第7話 パウラ、ヤワラの道を目指す

翌日の午後、パウラの私室を訪れた女騎士は、左ひざをついてパウラの小さな手をとった。


「ナナミ・サンジョーと申します。

姫様には、どうぞナナミとお呼びください」


耳にかかる長さでカットされた黒髪に、よく光る黒い瞳をした彼女は、不思議な肌の色をしている。

濃いクリームのようなやや黄味のかかった肌色は、彼女がこの世界の人ではないのだとパウラに教えてくれる。


「珍しいですか?」


じぃっとみつめるパウラの視線に、こういう反応には慣れているのか、ナナミは苦笑した。


「私は違う世界から来た人間です、姫様。

ある日、気づいたら神殿にいたんです。

不思議ですけど…」


訪問者ヴィト>と呼ばれていたはずだと、パウラは思い出す。

オーディの気まぐれか、それとも別の理由か、ともかくナナミのような異世界人は100年に一度くらいの頻度でこの世界に現れる。

ヘルムダールであったり、他の4公国であったり、出現場所は決まっていないようだが、共通しているのは神殿に現れるということだった。

それにしても…。

前世の記憶に、ナナミの存在はまるでなかった。

母の近衛騎士だというのなら、目にする機会もあるはずで、しかもこれほど特異な外見であれば記憶に残りそうなもの。

前世とまるで同じじゃないってこと?

いやいやと、思い直す。

そもそもパウラが武術を習いたいなどと言い出したことだって、前世とまるで同じではない。

きっとナナミには会わなかっただけだ。



「どうぞお立ちください」


これより先は師匠となる女騎士ナナミに、パウラは彼女の手をとって立ち上がらせる。


「わたくしのほうこそ、頭を下げねばならないのです。

どうぞよろしくお導きください」


パウラは左足を斜め後方へ曲げると、深く腰を落とす。

飼殺しの未来を変えるために、ナナミの指導は絶対に必要なもので、これより先師匠と仰ぐなら最敬礼は当然のこと。


「あ、そんな…」


ナナミの焦った声が聞こえたが、すぐに考え直したらしい。

ほう…と、ナナミはため息をついた。


「姫様、そのお心はとても大切です。

礼に始まり礼に終わると、わたくしのいた世界では言われています。

戦う相手に敬意を持てとは、こちらの騎士道に通じるものがありますね」


パウラの小さな両手をすくいあげるようにして立ち上がらせると、ナナミはにっこりと笑った。


「畏れ多いことではありますが、今日より先、私は姫様の師として貴女様をご指導申し上げます。

ええ、喜んで。

姫様のお心、ありがたく頂戴いたします」




その後、ナナミは騎士の訓練場の奥へとパウラを連れて行った。

ヘルムダール城の最奥に近い練兵場の、隠されるように塀に囲われた小さな空間に、変わった建物がある。

1階建ての、横に長い直方体の建物の天井に近い箇所に、小さな窓がいくつも並んでいる。

引き戸式の扉は簡素なもので、それをナナミがからりと開くと、ふわりと清潔なワラのような香りがした。


「畳… 、マットのようなものですね。

投げ飛ばした時、飛ばされた時、ケガをしません」


黄金色の草で編んだマットが、床一面に敷かれている。


「靴をお脱ぎください」


畳と呼ばれるマットの手前に、20センチほどの段差があって、左手に脱いだ靴を入れるらしい木箱がおいてある。

パウラは言われたとおり、青い布でできた靴を脱いで、木箱にしまった。

初めての畳におそるおそる踏み込むと、わずかにふかりと沈んだ。

さらりとした感触が、裸足の足裏に心地よい。


「イグサという植物で編むのが本当なのですが、こちらにはないのでワラで代用しました。

けれどまあ、十分使えると思いますよ」


前世のパウラは、もっぱら魔法の修行ばかりをしていた。

もともと強力すぎるほどの魔力があるため、魔術騎士になれば良いと思っていたからだが、前世の「試練の儀」課題で思い知った。

不意に物理的な攻撃を受けた場合、発動の詠唱が間に合わない。

相手からの一撃目を、なんとかかわさなくては。

だいたいそんな感じのことをナナミに言うと、ここへ連れてこられた。


「柔術と言います。

武器は使いませんし、相手を傷つけることを目的とする武術ではありません。

自分の心と身体能力を鍛えるものだと、お心得ください」


生成りの厚ぼったいガウンのようなものを渡されて、着替えるように促される。

そこからは、もう…。

ここまでするかという感じの、修行が始まった。


ウケミとか言われて、転がる練習から。

手を伸ばして転んではだめ。

転ぶときは叩けと教えられる。

前に転ぶもの、後ろに転ぶもの。


「もう一度!」


厳しい声が飛ぶ中、100回は軽く転んだ。


その後はハラばいとか言われて、うつ伏せになった身体を肘だけで前進させる。

これを建物の端から端まで。

最初だからと20往復で許してもらえたけれど、肘はすりむけてピリピリしている。


最後は何事も基礎体力が大事と、走り込みだそうで。

城の裏門から2キロ先の森まで、ナナミについて走る。

とはいっても、6才の身体に本気のナナミほどの体力はないから、ずいぶん手加減をしてくれていたみたいだけれど。

ナナミが見せてくれた技というのを、いずれはパウラにも教えてくれるそうで、でもそのためには今やってる基礎訓練が大事なんだと厳しく言われる。


「何事も基礎が大事です。

今はとにかく、基礎訓練にお励みください」


稽古とかいうトレーニング中のナナミは、本当に怖い。

声を荒げたり怒鳴ったりするわけではないのだけれど、「はい」と答える以外ないような圧がある。

青あざとすりむき傷をたくさん作る、パウラの毎日がこうして始まった。


ヤワラの道は一日にしてならず。

パウラにはよく意味はわからないが、ナナミはそう言っていた。

とにかく先は長いと、そういうことらしい。

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