12 人間の町

『やはり私もついて行くよ』

 駄目ですよ、という言葉は喉に張り付いたまま、声にならない。目を逸らすことは叶わず、ただ見つめることしかできない。背筋に嫌な汗が伝った。

『レクスは弱いからな。人間の手に掛かれば一捻りだろう?』

 辺りが闇で溢れ返る。まるで霧が立ち込めるようにその姿も虚ろになり、体が動かなくなった。声は喉の奥に詰まったまま。

 笑う顔が、見る間に冷たく変わる。その瞳に射貫かれ、体が氷に包まれたようだった。

『そんな弱い王はいらない』

 ――ほら、あなたも怖いんでしょう?

 ふたつの響きが重なる。いつも甘く愛を囁く音色と、もう一度でもいいから聞きたいと願った旋律。

『お前の存在が魔族にとって悪影響だとなぜ気付けない?』

 ――民の役に立てただなんて、よくもそんな妄想を懐けたものね。

 体が凍り付いたまま耳を塞ぐことができず、その声は頭の中で不協和音を奏で続ける。

『早く王の座から降りてくれ』

 ――あなたは王に相応しくない。

 これが自分の求めていたものの答えなら、願いなど捨ててしまえばよかった。望んだものが手に入らないなら、希望など懐かなければよかった。

『あの子が死んだのもお前のせいだ』

 ――私のことを救えなかったくせに。


   *  *  *


 叫びそうになるのを堪えながら飛び起きた。胸の鼓動は激しく、いくら呼吸を繰り返しても苦しい。全身が汗だくで、顔は涙で濡れている。

(これが、あの子の望み……。あの子は、役立たずな僕を憎んで……)

 声を上げそうになって、枕に顔を埋(うず)めた。

 あの子の力になれたことなど一度もない。役立たずな自分をあの子が恨んでいてもおかしくはない。

「……ユリア……」

 できるならば、もう一度、あの子に会いたい。そのためなら王の座など投げ捨てることができるのに、それは許されることではない。それが二度と叶わぬことなら、なんのためにレクスの名を冠したのだろうか。


   *  *  *


 翌日。カルラに被衣かつぎを被せられ、人間の町へ視察に向かう準備が進められる。今回はブラム、フィリベルト、ルドが同行することになっている。

「いいか、レクス」と、キング。「知らない人間に声をかけられても、ついて行くんじゃないぞ」

「知らない人間しかいませんが」

 キングは心配しすぎだ、とレクスは思う。魔族の中で二番目に強いと称されるブラムがいると言うのに、何をそんなに案じているのだろうか。

 心配そうなキングに見送られ、馬車が城の門から出て行くと、その途端にレクスは緊張感に襲われていた。人間の国へ行くことも、それどころか国を出ることさえ初めてで、キングがそばにいないこともレクスを不安にさせた。

「緊張しなくとも大丈夫ですよ」

 ブラムが優しい口調で言うので、レクスは顔を上げる。

「今回は外交ではなく、ただの視察です。肩肘張る必要はありません。それに、今回はレクスは何も発言をしないで構いません」

「発言をしない?」

 レクスが首を傾げると、ブラムはくいと眼鏡を上げて言った。

「人間は姑息ですから。発言を自分たちの都合の良いように解釈するかもしれません。特に、王の発言は重大です。会話のやり取りは私にお任せください」

「わかりました」

 正直なところ、発言をしなくていいというのは助かる。何を話せばいいか一切わからないからだ。それに、ブラムの言うように、迂闊な発言はできない。レクスにそれだけの話術はない。ブラムに任せておけば問題ないだろう。

「握手などにも応じないでくださいね。友好の証だと取られる可能性もありますから」

「わかりました」


   *  *  *


 キングは執務室でぼうっと空を眺めながら、いま頃レクスはどうしているだろう、と考えていた。いまはまだ馬車の中だろう。もし人間にレクスを害する気があるなら、今度こそ滅ぼしてやる。レクスには私情を挟むなと怒られるだろうが。

「失礼いたします」

 その声でキングは考えるのをやめて振り向いた。執務室に入って来たのは、イーリスだった。いつもの穏やかな色を消し、少し険しい表情を浮かべている。

「キング、ご報告がございます」

「報告? 私に?」

 首を傾げるキングに、イーリスは真っ直ぐに彼の目を見据えた。

「レクスのことで」

「――!」

 キングが居住まいを正すと、イーリスは静かに話し始める。

「ここのところ、レクスが毎晩うなされています。起こそうと思っても起きることがなく、私が部屋を出た頃に起きると泣き続けて、ユリア、と呟くのです」

「ユリア……聞いたことのある名だ」

「レクスの妹君ですわ」

 少しのあいだ考え込んだ。着任してから、レクスからそんな話を聞いた記憶はない。それ以前、と考えたところで、キングは顔を上げた。

「レクスが開発を頼んできた特効薬を必要としていた少女か」

 キングがレクスの村を視察で訪れたとき、レクスは薬の開発を頼んできた。妹が病気で、それが国に難病として認定されているものだった。国の研究所で薬の開発が進められていたものだが、それを知らないレクスがキングを頼ったのだ。

「特効薬の開発はいまでも進んでおります。ただ……ユリア様は、レクスが王宮に召し上げられる直前に亡くなっております」

「――……」


   *  *  *


 人間の国の末端の町に到着すると、人間たちが物珍しそうに遠巻きに一行を眺めていた。不躾な視線に晒されながら、レクスはルドの手を借りて馬車を降りる。被衣かつぎのせいで足元がよく見えない。

「魔族の王、よくお越しくださいました。わたくしは外務官のバーレントと申します」

 バーレントが握手を求めて手を伸ばすのに対し、レクスは応えなかった。まだ握手を交わすような間柄ではないということだ。バーレントは肩をすくめる。

「王都では人間が多すぎて視察にならないと思い、魔族の国と近いこの町を選びました。いかがですかな?」

「…………」

 レクスは首を縦に振ることも横に振ることも許されない。

「今日は紹介したい者たちがいるのですよ」

 そう言ってバーレントが手のひらで差した先に、三人の若い男女が控えている。明るい茶髪と青い瞳の青年、綺麗な金髪をウェーブにして肩にかける少女、短い黒髪の細身の青年だ。

「こちらは、勇者パーティの者たちです」

 バーレントの言葉に、レクスの背筋がぞわりと凍った。

 勇者パーティ……この三人が、キングを――。

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