第50話 敵わない

(まあ、こうなるだろうね)


 赤くなって固まったままのパウラに、オリヴェルは唇の端をわずかに上げる。

 彼自身、今日の今日まで、自分の気持ちがこんなに募っているなど思いもしなかったのだ。

 あの時。

 パウラが競技場に立ったあの時、その姿に見惚れるアルヴィドの熱を見て。

 オリヴェルの中にあった思いが、ぱんと音をたてて弾けた。


(見るな)


 そう思った自分に気づいて驚いた。

 けれど同時に、「ああそうか」とも思った。

 惹かれていたのだと、そう認めればなにもかもがすとんと落ちる。

 あの日、12歳のパウラに初めて出会ったあの日から、護衛騎士を姉のようだと言う彼女に、抗いつつ惹かれていた。

 それはオリヴェルが求めてやまない言葉で、血のつながった家族からは得られなかったもの。

 誰かに言ってほしかった。

 ここにいて良い。

 あなたが大切なのだと。


 それでもすぐには受け容れ難くて、そんなきれいごとをと抗い続けたオリヴェルに、ナナミは言った。


「今の自分を、わたくしは不幸だと思っておりませんから」


 故郷にほぼ戻れぬことはわかっていただろうに。

 彼女は、鮮やかに笑っていた。

 それは言葉どおり彼女の現在が、それなりに満たされていることを意味していた。

 すべてではないだろう。

 けれどナナミを満たした要因の1つに、パウラからの愛情も含まれているのは確かだった。

 なんの見返りも求めず、ただ自分ができることのみを考える。

 そんな愛情を与えられるパウラがまぶしくて、そしてその愛情を向けられる対象が妬ましかった。

 

 あの時、既にオリヴェルは落ちていた。

 今ならわかる。

 だから嬉しかったのだ。

 初めてオリヴェルの心に触れようとしてくれた、パウラの言葉が。


「人を貶めて自分を優位にしようとする卑しい悪意に、素直に下ってやる必要がありまして?」


 騎士になれなかった自分を、どこか引け目に感じていた。

 では心から騎士になりたかったのかと自分に問うと、それは違うといつも思っていた。

 けれどそう思うそばから、冷笑を含んだ声がかけられる。

 

 ならなかったのではない。

 なれなかったのだ。

 

 蔑んだあざ笑うような顔をした兄から。

 

 大公家の直系として、あるまじきこと。

 情けないことだと。

 

 それをパウラは否定した。

 それは違う。

 兄こそが卑しいのだと。

 なぜ彼女は、一番欲しい思いがわかるのか。

 

 


 認めてしまうと、途端に焦り始めた。

 相手は聖女オーディアナ候補、しかもほぼ確定のガチガチの本命である。

 聖女オーディアナとは、つまり黄金竜オーディの花嫁、側室のことだ。

 本来好意をもつことなど、もってのほか。

 けれどオリヴェルを含めた聖使たちは、だからどうしたと開き直っている。

 セスラン、シモンあたりは、その思いを隠そうとすらしていない。

 さらについ先ほど見た、アルヴィドの惚けたような顔を思い出す。

 

 このままではマズい。いかにも分が悪い。

 何しろオリヴェルは、彼女にその思いの片りんすら伝えていないのだから。


 黄金竜の泉地エル・アディに上がる前、上がった後にも、恋の真似事の機会には不自由しなかった。

 それなりに整っているらしい彼の容姿や、表向き陽気で粋な性格が、釣り餌となって良い仕事をしてくれる。

 釣果ちょうかはいつも量だけは抜群で、とりあえずその時その場の身体の渇きは収まったものだ。

 どう誘えば喜ぶか、どう扱えば楽に落ちるか。

 回数を重ねれば、そんなつまらぬことばかり学習する。

 

(まったく情けない!)


 初恋を知らず、身体だけ大人になったオリヴェルには、本当に恋しい相手にどう接するべきかまるでわからなかった。

 パウラを喜ばせて、オリヴェルに好感をもってもらって……。

 10代の少年のような幼いステップを頭の中に思い描いて、即座にそれでは間に合わないと首を振る。

 焦りだけが募り降り積もり、そして本音がこぼれた。


「わたしがイヤだからだよ。

 これ以上誰かの目にさらすの、わたしがイヤなんだ」


 口にして、オリヴェルは内心で目を覆う。

 なんと、稚拙なことば。

 野暮の骨頂、身も蓋もない。






「好きだよ、パウラ」


 赤くなって固まったパウラを抱きせて、耳元で囁いた。

 もういろいろ考えても仕方ない。

 オリヴェルの書庫には、本気の恋の扱いマニュアルがないのだ。

 感じたまま、思いのままを素直に口にする。

 直球勝負と決めた。


「聖女オーディアナ、パウラは嫌なんだろう?」


 腕の中のパウラが、びくりと震えた。


「見てればわかるさ。

 わざと手を抜いてるってくらい」


 バレていないと思っていたのか。

 みっともなくない程度、試験の品位を汚さない程度のレベルは守りつつ、突き抜けて素晴らしい成績にもならないように。

 そんなかわいらしい手抜きに気づかぬ聖使は、一人もいない。


「無駄だよ。

 そんな程度でパウラの優勢はひっくり返せない。

 というより、この試験はパウラの聖女ありきなんだから」


 そもそもが出来レースだった。

 黄金竜オーディは「わたしたち用」の楽しみとして与えただけで、最初からエリーヌを聖女にするつもりなどない。

 だから少しばかり手抜きをしたところで、聖女オーディアナからは逃げられない。

 腕の中にあるパウラの身体が、さらに固くなった。

 小刻みの震え。

 けれど怖れではない?


「では嫌だと、直接言いますわ」


 白い顔が上げられて、ややつり気味の緑の瞳がオリヴェルを映した。

 2つのエメラルドが、おさまりがたい怒りに煌めいている。


「そうでなければ、いっそ脱走ですわね。

 仕方ないであきらめていたら、また同じことの繰り返しですもの」


 黄金竜オーディの召喚を、その宣旨を、なんとも不快そうに。

 鼻先にしわを寄せて、ふんと不敵に笑う。

 いっそ清々しい。

 

 が、何かひっかかる。


「同じことって?」


 ふぅと小さく息を吐いて、パウラははっきりと答えた。


「わたくし、これが2度目の人生ですの。

 やり直しのために、時間を遡ったんですわ」


 オリヴェルは息を呑む。

 けれどすぐに、ああそうかと落ちた。

 不思議と驚かない。

 どこかでなるほどと納得する。

 

「飼殺しの竜妃なんて、まっぴら。

 ここでいい子になったら、やりなおした意味がありませんもの」


 きっぱりと言い切った。

 

 だめだ。

 敵わない。

 なんとしてもその望みをかなえてやりたいと、心から思う。

 誰が邪魔をしても、誰を敵に回しても、オリヴェルは彼女を護りたい。


「いいね。

 その話、わたしも乗るよ」


 ほんの少しびっくりしたような顔のパウラを、オリヴェルはもう一度抱き寄せた。

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