4 王の一日
王になれと命じられたときには想像できていなかったことだが、王の一日というのは非常に忙しい。報告書は次々に山を作っていくし、視察の予定も組まなければならない。ほとんどブラムに任せきりだが、彼がいなければまともに仕事ができなかっただろうことは容易に想像できる。
「キングはこれを三百年もこなしていたんですよね」
椅子の背もたれに体重をかけ、レクスはつくづくと言った。先ほどブラムに書類を預け、いまは小休憩中だ。その様子を眺めていたキングは思い出すように言う。
「それくらいになるかもね」
「その点では尊敬しますよ」
「え、ほんと? ん? あれ……『その点では』?」
騙されてくれなかったか、とレクスは肩をすくめて流した。
自分が王だった頃はこんなに仕事はなかった、とキングは言うが、要は効率良く仕事をこなせていたということだろう。レクスは未熟さゆえに手が遅いため、次から次へと仕事が溜まっていく。それだけのことだ。
そう考えたところで、机で山を作っている書類を思い出して手を伸ばす。まだ休憩している場合ではない。
キングもブラムも責めないでいてくれるが、王宮での仕事が終わらなければ視察にも行けない。毎日、必死だ。そのうち慣れるとキングは言うが、慣れるまでが大変、とは口が裂けても言えなかった。
「そういえば、キングは何度もうちの領地に視察にいらしてましたね」
南の町と同じ領地に、レクスの出身の村はある。特に目立つこともない小さな集落で、視察するほどのものは特段ないように思う。だというのにキングは何度も訪ねて来て、そのたびにレクスが案内を任されていた。
「そうしないとお前に会えなかったからね」
あっけらかんとキングが言うので、レクスは持っていた羽ペンを折りそうになるのを堪えた。
「私欲で視察に来てたんですか⁉」
「視察は真面目にやってたよ」
「当たり前です!」
「でも息抜きも必要でしょ?」
キングはのんべんだらりと笑う。
王宮に召し上げられてからこの方、キングに対して落とした溜め息が何度目になるのかはもう数えていない。少なくとも一日に五回は溜め息をついている。ということはこの半年で、と考えかけていたレクスは、そうじゃない、とまた溜め息を落とした。
「先代様にこういうこと言うのは失礼なんでしょうが」
「うん」
「キングはもっとちゃんとした王だと思っていました」
「ハハ、そういう印象だったよね」
印象だけではないのだろうが、レクスがキングと接している時間はキングが王だったときよりいまのほうが長い。王だった頃のキングの記憶は薄れつつあるが、魔族の王として相応しい人物だと思わせるには充分な風采だったはずだ。
ひたいに手を当てて項垂れるレクスに、キングは慌てたように言う。
「イメージ壊しちゃった? 私はもとからこんな魔族だよ」
「……そこじゃないです……」
もういいや、とレクスは顔を上げる。きっと考えるだけ無駄だ。
「だって、任務外だとしても王が個人に会いに行くわけにいかないじゃない」
どこか拗ねたようにキングが言うので、レクスは苦虫を嚙み潰したような表情にならざるを得なかった。
任務外で個人に会いに行くわけにいかないから、無理やり任務を作って会いに来た、ということである。まさしく私欲以外のなんでもない。いくら視察を真面目にやっていようと、そもそもの動機が不純である。それに付き合わされた部下たちを慮ると、いたたまれない気持ちになった。
「なぜそこまでして一介の魔族に過ぎない私に会いにいらしたんですか?」
溜め息混じりにレクスが言うと、キングは悪戯っぽく笑う。
「わからない?」
「……?」
レクスは首を傾げた。キングはそれ以上に話すつもりはないようで、どこか楽しげににこにこと微笑んでいる。
ドアをノックする音に、どうぞ、とレクスが応えると、ブラムが執務室に入って来た。レクスが任せた仕事を無事に終えたようだ。
「先ほど関所に来たという人間から書面が届きました」
「早かったですね」
魔族の国と人間の国は別種族同士の国であるが、文明や外見が違っても言語は共通である。人間の文字も読み解くことができるし、言葉を理解することもできる。
随分と急いでいるようだ、と書面に目を通しながらレクスは考えた。関所まで行って許可を取ろうとしたり、その日のうちに書面を届けたり、早く魔族の国に入りたいといった様子だ。
「……我が国と国交を結びたい、ということですか……」
「国交を結びたいのに」と、キング。「いきなり関所まで来ちゃうって、ちょっとせっかちが過ぎるね」
「そうですね。公的な書面を先に送るべきでしょうね」
ひと通り目を通し、確認済みの書類の山に書面を置くと、レクスはブラムに言った。
「断りの書面を出しておいてください」
「承知いたしました」
「もうそろそろ人間と和睦したほうがいいんじゃないの?」
いつもの暢気な声でキングが言うので、レクスはムッと顔をしかめた。
「現状では無理ですよ。さっきも言いましたが、魔族の人間に対する心証はよくありません。それを無視して人間と和睦するのは、現実的ではありません」
「人間と接していれば、その認識も変わるんじゃない?」
キングは人間に対して好意的のようだが、キングは討伐されているため最も人間を憎んでいてもおかしくない。だと言うのに人間との和睦を推すのはなぜなのか、レクスにはその理由がわからない。
「キングが人間の勇者に討伐されても生きている理由を知ることができれば、和睦も可能かもしれないですね」
「じゃあ厳しいね」
そう言ってキングがあっけらかんと笑うので、レクスは呆れて目を細めた。どうあってもその理由を話す気はないようだ。
「それに」レクスは言う。「このメルヒオール王国には勇者がいます。つい最近、国王が代わったそうですが、勇者がいる国との国交は難しいですよ」
この国と隣接するメルヒオール王国は、キングが討伐されるまでこの国に侵攻を続けていた。それが手のひらを返したのだから、警戒するのは当然というものだろう。王が代わったため魔族と友好関係を結ぶよう方向転換した可能性もあるが、それでも魔族が人間を信用しないことに変わりはない。
「人間の知識は魔族に必要だと思うよ?」
「……キングは随分と人間を気に入っているんですね」
「魔族の暮らしをより良くするために必要ならね」キングは肩をすくめる。「敵対しようものなら今度こそ滅ぼすけど」
キングならきっと、ひとりでメルヒオール王国を滅ぼすことができるのだろう、とレクスはそんなことを考えた。
「知識が必要なだけでしたら」と、ブラム。「国交までいかずとも、人間の暮らしを視察しに行かれるのはいかがでしょう」
「お、それ良いね」
きょとんと目を丸くするレクスとは対照的に、キングは即座に賛同する。もしかしたら同じことを考えていたのかもしれない。
「他の者に行かせても構いませんが、レクスご自身が直接に見たほうが、信用に足る者たちなのかがわかるのでは?」
「そうですね……。では、そうしましょう。断りの書面に記しておいてください」
「承知いたしました」
レクスは人間と会ったことがない。一介の魔族でしかなかったレクスには、先の戦いでは出番がなかったからだ。その戦いのあとすぐに新王として就任し、人間の視察の申し出には毎度、断りの書面を送ってきた。レクスには、まだ人間がどういった生き物なのかがわかっていない。
「明日は南の町の視察に行きましょう」レクスは書類を広げる。「まだ雨が降らないようですから」
「承知いたしました」
人間の国への視察は、正直なところ気が重い。勘の悪いレクスには、接しただけで信用に足る者たちなのか判別するのは難しいのではないかと思う。王としてこなさなければならない任務だということはわかっているが、溜め息が漏れるのを禁じ得なかった。
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