第15話 パウラ、対象外ならイケるのに


臭いでバレるからと、パウラは少年を風呂に入れた。

随分長く身だしなみに気を使えなかったのか、ひどい臭いがしていたからだ。

刃物の類いはすべて片付けるように、メイジーに言ってある。

パウラ付メイドのメイジーには、絶対の信頼があった。

彼女であれば、けして口外はしない。

だから少年の世話も安心して任せた。

さすがにパウラ自身で、彼の入浴を手伝うのはやめた方が良いと思ったから。


白虎族の長を、族長と呼ぶ。

けれどそれは黄金竜を敬うこちらの使う呼称で、白虎族の長ならば「王」と呼ばれるのが普通ではないのか。

息子である少年も、王子ということになる。

おそらく彼も、故郷では王族としての扱いを受けているだろう。

その彼が、言ってみれば敵国の王族に身体を触れさせたがるとは思えない。


(ここは任せておくべきよね)


自分に言い聞かせて、少年の着替えを待つ。

父は約束どおり、見て見ぬフリをするつもりらしく、居間の長椅子で本を読んでいた。


「姫様」


メイジーが抑えた声で知らせる。

すっかり綺麗に整えられた王族の少年が、そこに立っていた。






「わたくしはヘルムダールの公女パウラ。

それからあちらで本を読んでいるのは、父よ」


威嚇こそしてこないけれど、サファイアブルーの瞳に警戒中のランプがちかちか点滅している。


「あなたは白虎の王族ですわね?」


ピクりと、彼の頬が動く。

白いまつ毛に縁どられた瞳を見開くようにして、パウラをじっと見る。


「そ…うだ」


「なぜこんなところにいたか、聞いても良い?」


瞬間、少年は顔を歪めて声を荒らげた。


「バカか、おまえは!

オレがこんなとこに、あんなザマでいるわけなんて決まってんだろう。

捕まったんだよ、アイツらに」



その後渋る彼をなだめすかして、なんとか聞き出した経緯を要約すると、一人でお忍び道中に出た挙げ句、正体がバレてゲルラの兵に捕まったんだそうだ。

バカかと、さっきパウラにかみついた彼に、「あなたこそね」と言ってやりたい。

一人で故郷を出る?

無鉄砲にもほどがある。


「それでわかりましたわ。

あなたの国から、あなたを返せと言ってきてるんでしょうね。

多分、あまり優しくない言い方で」


パウラはため息をついた。

ゲルラ公家が今、このタイミングで、自らすすんで白虎族と諍を起こすとは思えない。

明日には火竜の祭典を控えている。

公国の威信にかけて、祭典をしくじるなどあってはならないはずだから。

それなのに揉め事、厄介ごとは起きて、大公や公子はその対応に追われている。

すべてこの王子が原因か。


「さっさとオレを逃がせ。

オレさえ戻れば、おさまるだろ?」


ふぃっと顔を背けて乱暴に言い放つ彼に、パウラは首を振って見せた。


「ここを出ても、城を出る前にまた捕まるわ。

そうしたらわたくし達も困る。

恩人に迷惑かけたくないわよね?」


ゲルラの国内事情にヘルムダールが首を突っ込んだと言われるのは、かなりまずい。

かと言って今さら放り出すこともできないから、このまま事がおさまらないようなら、衣装ケースに隠してヘルムダールへ連れて帰ろうか。

ヘルムダールからこっそり、送り返せば良い。


けれどそれでは王子を捕らえた挙げ句、行方不明にしてしまったゲルラの面目はまる潰れになる。

それにヘルムダール経由で王子が帰郷したなどと、いつまでも隠し通せるはずもない。

首を突っ込んだことがバレバレになって、ゲルラの恨みを買うことになるだろう。


う〜ん。

なんとか穏便に済ませる方法はないものか。






「聖使様に使いを出そうか。

夕食をこちらでご一緒にと」


ここまで黙ったまま本を読んでいた父テオドールが、顔を上げた。


「ナナミに頼もう。

メイジー、伝えてきてくれないか」


ナナミを使いに出した後、父テオドールは初めて王子に声をかけた。


「まず君は、名乗らなければね。

助けてもらった礼も、済んではいないようだけれど」


銀青色のさらさらの髪に、海の色の瞳。

女性だと言われても通るだろう優しげな美貌の父は、笑っているのか怒っているのかわからない、不思議な微笑を浮かべている。


「それとも君は、礼儀をまるで知らないの?

やはり蛮族…というところかな」


「な…んだと?」


王子の白い頬にカッと血が上る。

キュッと目を閉じて、パウラの前で膝を折る。

胸に手をあてて頭を下げた。


「オレはアルカラスの第一王子、ヴィート・デ・アルカラス。

世話になった。

礼を言う」


「ヴィートと呼んで良い?」


やはり王子と名乗った。

誇り高い白虎の王族ではあるが、「様」をつけるには抵抗があった。

蛮族だからではない。

おマヌケでアホすぎる王子に、様は似合わない。


「じゃあオレは、パウラと呼ぶ。

それなら良い。

ヴィートと呼べよ」


サファイアブルーの目元が、紅く染まっている。

やや早口に投げ出すように応えて、ぷいとヴィートは顔を背けた。


(あ、これはキたわ)


パウラにでもわかる。

ヴィートは、パウラを悪く思っていない。

この反応、こういう素直な反応が、攻略対象からはなかなか得られない。

複雑な心境である。





急ごしらえの夕食のテーブルには、いったい何人が食べるのだと言いたくなるほど多くの皿が、所狭しと並んでいた。

せっかくの来訪を出迎えもしなかった無礼のお詫びだと、ゲルラ大公からの伝言が添えられている。

当初歓迎の晩餐会が予定されていたが、それもこの騒ぎで中止、せめて料理だけでもと運び込まれたものだった。


「聖使様、おいでになりました」


扉の向こうで、先触れの声がする。

パウラと父は腰を落とした最敬礼の姿勢を作り、入ってくる人を待つ。


「聖使様にはわざわざお運びいただき、お礼を申し上げます」


パウラが定型の文句で出迎えると、下げた頭の上で空気が変わる。


ぴきん。


薄い氷にヒビが入るような音が、聞こえたような。

気のせいか。


「セスラン。

そう呼んで欲しいと、言ったはずだが?」


そこにこだわるか。

定型の挨拶だから、仕方ない。

なんと言われても、ヘルムダールの公女としては、最初の最初からフレンドリーにくだけては、ダメだろう。

後でだんだんに緩めるのは、あり。

相手がそれを望むのなら、そうした方が礼にかなうから。

礼儀作法に厳しいセスランに、それがわからないはずはないのに。

うかがうように見上げると、触れんばかりの間近に翡翠の瞳があった。


「私に頼みがあるのだろう?

ならば先に、パウラが私の願いをかなえなくては」


下心は、しっかり見透かされていた。


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