王

　魔王が勇者に討伐された。

　その報せを受け、魔族のあいだに動揺が広がった。我らの王がそう易々と人間に負けるはずがない……魔族はそう確信を持っていたのだ。それが覆され打ち砕かれると、魔族の国は混乱を極めた。

　それを収めるため、すぐに新しい王の選別が始まった。最終的に選ばれた者は若く、実力も充分とは言えない未熟な魔族であった。その者も自分が王に選ばれた理由がわからず、選別に疑問を持った民も少なくない。それでも国が平静を取り戻すためには必要なことだとし、その若者が新王として据えられた。

　ただの一介の魔族でしかなかった彼――コーレインは、この日から魔族の王（レクス）となった。

　　　＊　　＊　　＊

　それが半年前のこと。レクスは今日も執務室のデスクで仕事をしている。広い机には山のように報告書が並べられており、いつになったら片付くのだろう、と溜め息が漏れる。

　半年が経ったいま、勇者による前王の討伐で生じた混乱はほぼ収まっている。それも、レクスの優秀な部下たちのおかげだ。右も左もわからないまま新王の座に就いたレクスが、自分の力だけで統治するには無理があった。部下たちの支えでなんとかこなして来たが、やはり自分は王には向いていないと常々から思っている。

　王に就任してからこの方、レクスは激務に追われている。確認しなければならない報告書は後を絶たないし、民の要望に応えなければならない。もともと能力の高くなかった彼には厳しい日々で、疲れは溜まる一方だ。

　そんな中――

「レクスは今日も可愛いなあ」

　黒髪の男性が、レクスの向かいで頬杖をついてそう微笑んだ。

「……キング」レクスは溜め息混じりに言う。「邪魔なんですけど」

　先代魔王ことキングは、いつもこうして仕事をしているレクスを眺めては彼を愛でる言葉を口にするのだ。何が楽しいのか、レクスにはよくわからない。

「暇なら手伝ってくださいよ」

「やだよ。こちとら引退した身だよ。手出しはしない」

　ひらひらと手を振りながら言うキングに、レクスは剣呑な視線を向ける。しかし、キングは肩をすくめるだけでそれを流す。

　先代魔王は人間の勇者によって討伐されたはずだ。その激震が走ったのが半年前のこと。魔族と人間のあいだで勃発した戦争は、勇者の魔王討伐という形で収束したのだ。レクスはその混乱を収めるために据えられた新しい王である。だと言うのに、なぜキングは健在なのだろうか、とレクスは首を捻るばかりだ。その理由を訊いても、キングはいつも答えない。

「レクスさ、いつになったらお嫁に来てくれるの？」

　肝心なことは話さないのに、こういうことをのんべんだらりと言うのだ。キングはなまじっか顔が良い。レクスも男だというのにどぎまぎしてしまうほどには美形だ。

「無理だって言ってるじゃないですか。私は現代の王ですし、そもそも男同士ですし」

「レクスの見た目なら女の子って言っても通るよ」

「通らせたくないです」

　キングの言う通り、レクスは童顔も相俟って少女のような顔立ちをしている。もともとまともに手入れの施されていなかった薄い浅葱色の髪も、王宮に召し上げられた際に侍従に整えられ肩の辺りで揃えられている。体の線も細く、身長に関してはキングより頭ひとつ分も低いのだ。少女と間違えられることは、不本意ながら慣れてしまった。

　レクスとキングは人型の魔族で、人間に近い外見をしている。保有する魔力が人間より多いため、人間に間違えられることはない。

　キングは先代王だったとは思えないほど暢気（のんき）な人物だ。王だった頃は尊敬すべきお方だった、とレクスは思っている。王だった頃は、だ。自分が王となったいま、キングの印象は大きく変わった。仕事中に誰かを口説くような人ではなかったはずだ。

「だいたい」レクスは机をたたく。「いきなり王の座を任されたこっちの身にもなってくださいよ。私は統治のことも領地経営のことも何もわからなかったんですから！」

　レクスはごく一般的な魔族だった。教養はそれなりにあるが、治政に関わったことなど一切ない。いまでも誰かの助けがなければ任務などまともにこなせるはずはもない。

「だからこうして手助けしてるじゃない」

「邪魔された覚えしかないんですが」

　レクスがキングを恨めしく睨み付けたとき、執務室のドアがノックされた。レクスは気を取り直して、どうぞ、と応える。

「失礼いたします」

　部屋に入って来たのは、山羊の頭を持つ魔族のブラムだった。ブラムはレクス付きの執事だ。

「南の町の視察団が戻って来たので、報告書をお持ちしました」

　また仕事が増えた、とレクスは溜め息が零れそうになるのを堪えた。だが、南の町が抱えている問題は、他の報告書より優先するべきことだ。

「南の町の干ばつは深刻なようですね」

　報告書に目を通して、レクスは呟いた。

　南の町は雨が降らない期間が長いこと続いており、もともと農業が盛んな町だったため干ばつは大打撃だ。何度も視察団を送り原因を調べさせているが、いまだ誰ひとりとしてその原因を突き止める者はいない。

「人工的に雨を降らせるには、魔族の技術だけでは足りない……」レクスは顎に手をやる。「どうしたものでしょう」

「人間の手を借りたらいいのに」

　なんでもないことのように言うキングに、レクスは眉根を寄せた。

「できるわけないでしょう。魔王討伐の件で、人間を嫌う魔族が一気に増えたんですよ」

　魔族の人間に対する心証は、もともとは悪くなかった。と言っても、積極的に外交するほどではなかった。先代魔王を狙う戦いを挑まれたことで、人間を敵だと認識する者が増えたのだ。先代魔王が健在であることは国民のほとんどが知っているが、先の戦争が魔族の心を人間から離れさせたのだ。

「ふうん。別に人間は悪い者たちばかりではないよ」

「討伐された本人がよく言いますよ」

「んー、そうだなあ」

　そう言って、キングは曖昧に笑う。

　キングは度々、人間の力を借りることを勧めてくる。現在、人間は魔族の敵でしかない。キングの言うように、悪い者たちばかりではないことはレクスにもわかっている。だが、国民たちが揃って人間を憎んでいるいま、その手を借りることは現実的ではない。

「とにかく」レクスは言う。「南の町には引き続き支援をしましょう。必要であれば私も視察に行きます」

「はい。では、そのように」

　ブラムが左手を宙に向ける。手のひらから溢れた淡い光が鳥の姿になり、窓から外へ飛び立って行った。伝達をする「報せ鳥」だ。使える者は難易度としては初級だと言うが、レクスにとっては難解な魔法だ。

「なあ、ブラム」キングが言う。「法改正して、男同士でも結婚できるようにしてよ」

「法改正は私の役目ではございません」

「じゃあ、レクス。法改正して」

「そんな『電球替えといて』みたいなノリで言われましても……」

「レクスは私と結婚したくないの？」

「面倒くさい恋人みたいなこと言わないでください」

　レクスがどぎまぎしてしまう理由は美形の他にもあるのだが、これはブラムには言うことができない。言ってしまったが最後、レクスが爆発――精神的に――することになる。キングはそんなこともつゆ知らず、どこで何をしていようが口説いてくるのだ。

「昼食にしましょう」

　懐中時計を見たブラムが言うので、レクスはひとつ息をついた。

「私は昼食よりレクスを……わーい、その顔すると思ったー」

　キングがそう言って笑うので、レクスはひとつ溜め息をついた。