第86話 火竜の試練、始まる

 火竜の試練は、南の大陸ゲルラ公国で実施される。

 ゲルラは北のヴォーロフと並んで、竜以外を始祖とする一族の多く住まう地を近隣に抱えていた地である。

 だから当然ながら、大小のもめ事が日常的に起こっている。

 治安の維持のためとの名目で騎士団を優遇した結果、所属騎士数は5公国中最も多い。槍、剣、弓、斧を得意とする騎士に魔術騎士、黄金竜の泉地エル・アディ付きにと請われるほどの高スキル者を揃えている。

 どの公国においても、騎士は誇り高い職である。

 けれどゲルラでは必ずしもそうではない。騎士のすべてが、大切にされるわけではなかったからだ。

 ゲルラ大公の下、かなり厳格な身分制を敷いたこの国では、騎士の身分は生家のそれに従う。つまり平民出の騎士は、どんなに高スキル者であろうとも、けして正騎士にはなれない。準騎士と呼ばれて一代限りの身分に甘んじ、公国のために命を賭けよと教育される。

 実力と名声には、本来名誉がセットであるはずで、そうでなければ不満が蓄積してゆく。

 だからゲルラの騎士、それも準騎士に自由な気風のヴェストリーへ亡命する者が多いのも、当然と言えば当然のことだった。

 


「たしか今回問題を起こした騎士も、準騎士だったわね」


 試練の儀と呼ばれる実践試験の課題は、おそらく前世と同じだろう。

 南の大陸の地図を広げて、パウラはその南の端、辺境に印をつける。

 白虎の里が、そこにある。


「あの人たち、開き直れば良かったのに。

 いざとなれば白虎の里に逃げ込んだって」


 一人で思考の整理を進める。

 準騎士とは、あきれた話だとパウラは思っている。

 騎士は技量と体力、それに精神がワンセットだ。

 この3つでのみ評価されるべきで、家柄や人脈は、あっても良いがなくても特にかまわないという程度のもの。

 準騎士は、厳しい訓練と試験を経て叙勲される。

 その段階で既に、技量、体力、精神は、騎士の評価基準を満たしているはずなのだ。


「まったく、ゲルラはなにもかもが時代遅れというか、古臭いというか。

 権威主義も結構だけれど、いい加減にしないと優秀な騎士が国からみんな出て行ってしまうわ」


 こんなだから、白虎族ともうまくつきあえないのだと思う。

 どっちが上とか下とか、どうしてそうやって順位をつけたがるのか。

 他人がつけた順位に、黙って従う人間ばかりではない。

 そんな簡単なこともわからないのかと不思議に思う。


 まあそういうパウラも、他人のことは言えないわけで。

 前世のパウラは、黄金竜オーディには逆らえないと、黙って数千年の飼殺し人生に耐えたのだから。

 過ぎてみないとわからないこともある。

 悲しいけれど、そんなものかもしれない。


 で、だ。

 過ぎてみてわかった今のパウラなら、今回の課題であるトラブルについて、前世とは別の解決策を出さなくてはなるまい。

 

「逃がしましょう。

 ヴェストリーへ、二人を逃がすのよ」


 もちろん二人に逃げる覚悟があるのなら、という条件付きではあるが。

 ゲルラと白虎、双方からの追手を振り切る程度の覚悟は要る。

 白虎の女は王族らしいから少し面倒かもしれないが、本人たちがその気なら、逃げて逃げ切れないことはない。

 二人の意思で逃げたとなれば、それ以上争いを続ける理由がない。それでももし続けようとすれば、黄金竜の泉地エル・アディからの仲裁が入るはずだ。


 それにこの課題については、前世と同じにしたくない理由がある。

 前世、この課題解決後に何があったか。


 セスランとエリーヌがしまった。


 聖女オーディアナ試験が、あの時実質的に終了した。


「二度はさせないわ」


 冗談ではない。

 自分の義務だと覚悟して、真摯に試験に向き合ったパウラをエリーヌは嗤った。

 飼殺しの聖女には、パウラの方がずっと相応しいと。

 義務に真摯に向き合ったこと、生真面目に責任を果たすこと。

 そういうまっすぐな生き方を、要領の悪いバカな生き方だと鼻先で嗤う。

 自分でもわかっている不器用さを嗤われて、前世のパウラはただ情けなく悲しかった。どうしてこう、貧乏くじを引く性分なのか、それでもなんでもないフリを装う自分は、どうしてこう意地っ張りなのか。本当はこうして、要領の良い誰かからいつも嗤われているのだろうにと。

 けれど今生は違う。いや、違わせなければ。

 そうでなければやり直した意味がない。

 不器用で意地っ張りだから、それがどうした。

 パウラがそれについてため息をつくのは良いが、他人から嗤われたり、まして利用されたりするものではない。


 エリーヌの武器は、無邪気で元気でかわいらしいフリを恥ずかしげもなく演じ切るその度胸だ。

 残念ながらパウラには、まったく太刀打ちできないスキルの高さである。

 だから同じスキルで競ってはいけない。

 競うなら、無邪気さやかわいらしさが偽物であると、間接的に気づいてもらえるように努力すれば良い。

 特にパウラは何かする必要などない。淡々となすべきことをしていれば、それでエリーヌのメッキははがれるはずだ。その程度のメッキにセスランが気づかないはずはない。

 と、ここまで考えて首を傾げた。


「それにしても、ああいうべたべたしたのが本当に好きだったのかしら?」


 今更ながら前世のセスランの選択を、パウラは不思議に思う。

 あの時はとにかくショックで、こんなことを考える余裕もなかった。

 けれど今あらためて思い返すと、あまりにも不自然なのだ。

 セスランは名門ゲルラの、4公家一気位が高いと言われるゲルラの男。言葉遣い、立ち居振る舞い、その教養、何もかもを揃えた貴公子中の貴公子で、その彼が礼儀の「れ」の字もないエリーヌにどうして惹かれたのか。気の迷いと片づけるには、あまりに無理があり過ぎる。

 

「人の心なんてね、外から見ただけじゃわからないものだよ。

 時に自分の心の中だって、わからなくなるものなんだから」


 父テオドールが、以前言ったことがある。

 セスランもそうなのだろうか。

 パウラに見せてないだけで、エリーヌには違う顔を見せていたのか。

 

「あまり良い趣味だとは思えないわ」


 ぽつんと口にして、蘇る前世の記憶、エリーヌの隣に立ったセスランの姿を否定する。

 別にパウラに認めてもらう必要など彼にはなくて、パウラがエリーヌをどう評価するかなど、それこそセスランにしてみれば余計なお世話で。

 なのにどうしてこんなに気に障るのか。

 教養も品もなく、無邪気なふりをして実は性悪のエリーヌなど、普段のパウラなら相手にもしないだろうに、なぜこんなに腹立たしい。

 ちりっと胸の奥に、小さな火がついたような、針でちくんと刺されたような感覚が気持ち悪かった。

 

 首を振って、パウラは現実に立ち戻る。

 感傷的になっている場合ではない。

 とにかく前世の再演は避けなければ。

 飼殺しの聖女になど、誰がなってやるものか。

 そのためには、あのエリーヌに好き勝手させてはならない。


 あの運命の夜、セスランとエリーヌを二人きりにしてしまった。

 あの愚は、2度と繰り返さない。


「二人きりにさせないことね。

 まずはそこからだわ」


 単純なことだからこそ、案外に難しい。

 けれどやるしかない。

 大きく息を吸って吐く。

 負けるわけにはいかないのだから。

 

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