第53話 一緒に行こう
どさくさ紛れに近い求婚は、とりあえず
けれどオリヴェルの登場は、少々のことでは動じない両親をかなり驚かせたようだ。
それはそうだろう。
この世と竜の世界とのはざま、
身分で言えばヘルムダール大公より上、その彼が膝をついて求婚したのだから。
最初こそ驚きで言葉を失った母アデラも、すぐに笑ってくれた。
「なるほど……。
そういうことか。
親としては、ますますなんとかしてこないといけないね」
「いいえお母様。
これはその……手違いというか、オリヴェル様が勝手に……」
嫌いではない。
けれど好きかと言われると、わからない。
だいいちパウラの意思も確かめず、いきなり求婚はないだろう。
「オリヴェル様、あんまりですわ」
本気で抗議するパウラに、オリヴェルはまるでとりあってくれない。
「こういことにはスピードが大事でね。
ヴェストリーにいる今、ここしかないってチャンスに、わたしがぼんやりしていると思うかい?」
さもさもこれが正しいと、ぬけぬけと言う。
「それに……さ。
竜后の件、母君一人で向かわせるのは反対だからね。
竜后に手向かうとなれば、相手は黄金竜オーディだと思った方が良い。
いくら母君が強くても、あまりにも無茶だ」
オリヴェルの言うことはもっともだ。
「仮にも義理の母となる方だよ?
パウラのためにも、きっとお護りするから」
いや、だから。
義理の母となるかどうか、まだわからないのだけど。
それでもなんだか胸がきゅっとする。
温かい熱が、じわりと身内を満たしてくれるようだ。
母や父、オリヴェルの愛情が胸に染み入るほどに、パウラは心を決める。
他人任せにして良いことではない。
これは自分の問題なのだから。
母や父、オリヴェルの背中に隠れて、事が終わるまで息をひそめていて良いはずがない。
「お母様、お父様、それにオリヴェル様。
行かなくてはならないのは、わたくしですわ。
嫌だと言って、もし罰を受けるとすればそれはわたくしの負うべき責任です」
ふぅとため息をついて、母はやれやれと首を振る。
「やはりね」と小さく口にして、父と視線を交わした。
「そう言うだろうと思っていたよ。
私がパウラでも、きっとそうするだろうからね。
けれど一人でやるわけにはゆかないよ。
パウラには、やつらと戦う手札がないだろう?」
母はどうしても同行すると言う。
そしてそれを、母至上の父も納得しているようだ。
「ヘルムダールの当主にしか持てない手札があるんだよ。
確かにこれを使うには、一緒の方が効果的かもしれないね。
わかったよ、パウラ。
一緒に行こう。
行って、あのとんでもないご先祖様を懲らしめてさしあげようか」
本来当主とその後継者は、万が一を用心して一緒には行動しない。
が、何事にも例外はある。
慣例にうるさい父も、今回ばかりは納得してくれたようだ。
けれどそこに男が加わるのは、容認しがたいようで。
「それならアデラとパウラだけで良いよね。
おそれながら聖使様には、
言葉遣いこそ聖使への礼儀を守っていたが、あきらかに牽制の色が見え見えの不機嫌な声の調子。
青い瞳は冷え冷えと凍りついて、ブリザードがひょうっと吹き荒れるかのようだ。
溺愛するパウラへ求婚した男となれば、それが聖使であろうと関係ない。すっかり敵認定されたようで、いつにもまして凄艶な微笑が恐ろしい。
けれどオリヴェルも、パウラをして父の同類と言わしめた男。
「風竜のお力に、すがらねばならないかもしれない。
事前に話は通してあるんだ。
いざとなれば、ご助力を賜るように。
わたしがいなくては都合が悪いだろう?」
うっすらと微笑んで、なんでもないことのように返した。
聖使でなければできないと言われれば、そのとおり。まして事前に話を通してあるとなれば、ヘルムダール大公の夫、元はヴァースキー公子でしかない父としては黙るしかない。
わかってはいても悔しいのはどうしようもないらしく、その視線は氷点下の温度で凍りついている。
「承りました」
「テオドール、心配するな。
ちょっと行ってくるだけだよ」
パウラと同じエメラルドの瞳が、この上もなく優しく愛し気に父に向けられて、そして白い指がその頬に伸びる。
「後のことを、頼んだよ」
頬に伸びたその手を引きつかみ、引き寄せて、父は最愛の女の身体を抱きしめた。
「いやだ。
後のことなど、私は知らない。
ヘルムダールが心配なら、君が直接指揮したら良い」
初めて見る男の顔をした父に、胸が震えた。
そしてその父の胸にすっぽり抱きかかえられている母の、泣いているような笑顔にも。
「私をおいていくなんて、許さない。
必ず、必ず帰ってくるんだ。
いいね、アデラ。
約束だよ」
母は何も返さない。
できない約束はしない母の、その生真面目さがパウラにはよくわかる。けれど今は、わかったと言って欲しかった。
空約束であっても、その言葉が今の父には必要なのだと、そう思えたから。
一度ヘルムダールの神殿へ戻ったパウラたちは、母の開いた銀色の魔法陣を抜けた。
白い光に目がくらみ、閉じた瞳を開いたら、見たこともない平原が広がっていた。
「ここが……」
見渡す限り草の原。さわさわと渡る風が、背の高い草をいっせいにそよがせる。
振り返ると、白亜の宮があった。神の気に満ちた佇まいに、ここが
「大丈夫だよ、パウラ。
私の傍から離れないで。
君は必ずわたしが守るから」
オリヴェルの大きな手が、ぐいとパウラの肩を抱き寄せる。
その温かさが緊張で尖った心のとげを溶かしてくれて、パウラはほっと息をつく。
「目的地まで一気に飛ぶよ」
オリヴェルの言葉と同時に、またぱぁっと白い光に包まれて、次の瞬間パウラと母、オリヴェルは、大きな寝台のある部屋にいた。
「ようやく来やったか」
耳のそばで囁くような、彼方の波音を聞くような、近くて遠い不思議な声。
高く、低く、年齢も性別もわからない妖しい声が、水面に広がる輪のように静かに空気を震わせた。
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