第45話 夢を見たいのは 

 黄金竜の泉地エル・アディへ上がってから数百年が過ぎた頃。

 おそらくは次期の聖女オーディアナになるだろう、ヘルムダールの姫君に会った。

 風竜の祭典に招かれるのはいつものことだったが、ヘルムダールからの出席者はいつも当主の大公と決まっていた。後継ぎ公女が当主代理で参加するのはとても珍しいことで、どうしたことかと不思議に思ったものだ。

 その公女パウラ・ヘルムダールは、印象的な少女だった。


 ヘルムダールらしい銀糸の髪はさらさらと流れるようで、陶器のような肌は透き通るように白い。

 聖紋オディラ持ちの証、緑の瞳はまさに宝石だった。

 透明感のある美しいエメラルドが、オリヴェルをじっと見つめている。


訪問者ヴィトについて……というよりも。

帰る方法を、もしあるのなら、お教えいただきたいのですわ」


 オリヴェルに尋ねたいことがあるのだと、彼女は言った。

 傍に控える護衛騎士のためらしい。

 一目で訪問者ヴィトだとわかる護衛騎士は、珍しい黒い髪に同じ色の瞳をしていた。


 おおよそ百年に1度と言われる異世界からの訪問者の存在を、当然オリヴェルも知っていた。

 ここヴェストリー公国では、彼らの知識から商品化したものを数多く扱っている。

 オリヴェルの変装用「こんたくとれんず」も、その1つ。

 異世界からやってきた彼らは、最初こそショックを受けて「帰りたい。帰してほしい」と言い続けるが、そのうちあきらめてこの世界になじんでゆく。

 元の世界へ帰ったという記録を、オリヴェルは知らない。


「私の知る限りだけどね。

帰った訪問者ヴィトは、いない」


 望みを持たせては、かえって酷だと思った。

 早々にあきらめて、この世界での立ち位置をしっかりさせた方が良い。

 ちらりと護衛騎士の表情をうかがえば、特に落胆した様子もない。

 かなりの精神力だと、感心する。


 どちらかといえば、パウラの方ががっかりしていた。

 小さな肩を落として、表情を曇らせる。

 それがオリヴェルの興味をひいた。


(この子はどうしてこんな顔をするんだろう。

身近にあるとはいえ、ただの護衛騎士だろうに)


 だからかもしれない。

 普段他人のことにはほとんど興味のないオリヴェルが、パウラを街歩きへ誘った。

 目的もなくただあちこちを見て回るだけの街歩きは、パウラには初めての体験だったようで、好奇心に輝くエメラルドの瞳が、つい先ほどまでとは別物のように生気に溢れていた。

 楽器の並んだショーウィンドウの前で立ち止まり、竪琴をずいぶん熱心に見つめていたかと思えば、隣の古道具屋の壺に興味を示したりする。

 珍しくて楽しくて仕方ないと、側で見ているだけでもわかる。


 イチゴとカスタードのクレープを差し出すと、初夏の日差しのような笑顔がぱあっと輝いた。

 疑うこともせず口にするパウラに、護衛騎士が慌てた様子を見せる。

 

「君が疑いもしないから。

 真面目な騎士だね」


 振り返って護衛騎士に申し訳なさそうな顔をするパウラに、オリヴェルの口元はほころぶ。

 こちらの世界へ招かれたのは突然で、まるで常識の違う身の回りの様子にわけのわからぬまま過ごしてきたのだろうナナミが、真心をもってパウラを護ることも、パウラがナナミにすっかり心を許していることも、オリヴェルとは無縁の温かな情景で自然と微笑が浮かんでしまう。


「とても大切な、姉のような存在です」


 けれどその一言が、オリヴェルの胸に沈んだ鉛の塊を引上げた。

 

 姉……。


 実の姉のようとは、とても大切に思うということか。

 姉とは、そんなに大切に思わなければならないものか?

 

 ただ同じ親から生まれただけ、血のつながりがあるというだけの存在に、どれほどの意味があるのか。

 殺したいほど憎いとオリヴェルを呪い続けたのは、血のつながった実の兄であったのに。


 家族は愛し合うもの、優しく慈しみ合うもの。

 この少女は、単純素朴にそう思い込んでいるのだろうか。

 きれいなものしか見えない、まっすぐなその思い込みが、オリヴェルをイラっとさせる。

 

「ないこともないんだよ?

 さっき私に聞いた、帰る方法だけど」


 ないこともない。

 パウラが聖女オーディアナになったら、わかるだろう。

 その時パウラはどうするのか。

 自分の未来と引き換えにしても、それでも「姉」を元の世界に返すことを選ぶか。


 見せてもらおう。

 意地の悪い思いを抑えて、できるだけ優し気に微笑んだ。


 わが身より他人を選ぶ者が、この世にあるはずもない。

 この汚れないまっすぐな少女も、きっとその時わが身を選ぶ。

 そして知れば良い。

 自分の中にある利己的な思いを。

 誰かが自分のために犠牲になるのは良いが、自分が誰かの犠牲になるのは嫌だと思う醜い自分を知って、おめでたい夢から醒めるが良い。

 

 だがパウラの陶酔につき合わされて、淡い期待を抱かされるナナミには、同情を禁じえない。

 良い迷惑だ。

 わけのわからぬ世界に連れてこられて、おまえはもう戻れないと言われる。

 驚き、不安、やみがたい望郷の念は、いかばかりだろう。

 きれいなものだけを見てきた少女がおめでたい夢をみるのは勝手だが、せめてナナミの精神的被害は最小限にとどめてやりたい。

 だから素早くナナミに近づくと、そっと耳打ちをした。


「君は早くあきらめた方が良い。

 恨んで当然だとは思うけど……」


「恨む?」


 少しだけ目を見開いたナナミが、意外そうな声と共にオリヴェルを見上げる。


「たしかに驚きましたし、戸惑いもしましたが……。

 少なくともヘルムダールの皆様を恨んではいませんよ」


 愛しげに目を細めて、主人であるパウラに視線をやった。


「今の自分を、わたくしは不幸だと思っておりませんから」


 今度はオリヴェルが目を見開く番だった。

 

「そう。

 余計なことを言ったね」 


 夢を見続ける主人と護衛騎士に、甘いことをと嘲りながらも、きゅっと絞られるように胸が甘く痛んだ。

 

(私はなにを期待しているんだ。

 懲りもせず。

 また失望するに違いないのに)


 目の前で交わされる優しく温かい視線を、否定したくてそうできなくて。

 落ち着かない不安定な気分なのに、不快ではない。

 その事実が、オリヴェルを不機嫌にさせた。

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