5 レクスの苦手な時間

「あー疲れたー!」

 ベッドに倒れ込んだレクスに、侍女のイーリスがくすくすと笑った。

「今日もお疲れ様でございました」

 カルラは公的な、イーリスは個人的な侍女といったところだ。絹のような金髪をホワイトブリムでまとめた、可愛らしい顔立ちの人型の魔族である。

「今日もお布団が気持ち良い……」

「良いお天気でしたので、天日干ししておきましたわ」

「ありがとう、イーリス」

「恐れ入ります」

 イーリスはいつも、レクスが心地良く過ごせるようにこの私室を整えてくれている。レクスが唯一、気を抜ける場所だ。丁寧にメイキングされたベッドに横になると、体の力がぜんぶ抜けて一日の疲れも癒される。これがなければすでに王の座を投げ出していたかもしれないとすら思う。

「ほんと、なんで僕なんかが王に選ばれたんだろ……」

 考えれば考えるほど不可解である。ただの一介の魔族でしかなかった自がなぜ王に選出されたのだろうか。家庭の地位が高いわけでも、能力が抜群なわけでもない。国王に最も遠い場所にいたのではないかとレクスは思う。

「国王って世襲のイメージがあったけど」

「そうですね。キングは世襲で王になられましたわ。ただキングには御子がありませんので、血族から何人かの候補が上がりました。その中で、キングがご指名されたのがコーレイン様ですわ」

「なんで僕なんだろ……。僕は普通のなんの変哲もないただの魔族なのに……王なんて荷が重いよ……」

 王に選出され勅使がレクスのもとへ訪れたとき、彼自身も母もそれを断ろうとした。一般家庭で育った彼に王の素質があるとは思えず、数日ともたないと母は主張した。それでも勅使は、決まったことだと言ってレクスを王宮に召し上げた。王命であったためだとはのちに知ったことだが、そのときレクスは、キングとは領地への視察で何度か会ったことがある、という程度だった。選出された理由は見当もつかない。

「お茶を淹れましょうか? それとも湯浴みされますか?」

「湯浴みして寝たい……」

「かしこまりました」

 イーリスはくすりと笑ってレクスに背を向ける。ドアがノックされたのは、それとほぼ同時だった。ドアを開けたイーリスが、あら、と明るく言う。

「キング、ごきげんよう」

「ああ」

 その声に、レクスはがばっと起き上がった。

「私室まで来ないでくださいっていつも言ってるじゃないですか!」

「お前を堂々と愛でられるのは私室だけじゃないか」

 あっけらかんと言うキングに、う、とレクスは言葉に詰まる。愛でられたくありません、と低く言うレクスにも、キングの微笑みは崩れない。

 レクスが私室で休んでいると、キングはほとんど毎日こうして訪ねて来るのだ。おそらく一息ついた頃を見計らっているようなので、気を遣ってはいるのだろうと思う。

「お茶を淹れて参りますわ」

 うふふ、と楽しげに笑ってイーリスが出て行くので、レクスは重い溜め息を落とした。

 そんなレクスを抱え上げると、キングはそのままソファに腰を下ろす。こうなってしまえばレクスに逃げ場はない。

「お前は本当に可愛いな」

 レクスの頬を撫で、キングが甘く囁く。その鮮やかな真紅の瞳に射貫かれると、何も言えなくなるのだ。せめてもの抵抗にと、レクスはその手を払い顔を背けた。

「可愛いと言われるのは嬉しくありません。私だってこれでも男です」

「可愛いものに可愛いと言って何が悪い」

 そう言って、キングは優しく彼を抱きしめる。

 レクスはこの時間が苦手だ。王に就任した当初から始まったことであるが、レクスは愛でられることに免疫がない。そもそも愛でられる理由がわからない。だと言うのに、キングはほとんど毎日、こうしてレクスを愛でに来る。こんな美形に迫られてどぎまぎするなと言うのは土台無理な話である。

「早くお前を私のものにしたいよ」

 指先が触れる頬が熱い。

「そうでないと、いつ誰に取られるかわからないからね」

「……そんなこと考えてる余裕なんてないです」

 王の任務だけでいっぱいいっぱいなのに、それ以外のことなど考えられない。キングが言うことの意味はわかるが、レクスにはそれに応えるだけの余裕がない。それでもキングは愛おしそうに頬を撫で、静かに微笑むのだ。

「それなら、余裕ができたら私のことだけを考えてくれ」

 キングはいつも、優しく触れるだけのキスをする。レクスは、心臓が爆発する、と叫びそうになるのを堪えるので精いっぱいだった。

 キングは、真っ赤になるレクスをからかうでもなく微笑ましく見つめる。レクスはキングの膝の上でどうしたらいいかわからず、ただ固まるばかりで何も言えなくなってしまうのだ。キングに触れられると、心の中で様々な感情が湧いては消えていく。頭の中がぐるぐると忙しなく、なにがなんだかよくわからなくなるのだ。だから、レクスはこの時間が苦手だ。

 ドアがノックされるので、レクスはキングの膝から飛び降りる。どうぞ、と応えた声にドアを開けたのは、ワゴンを押すイーリスだった。

「お茶が入りましたよ~」

 キングが来るとイーリスは空気を読んで部屋を出て行くが、そんな空気は読まなくていいのに、とレクスは思っている。キングがいつも余裕なので腹が立つ、とも思っている。


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