第9話 パウラ、水竜の聖使に会う
いったいどうして、公子のフリをしているのか。
しかも実の姿より、ずっと幼い少年の姿に化けて。
そしてその化けっぷりの、不完全なこと!
緑の瞳をそのままにしたのは、気づけと言っているようなものではないか。
「こちらへ来て、パウラ様にご挨拶をしなさい」
ヴァースキー大公に呼ばれて、3人の少年公子がパウラの前に並んだ。
緑の瞳をした少年が、胸に腕を引き寄せ左足を引いて、優雅に頭を下げる。
「シモンと申します、姫君」
わずかに上げた唇、からかうような表情は、見覚えのあるもので。
懐かしさに思わず、元気だったかと口にしそうになって、いやいやと内心で首を振る。
今のパウラは6歳で、シモンを知っているはずもない。
これは初対面のヴァースキー公子だと言い聞かせて、にっこり笑顔を作る。
「パウラでございます」
ヘルムダール直系女子らしいプラチナの髪に、母アデラ譲りの美貌、幼いながら十分魅力的な外見であるはず。
笑顔までおまけにつければ、そう悪くない第1印象を作れたはずだ。
前世、この笑顔は無敵であった。
悔しいことに、愛だの恋だのには効かなかったけれど。
(ほんとに全く、全然、これっぽっちも、役にたたなかったわ)
小さなため息をつく。
瞬間、目の前のシモンがくすりと笑った。
「ため息とはね」
しまった!
つい気を抜いてしまった。
かぁっと、頬に血が上る。
「こういうのが素なんだ?」
パウラの動揺を楽しむような口調。
ああ、なんて嫌なやつだ。
まるで変わっていない。
「でも悪くないね。
うん、こっちの方がずっとかわいい」
かわいい?
コイツに限って、そんな言葉を吐くはずはない。
聞き間違いか、空耳か。
ああそうか。
身分詐称の擬態に違いない。
本物のヴァースキー公子なら、ヘルムダールの姫であるパウラに、社交辞令の1つくらいは言うだろうから。
相変わらずやっかいなヤツ。
仕掛けてきたイタズラへの対応を間違えれば、秋の空のように変わるコイツのご機嫌は、たちまち雷雨になるだろう。
さて、なんと返したものか。
「悩んでる?
僕がどういうつもりかって?」
不意に耳元で囁かれ、身体が固まる。
「ひどいな、君は。
目の前に僕がいるのに、他のことを考えてるんだから」
くすりと柔らかく笑う顔は、ただのヴァースキー公子であるはずもない。
10歳ほどの少年に、こんな色気がでるものか。
化けるつもりなら、何事もソツのないシモンのこと。
もっと完璧に、10才そこそこの少年になりきるだろう。
試されている?
いったいなんのために。
パウラは小さな頭を忙しく回転させたが、彼の考えていることがまるでわからない。
全然、わからない。
(逃げるしかないわね)
前世のパウラなら、真正面から真面目に受け答えをしただろう。
生真面目に相手の思惑がわからないと伝えて、どういう意味なのかをおそらく聞いた。
けれどそれではダメなのだということだけは、わかっている。
「マジメだよね~、パウラって」
前世、シモンはバカにしたように笑って言ったものだ。
そんな顔をされる度、怯んでなんだか落ち着かない気分になった。
2度目の今生は、そうはさせない。
相手の思惑がわからないなら、スルーするだけだと思う。
取り合おうと思うから混乱する。
聞こえなかったフリをして、シモンの左隣りに控える緑の瞳の少年に柔らかい視線を向けた。
「はじめまして、パウラと申します」
おとなしく順番を待っていた少年は、頬を染めて綺麗なお辞儀を作る。
「リューカスと申します、姫君。
どうぞリューカスとお呼びください」
こちらこそ本物の、ヴァースキー公家の跡継ぎ公子。
透明度の高い薄い緑の瞳には、素直な歓迎と興奮がある。
パウラより少しばかり年上だろう彼は、パウラの手袋をした右手をとって、指の付け根にそっと唇を落とした。
駆け引きを必要としない素直な反応が、パウラの心に落ち着きを返してくれる。
「リューカス様、それではわたくしのこともパウラと。
どうぞそうお呼びくださいませ」
母の微笑を意識した。
唇の両端を上げて、小首を傾ける。
成功!
リューカスの頬の赤みが、さらに増した。
シモンの視線の色が変化したのは感じていたが、けしてそれには応えない。
辺りの温度が下がったような気がする。
勝手に氷点下の世界にいるが良いと、知らん顔を続けた。
「ふう…ん。
悪くないね」
リューカス公子の隣に立った弟公子の挨拶を受けながら、パウラの聴覚はどこか嬉しそうなその声をしっかり捉えていた。
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