第85話 私の唯一だ

「明日の祭典ではこの身に過ぎた大役を賜り、畏れ多い限りでございます。

 聖使様」


 小さなパウラが、セスランの前で綺麗なお辞儀をしている。

 夢にまで見た細い銀糸の髪、エメラルドの瞳。

 幼くとも確かにパウラ・ヘルムダール、セスランの竜の姫だ。

 それにしても今、彼女はセスランをなんと呼んだのか。

 聖使の名を呼ぶことは不敬にあたるから、彼女の呼びかけは礼にかなったものだ。

 けれどセスランは気に入らない。

 心に決めた唯一に、なぜ名前を呼んでもらえない。


「セスランと、呼んでくれないのか」


 どうしようかと戸惑い考え込む様さえ、愛おしい。

 小さなパウラは迷った末、思い切ったように口を開く。


「セスラン様」


 しびれるような歓びが、セスランの全身を貫いた。

 

「それで良い」

 

 名を呼ばれてわかる。

 間違いなく、パウラこそセスランの唯一だ。

 パウラ以外に、この名を呼ばれたくはない。

 今後、許可なくセスランの名を呼ぶことを禁じようかと、真剣に考える。

 黄金竜の泉地エル・アディへ戻ったら、神官に伝えようと決めた。




 その夜の晩餐会は、とりやめになった。

 パウラとの食事を楽しみにしていたセスランには、ただでさえ残念で不機嫌になることだったが、その理由を聞いた途端、その不機嫌度はさらにひどくなる。


(白虎の王族が捕らえられている?)


 どうやら白虎の王子がふらふらとゲルラ領内を歩いているところを、ゲルラの兵に捕らえられたらしい。

 なんと愚かな。

 敵地といって大過ないゲルラに、王族が、単身で乗り込む。

 狂気の沙汰、阿呆だ。

 セスランにも流れる血ゆえに、余計にイライラとする。

 その阿呆が、パウラにかくまわれているらしい。

 パウラ護衛騎士からおおよそを聴き出して、表面上は平静を保ちつつパウラの部屋へ急いだ。


 確かに白虎の王族だった。

 白い髪、サファイヤブルーの瞳は、まごうことなき王族の証である。

 まだ幼いと言って良い少年だったが、いやしくも王族であるなら己の軽率な行動が何を意味するか、そのくらい考えられなくてどうする。

 セスランの視線は、どうしても冷え冷えときつくなる。

 パウラの願いはわかっていた。

 この阿呆を、無事になんとか故郷へ帰してやってほしいというのだろう。

 ゲルラの面目を潰すことなく、円満に。

 唯一と決めたパウラの願いなら、セスランはどんなことでも叶えてやるつもりだった。

 

「パウラの頼みなら、どんなことでもかなえよう」


 だからそのままを口にしたところ、パウラは目を見開いて固まった。

 まだ願いの内容を言ってないのにと、戸惑っているようだ。


「パウラの頼みであれば、私はかなえる。

 どんなことでもだ。

 だから気にせずとも良い。

 詳細を話せ」


 安心せよと笑ってみせると、パウラはぽっと頬を染める。

 この表情かおのためなら、何度でも願いをかなえたいとセスランは思う。

 そしてその願いの詳細を聴いて、パウラが白虎を特別に思っていないことを知る。

 蛮族と蔑んでいるわけでも、反対に好意をもっているわけでもない。

 彼女の身の回りにいる者と、変わらぬ扱いをしているだけだ。

 セスランの胸に、前世にも増した熱がたまってゆく。

 白虎も竜も、パウラには同じ。

 自分の目で見た個がすべて。一族という集団で判断することはない。


(どうしてこんな簡単なことが見えなかったのか)


 胸の熱のやり場に困りながら、セスランは愛おしい彼の唯一を見つめる。

 彼女が望むなら何でも差し出そう。

 たとえそれがセスラン自身でも。

 蕩けるような視線を唯一に注ぐセスランの前で、白虎の王子がセスランと同種の視線をパウラに向けていた。


(見るな)


 声に出さなかった自分を、セスランは褒めてやりたいと思う。

 想って焦がれて、あきらめて逃げた末に、ようやくたどり着いた彼の唯一を、他の男が視界に入れることなど許せるはずもない。

 白虎と竜と、共に唯一に向ける愛は重すぎるほど重い。

 セスランはその2つの血を合わせ持つのだから、その重さは他の竜や白虎の比ではない。

 加えて拗らせた月日の長さ分だけ、さらに重くなっている。

 その自覚は十分にあった。


 ともかくもパウラの願いを十二分にかなえたセスランは、すべてが終わった後でパウラに告げた。


「これは貸しにさせてもらうぞ」


 セスランの愛しい唯一は、エメラルドの瞳を見開いて、その後うろうろと目を泳がせている。


「次に会う時、返してもらおう。

 楽しみだ」


 次に会う時、その時をセスランは知っている。おそらくはパウラも。

 9年の後。

 ここまで待ったのだから、9年くらいなんということはない。

 そう思おうとする傍から、一分たりとも待ちたくないと心が叫ぶ。

 けれど遡った時間軸で、その先の未来を大きく変えようとするのなら、その途中をあまり早くに変えてしまうのは賢明ではない。

 あまり早くに仕掛けると、黄金竜オーディの邪魔が入るかもしれない。いやきっとそうする。ヤツは飼殺すために、パウラが必要なのだから。

 耐え難く辛いことではあるが、ここは9年、じっと待つのが正しい選択だろう。

 胸を撫で、なんとか了見しようとセスランは努めた。


 だが結局のところ、我慢は続かなかった。

 

(会わなければ良いのだろう)

 

 そう言い訳をして、お忍びでパウラを見に行ったのは言うまでもない。

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