第55話 気づけば返していた
オリヴェルの緑の瞳が、赤色に変わっている。
金色の瞳を真正面から見据え、気圧されることもない。
「あなたの最愛が逝ったの、ついさっきだよ?
えらく立ち直りが早いね」
氷の刃のような嫌味を、竜族の長に向かって平然と放つ。
「最愛であれば良かったのだけれどね」
血の気のない唇の端が、うっすらと開いて苦笑の形を作る。
金色のくすんだ巻き毛をうるさげにかき上げて、黄金竜オーディは小さなため息をついた。
「最愛であったものも、時間とともに変わるということかな。
そして本物を見つけたら、どうしても欲しいと思う。
君なら、よくわかるんじゃないのかい?」
「竜后を召し上げたのは、あなただろうに。
もし間違っていたというのなら、それを正すのもあなた自身ですべきでは?
この期に及んで、なんてみっともないことをとわたしは思うけどね」
オリヴェルの瞳は先ほどより赤く濃くなって、プロミネンスのような炎の華がゆらゆらとのぞく。
「みっともないか」
くすりと笑った
「体裁を気にできるなんて、君にはまだ余裕があるようだ。
あいにく、私にはもうなくてね。
長い長い時を生きて、初めてなんだよ。
これほど純粋でまっすぐで、けがれない乙女に会ったのは。
だからやり直しを許したんだ。
もう一度、今度は竜后として私の側にいてもらうためにね」
今さら何をと、パウラは思う。
せめて前世、竜妃であった頃に聞いていれば、少しは考えたかもしれないけれど。
「初めから間違っていたんだよ。
竜后、彼女を
疲れ果てた末にこぼれた言葉には、真実味が確かにあった。
悔いや悲しみ、寂しさや辛さ、多くの感情がごちゃまぜになって、彼の表情を歪ませる。
(なんだか気の毒だわ)
思わず伸ばしかけた指を、横からオリヴェルが引き戻した。
「だめだよ、パウラ」
そのまま抱き寄せられて、頭を肩に押し付けられる。
「すぐにそうやって同情する。
パウラはね、わたしにだけ優しければそれでいいんだ」
ああそうだった。オリヴェルはちょっとしたことにでも、すぐに嫉妬すると思い出す。
「わたしを妬かせて、楽しいかい?」
ほら、やっぱり。
少しだけ笑いそうになるけれど、そんな状況ではない。
「いい度胸だ。
たかが聖使の身で、私の后に触れるとはね」
ずんと空気が重くなり、頭上から抑えつけられるような圧力がかかる。
黄金竜オーディの身から、ゆらりと黒い霧が立ち上り、部屋中に拡がっていた。
「私の竜后から離れろ」
ぐわんと頭に響く声が、コダマのように何度も繰り返す。
その度空気の圧は強くなって、オリヴェルは苦痛に顔を歪ませた。
それでも彼は、パウラを離さない。
しっかりと胸に抱き寄せて、守るように抱え込む。
「今のあなたに、わたしは負けない。
最愛を失ったあなたと、最愛を胸に抱いたわたし。
どちらが強いと思う?」
苦し気に顔を歪めながらも、オリヴェルの瞳には余裕があった。
竜族の長の力を受けながら、聖使とは言え人にすぎぬ身のオリヴェルは、なぜ耐えられるのだろうか。
「パウラはヘルムダールだからね」
ヘルムダールだから?
その意味がわからない。
「ヘルムダールの血が、黄金竜を作るんだよ」
熱気を逃がすためか、ふぅと息をついたオリヴェルが、薄く笑う。
「あいつは生まれながらに黄金竜だったわけじゃない。
ヘルムダールの
知らなかった。
そんなこと、母からも誰からも聞いたことがない。
「不思議なことじゃないよ、パウラ。
こんな秘密、やつの命取りだよ?
知っている者は限られるさ。
わたしは風竜に聞いたから知ってる。
パウラや母君が知らないのは、当然なんだよ」
そういえばと、パウラは思いつくことがあった。
竜后が消えた後、母はなんと言った?
彼女の本来すべきであった仕事を、肩代わりすると言っていなかったか。
ヘルムダール大公とはいえ、ただの人の身にすぎぬ母が、なぜ黄金竜オーディの后の役目が担えるのか。
竜后の血ヘルムダールの、最も濃い血を受け継ぐ母だからこそ、それがかなうということかもしれない。
初代竜后からどのような特権を賜ったのか、詳しいことはわからないままだけれど、おそらく竜后に何かあった場合の緊急補助要員たることも認めていたのだろう。
「だからわたしは耐えられるのさ。
やつの黄金の炎、灼熱の風にも。
パウラ、君がわたしの腕にあってわたしの身を案じてくれているからね」
パウラを抱き寄せる腕の力が強くなる。
その腕の表面は、既に赤く腫れあがり小さな水疱までできていた。
火傷だ。
そう気づくと指が伸びていた。
ぱぁっと銀色の光が辺りを囲み、オリヴェルの腕の水疱はみるみる消えた。
「好きだよ、パウラ。
何度でも言うよ。
心から愛してる」
生きるか死ぬか、切羽詰まったこんな時に言うことか。
そう思うべきなのに、そうは思えない。
嬉しい。
傷だらけになりながら、パウラを腕に抱えて護るオリヴェルの苦し気な声が。その言葉が。
気づけば返していた。
「わたくしも……。
わたくしも大好きですわ、オリヴェル様」
瞬間。
まばゆい輝きが辺りを照らした。
金と銀の光。
よりあわされたリボンのような輝きが、瞬く間にオリヴェルを包む。
「どうして……?」
黄金竜の声は悲愴で、絶望の色に染まっていた。
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