第82話 優しい毒
白虎の里から戻ったパウラは、深刻な顔をしてもう一度里に行くと言った。
理由を聞けば、白虎の女の衰弱がひどく放っておけないからと答えた。
「白虎の女?
争いの原因になった、王族
ゲルラが何かしたのか?
それとも里の者がなにか」
咄嗟に母を思い出す。
セスランを身ごもって、その後追われるように里から出された母を。
ゲルラも白虎も互いを忌み嫌っている。
何かされたとしても、不思議ではない。
「した……といえばそうかもしれませんけれど」
パウラは曖昧に答えて言葉を切った。
「どちらかといえば、彼女の問題ですわね。
ゲルラの騎士が心配でたまらない。
会えないのがつらい。
そんな感じに見えましたわ」
食事も水も摂らず、寝台に伏せたままなのだと言う。
大陸の東の端で、ゲルラの騎士と女は捕まった。
二人で他国へ逃げようとしていたらしい。
それを引き裂いたのは、互いの母国の者たちだった。
「彼女は口をきいてくれません。
時々ゲルラの騎士の名を呼んで泣いていますけれど、それ以外は誰が何を話しかけても、まるで聞こえていないように見えますわ」
自分がついていても仕方ないとはわかっているが、せめて何か口に入れやすいものを持って行ってやりたいのだとパウラは言った。
「白虎と竜と、遠い昔には婚姻もあったと聞きますのに。
見逃してさしあげることが、どうして難しいのでしょうね」
ほう……と重い溜息をついて、パウラは布袋を取り出した。
赤や緑のリンゴ、ヴェストリー産の高価なオレンジがいっぱいに入っている。
「では私も行こう」
そんなことになっているのなら、里は殺気だっていることだろう。
竜族の姫が一人で出向くなど、危険極まりない。
パウラに危害を加えるなら、里ごとすべて燃やし尽くしてくれる。
1人意気込んでいたところに。
「アルヴィド様に、もうお願いいたしました」
ごく自然に、さらりとパウラは口にした。
先ほど護衛を頼んだ、その流れでこれもお願いしたのだと。
『だって今日、パウラは誰と一緒にいるんですか?
セスラン様を誘いませんでしたよね?』
エリーヌの声が脳裏を
「そうか……」
どんな感情も出してはいないはずだ。
セスランは気力を集めて、無表情を保った。
アルヴィドを選ぶのか。
セスランでは、なぜダメなのか。
とりすがって聞きたい思いを飲み込んで。
『いずれセスラン様は、はっきり要らないって言われます』
本当の事だ。
そして本当のことは、いつもとても残酷だった。
「セスラン様、だからわたし、言ったじゃないですか」
パウラたちが出て行った後、セスランの側にはエリーヌがいた。
私室にあてられた天幕に、勝手に入ってきた無礼をこの時のセスランは咎めなかった。
エリーヌの小さな手が、セスランの左の膝に添えられる。
「ね、セスラン様。
パウラにはアルヴィド様しか見えてないんです。
名門の竜同士だもん。
気が合うんですよ」
エリーヌは優しげに寄り添いながら、セスランの耳に毒を注いでゆく。
「痛いですよね?
悔しいですよね?
とっても悲しいですよね?」
エリーヌの指がセスランの頬にかかる。優しくそっと撫でながら、大きな緑の瞳でじぃっとセスランを見つめる。
「セスラン様は何も悪くないんです。
セスラン様はそのままで素敵なんです。
わたしはそのままのセスラン様が、大好きなんですから」
毒薬が心にしみてゆく。
心の奥底にまで染み渡った時、セスランの思考は麻痺していた。
「セスラン様」
エリーヌがその柔らかい唇をセスランのそれに重ねた時。
セスランの理性は、完全に崩れ落ちた。
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