第84話 次は間違うな

 海が消えていた。

 ふわふわと浮遊する感覚に、セスランはここが現世の空間ではないと気づく。

 白い光に包まれて、春の陽だまりのように暖かく心地よい。


「来るだろうと、待っておったわ」


 セスランの前に、白いトーガの青年が姿を現した。

 白く長い髪を無造作に垂らした彼は、目の覚めるように鮮やかなサファイヤブルーの瞳をしていた。


「我からは動けぬのでな。

 そなたが自ら来るように、そなたの心を少しだけ操った。

 許せ」


 低く穏やかな声は、ついさっきセスランの頭の中に直接響いたものと同じ。

 人ではないのだとわかる。

 そしてこの容貌、白い髪にサファイヤの瞳。


「あなたは白虎所縁ゆかりの方か」


 所縁とは、おそらく不敬だろうと直感しながら、控えめな表現に留める。

 この気配が、ただの人のものであるはずがない。

 おそらくは始祖、その人。


「今、そなたが胸の内に思うたものが正解だ。

 昔、竜と争って敗れた白虎の長。

 見よ、このざまを。

 情けなや。

 黄金竜オーディに封印されて、ここから出ることすらできぬ」


 その人は笑っている。

 口で言うほど、情けないとは思っていないらしい。


「我に力があれば、それをたのみに一族は争いを起こす。

 昔、竜と争ったのも我が一族をとめられなかったからだ。

 それを思えば、無力であることも悪くはないと思うておった」


 豊かでなくともまずまずの平和であったろうと尋ねられて、セスランは頷く。

 小さな紛争は絶えずあったけれど、一族がことごとく死に絶えるような大きな戦は起こっていない。

 だがその代わりに、失ったものもある。

 先祖伝来の領土、白虎族の名誉。

 竜に虐げられ、蛮族と蔑まれ、辺境で細々と生きてゆかねばならない。


「そうだな。

 それに気づいたのは、そなたと母を見た時であったよ。

 そなたの母は、最期までそなたを案じていたぞ。

 そして我に願った。

 そなたをどうか見守ってやってほしいと。

 だからそなたを呼んだ。

 昔の負け戦の割を食ったそなたに、詫びの1つも言わねばと思うての」


 詫びてもらっても、いまさら仕方ない。

 ほうっておいてほしいだけだと、セスランは首を振った。


「もうおかまいくださいますな。

 私はただ静かに暮らせれば、それで十分です」


「そなたが欲しいものを、手に入れてやると言ってもか?」


 サファイヤの瞳が、いたずら気に輝いている。


「正確には、手に入れる機会をやる……というところだが」


 欲しいもの。

 そう聞いて、すぐに浮かんだのは銀の髪をした竜の姫。

 けれど到底かなわぬ夢だ。半竜である自分に、けして彼女は得られまい。

 たとえ何度生まれ変わったとしても。


「御身の血を継ぐのは、この身の半分です。

 残る半分は、竜の血。

 白虎でも竜でもないこの身に、得られる方ではありません」


 頑なに首を振ると、サファイヤの瞳が不思議そうにセスランを覗き込む。


「おかしなことを言う。

 そなたは竜であり、白虎でもある者ぞ。

 それも竜の中の竜たるゲルラ公家と、白虎のしかも王族の血を継ぐ者。

 2つの一族において高貴なる存在など、めでたいことこの上ないではないか」


 竜でもなく、白虎でもないと、そう自ら嘆いてきた。

 けれど始祖は言う。

 竜であり、白虎でもある。

 それはめでたいことなのだと。

 知らぬ間に、涙がこぼれていた。


「すまぬ。

 そなたに辛い思いをさせたのは、我の不明だ。

 詫びと言っても、そなたには遅いと言われるだろうが、せぬよりは良い。

 もう一度、かの姫と出会いからやり直す機会をやろう」


 転生させてやると、始祖は言った。


「かの姫も、どうやら転生を望んだらしい。

 黄金竜オーディに飼殺されて、嬉しかろうはずもない。

 かの姫の時間軸に合わせてやろう。

 セスラン、次は怯むでないぞ」


 始祖はセスランの両の肩に、ぽんと手をかけた。

 

「もう一度言っておく。

 そなたは竜でもあり、白虎でもある者ぞ。

 おのが価値を、間違えるでない」


 次第に遠くなる声。

 白い光。

 暖かい空気。

 ふつりと切れて、漆黒の闇に放り出される。

 やがて眩しい白い光がセスランを包み、その身体を押し出して。


 そこは懐かしい黄金竜の泉地エル・アディであった。


 戻ってきたとすぐにわかる。

 身に着けた衣装、装身具の1つ1つが、すべて聖使であった頃そのままである。

 問題は、いつの時点かであった。

 できれば、聖女選抜試験の始まるずっと前であればと願う。


「ゲルラで火竜の祭典がございます。

 セスラン様には、お出ましのお仕度をお願いいたします」


 聖使付きの神官の声に、かぶせるようにして聞いた。


「竜后役はヘルムダール大公か。

 大公の御名は?」


「今年はヘルムダールの公女が、竜后役をなさいます。

 御名は……パウラ様と伺っております」


 白虎の始祖に心から感謝した。

 ヘルムダール公女のパウラに会える。

 前世にはなかったことだ。

 セスランの転生でなにかが狂ったか、それともパウラの転生でか。

 いずれにせよ、新しい出会いがこれから始まる。


 もう間違えない。

 逃げた先に何があるか知った今、もう二度と自分の気持ちをごまかすことはしない。

 パウラを必ず妻にする。

 相手が黄金竜オーディであっても、けして譲らない。


 ゲルラ公国火竜の祭典で、セスランはパウラに出会う。

 パウラ8歳の秋のことであった。

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