第94話 大団円の少し前

「姫様、聖騎士選抜試験の願書でございます」


 トレイに山盛りの書類を抱えて、ナナミが竜后の執務室へ入ってきた。

 黄金竜オーディの代替わりが世に宣言されて、同時に黄金竜の泉地エル・アディへの遷都も布告されてから1年が経つ。

 ナナミは故郷へ戻ることを辞退して、竜后付きの護衛騎士を務めている。


「予想以上の応募者です。

 選抜試験の日数を見直す必要がありそうですね」


 


 セスランが黄金竜に即位した後、白虎や銀狼の始祖封印を解くか否かの協議があった。

 水火風地の4竜、それにセスラン以外の3人の聖使とを集めて、繰り返し繰り返し討議した後、誓紙血判の上で封印を解くことに決めた。

 各種族始祖の誓紙血判は、破れば忽ちその身を亡ぼす。

 もしこの先騒乱を起こすなら、始祖の命と引き換えになる覚悟をせよという条件つきである。

 それでもすぐに、太古の昔のように竜族もそれ以外の部族も平等というわけにはゆかない。

 領土はどうする。

 公的会議の議決権はどうする。

 問題は山積みである。

 大きな問題は解決に時間がかかり、竜后たるパウラが簡単に口をはさめることではない。

 だからパウラは、もっと小さなことから始めることにした。

 それが聖騎士団である。


 もともと黄金竜の泉地エル・アディには、固有の武力集団はない。

 ヘルムダールを除く4公家から腕ききの騎士を借り受けて、黄金竜の泉地エル・アディ付きにしていた。

 黄金竜の泉地エル・アディにある4人の聖使は、護衛を必要としないほど強かったから、これまでさほど問題視されていなかったが、借りたものは貸主の都合で返さざるをえないこともあったし、給与は黄金竜の泉地エル・アディもちであっても指揮命令系統は貸主にあったので、統制上の不都合もあった。

 そこで自前の騎士団を持とうと、パウラが言いだしたのである。


 4公家はこぞって反対した。

 我らを信頼できないのかとか、いったん事が起きれば何があっても黄金竜をお護りするのにとか、口々に不満を申し立てる。

 

「竜后は、けしてそなたらを信頼していないのではない。

 独自の騎士団とは、そうだな。

 親衛隊のようなものだと、理解せよ」


 黄金竜セスランの一言で、4公家はようやく鎮まった。

 なるほど親衛隊かと。

 そうなると、黄金竜オーディ直配下の騎士となる。騎士にとってこれほどの栄誉はあろうか。

 各国の騎士たちが色めき立ったところに、竜后の名で応募資格が発表された。


 1.騎士の精神を備えていること。

 2.騎士の技量を備えていること。

 3.騎士の身体を備えていること。

 

 以上3つを備えていれば、出身地、種族、身分、性別不問。


 選考は、自身が魔術騎士でもある竜后パウラの他、同じく優秀な魔術騎士であるアルヴィド、それにパウラの護衛騎士のナナミが中心となって選抜試験官を選出する。

 試験官には公平、公正さがなによりも求められ、技量についてはその次とされた。

 そうなると、これまで準騎士に甘んじていた平民出身の騎士や自由騎士が群れをなして出願してくる他、竜以外の種族から腕に覚えのある者もちらほら出してくる。

 破格の高給と身分の保証は、誰にも魅力的だった。

 

 

「姫様の狙いは、機会の平等というところでございましょう?」


 出願書類を整理しながら、ちらりと目をあげてナナミは微笑んだ。

 

「チャンスはみんなにあるべきだと、わたくしも思います。

 でも試験の結果、竜族が圧倒的に優れていれば全員竜の騎士になるし、白虎が圧倒的に優れていれば白虎の騎士ばかりになることもある。

 それだけに試験官の責任は重大ですね」


 自らの意思で帰らないと選んだナナミは、すっかり覚悟を決めたようですっきりした良い顔をしている。

 今度の試験官のおそらくは主任を任せられるであろうことも、重く受け止めながらやりがいも感じているようで、とにかく張り切っている。


「そのへんは安心しています。

 だって師匠がついているんですから、おかしなことにはなりませんわ」


 いまだに「師匠」「姫様」と呼び合うパウラとナナミは、相変わらず心から信頼しあえる良き師弟だった。


「ときに姫様、エリーヌ・ペロー嬢ですが……」


 ナナミが言いにくそうに切り出すと、パウラは右手を前に出してその先を制した。


「帰りたくないって、まだごねているの?」


 元の世界から身体ごと連れてこられたナナミと違い、エリーヌは精神だけをこちらに飛ばされた。

 向こうの世界に、彼女の寄る辺は既にない。

 だからエリーヌがあちらへ帰ることを拒んだ時、パウラはそれならそれで良いと思った。

 けれどいろいろと問題の多いエリーヌをそのままにはしておけず、実家であるペロー家へ帰るように命じてから1年になる。

 その後エリーヌは、セスラン以外の聖使の侍女として残りたいだとか、4竜の侍女として、あるいは側女として仕えたいだとか、毎日のように嘆願書を出してくる。

 その厚顔無恥さ加減には、彼女の精神メンタルの強さに慣れているはずのパウラでさえ、うんざりするほどだ。

 前世痛い目にあったセスランなどは、彼女の名前を聞いただけで、眉を顰めて言う。


「それはどうしても、今聞かねばならぬことか」


 つまり聞きたくないと拒否するのだ。

 セスランが彼女に直接会うことはなかったし、パウラだって可能な限り会いたくはない。

 だから側近に彼女を実家へ帰すように命じて、放っておいたのだ。

 そうするとこうして、エリーヌがごねていて周りが扱いに困っていると、報告が上がってくるのだった。


「姫様、このままではいわゆるゴネ得になりますよ。

 姫様は竜后でおいでです。

 そろそろ強権を発動するも、お務めの1つでは?」


 ナナミの言い分もよくわかる。

 そうしなければならないことも、理解はしている。

 

「あー---。

 どうしても会わないとダメかしら」


 ヘルムダールの公女だった昔の口調に戻って、愚痴ってみる。


「エリーヌ、どうしても苦手なの」


 すぐにマウントをとりにくること。

 論理的な説明が通じないこと。

 べたべたなよなよしていること。

 そして何より、前世セスランを誑かしたことが、パウラの感情の触角を刺激する。


「私の唯一つまは、なにを悩まし気にしている」


 艶やかなテノール、普段の3倍増しに甘い声が、不意に耳元で響いた。

 

「愛しい唯一つまを悩ませるものは、すべて私が片づけてくれよう。

 申してみよ。

 何をしてほしい」


 この1年の間に、ますます甘く蕩けるようになった翡翠の瞳が目の前にある。

 

(まあ、間違えたとはいえ、一度は唯一つまと呼んだエリーヌだもの。

 セスランに説得してもらいましょう)


 少しだけ意地悪い思いを胸に、パウラは微笑んで返す。


「エリーヌのことですわ」


 ぴきん。


 セスランの表情かおが固まった。

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