第13話 パウラ、火竜の聖使に会う


ゲルラ公国の神殿は、薄紅色の大理石造りで、ヴァースキーのものに比べればやや小ぶりであった。

だが柱の1本床石の1つにいたるまで、色調、装飾、見事に計算されている。

ヴァースキーの時同様、母アデラにゲルラまでの路を開いてもらったパウラが、ゲルラに着いて最初に目にしたそこは、とても洗練されていた。

きらきらと贅をつくした感はまるでなく、それでいて手は抜かない。

ゲルラ公家の気風を感じた。



まずは、定型の挨拶か。

ヴァースキーの時と同じ、少し固苦しいはじめましての挨拶をしなければ。

ゲルラ大公が出迎えているはずと、よそ行きの顔を作る。

挨拶の文句を頭の中でおさらいして、「よし!」と覚悟を決めた瞬間。


「パウラ」


名前を呼ばれて、外交用の笑顔がぶっ飛んだ。

ウソ。

どうして。

心地良く響く、艶のあるテノール。

聞き覚えのあるその声が、今、どうしてここでパウラの名前を呼ぶのか。

いやいや、血の近いゲルラの男なら、似た声であっても不思議はない。

きっとこれはゲルラ大公、そうじゃなければ直系公子の誰か。

思い直して正面からまっすぐに、声の主を見る。

ああ、けれど。

燃えるような赤い髪、最高級の翡翠の瞳。

間違いない。

南の聖使セスラン、その人だった。




頭を冷やせと、パウラは自分に言い聞かせる。

前世のセスランは、4聖使中、最も貴族らしい青年だった。

しきたりや礼法に詳しく、少しばかり肩ひじの張る古風な言葉を使うが、それさえかえって格調高く、所作のすべてが美しい貴公子中の貴公子である。

淑女への完璧な礼儀は、適度の距離と慎みを保ちながら、極めて優しく丁寧で、まるでタペストリーに描かれる騎士物語の1場面だと何度も思ったものだ。

それならばきっと、セスランは幼い女子にも優しい。

翡翠の瞳が前世見たこともないほど優しく甘い色を映すのは、パウラが幼い女の子だから。


思い出せ、パウラ。

この男こそ、前世飼殺しルートを決定づけた元凶の1つ。

うっかりドキドキする相手ではない。

エリーヌにいまだ会わない今だからこそ、好感度を上げてアドバンテージをとるチャンスではないか。

幼い女の子らしく、ただひたすら穢れなくかわいらしくあれば良い。



「ヘルムダール公女パウラでございます」



稚い無邪気な天使のように、笑えただろうか。

心は8+数千年の大年増だから、無邪気とはなかなかに難題だ。

困った時の母アデラ頼みで、その微笑をお手本に表情筋を動かした。

父いわく、いつまでも穢れない乙女のような微笑だそうだから。


「私は、聖使セスラン。

小さなパウラ、そう固苦しくしないで欲しい」


母アデラもどきの微笑は成功したのか?

わからない。

セスランが返した微笑に、切なげな色を感じるのは気のせいか。


「仮にも明日は、私の妻ではないか。

あまりによそよそしい。

寂しくなる」


よそよそしい?

ああ、失敗した。

無邪気を装った微笑は、どうやら見透かされたらしい。

マズい。

好感度を上げなければならないのに、こまっしゃくれた子供と思われたか。


「明日の祭典ではこの身に過ぎた大役を賜り、畏れ多い限りでございます。

聖使様。」


ここは平身低頭、表情を隠すに限る。

聖使たるセスランの名を呼ぶことは、不敬にあたる。

今のパウラはヘルムダールの公女に過ぎず、聖使の名を呼ぶ許しを得てはいないのだから。


「セスランと、呼んでくれないのか」


不機嫌な声が降る。

パウラの態度は、礼にかなったもののはず。

セスランなら、それをこそ評価してくれるだろうに、まるで礼をつくした態度が気に入らないように見える。

そうっとうかがうように顔を上げると、苛立ちを載せた翡翠の瞳にぶつかった。

早くそう呼べと促すように、見つめている。


「セスラン様」


ぱあっと大輪の花が咲くように、セスランは微笑んだ。


「それで良い」


ますますわからなくなる。

これは本当に、パウラの知るあのセスランなのか。

混乱する。

目の前にある優しく甘い翡翠の瞳。


ああ、もう!

考えてもわからないなら、考えるだけ無駄というものだ。

やめよう。

とりあえず嫌われてはいないみたいだから、良しとする。

さっさと、ゲルラの主だった面々への挨拶を済ませてしまおう。

そして気づく。

あまりにも少ない人数に。

セスランの他には、神官が1人控えるだけ。


「ゲルラの皆様は?」


そう問えば、神官が頭を下げて答えた。


「騒乱鎮圧のため、皆そちらにかかりかりでございます。

姫君にはご無礼をお許しいただきたいと、大公より伝言を預かっております」





「騒乱?」


遅れて転送の魔法陣より現れた父テオドールが、眉を寄せる。

だがそれも一瞬のこと。

目の前の青年のローブの裾に、五本の金のラインを認めると、すぐさま膝を折って頭を下げた。


「失礼いたしました。

わたくしはヘルムダール大公の夫、そこなパウラの父テオドールと申します」


セスランの翡翠の瞳から、甘い色がすうと消える。

無表情に視線を落とすと、それに似合いの色のない声で応えた。


「今日の私は、ゲルラ大公の代理だ。

許す。

立つが良い」


前世でよく聞いた、聖使セスランの声だった。

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