第7話 雨乞麗嬢
バスは
江沼市は東京から新幹線で1時間半ほどの東海地方の海沿いの街だった。
深海魚の豊富な
駿豆半島の山間部は湧水が豊富で山葵田が広がっている。
寿司や刺身に欠かせない新鮮なわさびが鮫皮のわさびおろしを添えて当り前のように出される。
温暖で風光明媚なこともあり、市の海浜地区は古くから保養地としてにぎわってきた。華族や財閥、地元の名士などの別荘が並ぶ一画は、戦前は政財界の社交場としての役割も担っていた。
しかしいつしか空き家が増え荒れ放題になっている屋敷も散見されるようになっていた。それでも昭和の初め頃に流行したスパニッシュ様式の瀟洒な建築物には買い手がついて、宿泊客を限定した高級リゾートコテージや、豪華客船の船上披露宴を組み合わせた海浜ウエディングチャペルなどの地の利を生かした施設に生まれ変わったものは新たな活路を見出していた。
一方、老朽化が進み過ぎたものは、迂闊に手を入れることができず放置されたままだった。そこに野生生物が棲み付いて感染症の温床になりかけたり、不法侵入者による占拠騒動が起ったり、何ものかがスプレーでグロテスクな絵や文字で壁を埋め尽くすといった行為が繰り返されるようになった。
そんなある日、事件が起きた。
それが事件だったのか、事故だったのか、未だにわからない。
ある空き家で不法侵入者が亡くなったのだ。
彼女が見つかった時、ぶかぶかのレインコートの左胸のポケットに一匹、両ポケットに一匹ずつ、白と黒と赤の仔猫がもぞもぞと動いていた。
その不法侵入者は界隈では有名で、
彼女は古くかび臭いがかつてのお屋敷の名残りの豪奢なレースのカーテンをサリーやパレオのように器用にまとって気品と威厳を保っていた。スカーフで目以外を隠していて年齢不詳だったが、わずかにのぞく目尻のしわや、白髪まじりの具合から、それなりに年はとっているのではないかと思われていた。
しかし、髪はわざとメッシュを入れていたのかもしれないし、食生活の乱れで急激に痩せたことで顔にしわが刻まれたのかもしれない。いずれにしても浮世離れした風貌と雰囲気をまとっていたことは確かだった。
亡くなるまで彼女は棲みついていた空き家で占い師をしていた。不法占拠しているので宣伝をするでもないのに、口コミで高校生や若い女性たちが多く通っていた。
江洲楓の勤務先でも不審人物とは関わらないようにと、生徒指導担当から朝礼で注意があった。
品行方正さで知られている学校だったので、たいていの生徒は噂話はしても実際に占ってもらった生徒は数えるほどだった。図書室に出入りしている生徒たちは大人しい子たちが多かったが、占いをはじめオカルト的なことには興味津々なので、その数えるほどの中に数名入っていた。
「どんな風に占ってもらうの」
ある時占ってもらったと話していた生徒に声をかけてみた。
その生徒は最初は言い渋っていたが、江洲楓が真面目にたずねているのに感じ入って話してくれた。
「占い自体はとくに変わったものを使ったりしませんでした。タロットカードで占ってもらって内容に納得できなかったり不足を感じた時に、ルーンストーンで補足的に占ってくれるんです」
「両方やってもらったの」
「はい。カード占いは占い好きの子にやってもらったことがあったので、ルーン占いをしてもらいたいなと思っていたので。ただ、ルーン占いだけではやらないと言われたので、タロットカード占いをまずやってもらいました」
「何を占ってもらったの」
「それは訊かないお約束ですよ」
「そっか、そうよね。ごめんなさい」
「謝らなくてもいいです、冗談ですってば」
「では、話せる範囲でいいかな」
「進路のことです」
「進路を占いで決めるの」
「いえ、まさか、さすがにそれはないです。ちょっと迷ってることがあって。気晴らし的な感じで占ってもらったんです」
それからその生徒は、迷っているのは志望校のことでなぜ迷っているのかを占い師が当ててびっくりしたと話した。
「ルーンストーンがイメージしていたのと違ってちょっと驚きました」
「どんな風なイメージだったの」
「さざれ石にルーン文字が刻まれてるのかと思ってたんです。でも、その占い師が持っていたルーンストーンは、レモンを絵の具のように溶かして固めたような蛍石のような半透明のビー玉を楕円形にしたようなサイズで、表面に何かでひっかいたような細い線で文字らしきものが刻まれていました。ただ、まともに見てもよくわからなかったです。占いのためにわざと見えにくくしているのかとその時は思いました」
「自然石ではなくてガラスのような石だったの」
「はい。本人もこれは石ではない。
「玉、宝石ってことかな」
もしかしたら、それは、カラス玉だったのかもしれない。
そのルーンストーンにブラックライトを当てたら、蛍光グリーンに発光して運命の文字が浮かび上がるのかもしれない。
雨乞いとは作物の実りのために雨を降らせる祀りごと。
作物の実りは仲買人の手を経て商人へと渡り黄金へと変化して戻ってくる。
つまり、雨乞麗嬢は、黄金を授けてくれる尊き存在。
江洲楓は何かがつながりそうになる。
目を閉じて黙考する。
その後雨乞麗嬢は占いだけなら見逃されたのかもしれないが、いつしか心霊倶楽部のような集まりになっていき、それを心よく思わない者たちも出てきた。そうした者たちが、降霊会が行われると聞きつけて乗り込んだきて暴れたのだった。
幸いけが人は出なかった。代わりに、食卓に並んでいたアールデコ柄のティーセットや、カーネーションとアスパラガスの葉を取り合わせていけてあった切子ガラスのフラワーベースが金属バットでフルスイングされて粉々にくだけ散っていた。
後ろめたさがあってか、集っていた人々は誰一人通報することはなく、三々五々屋敷を後にした。
雨乞麗嬢は破壊された室内を片付けるでもなく、ナイトガウン代わりにレインコートをはおると仔猫をポケットに入れて、お湯をはらずにベッドとして使っているクッションを重ねた猫足のバスタブにもぐり込み、つづれ織りの厚地のカーテンをかぶって眠りについたらしい。らしいというのは彼女が見つかったのがそこだったからだ。
その屋敷の家主の家系は先代で途切れていて、親戚も見つからず、さらに事故物件となってしまった屋敷はますます荒れていき、行政も手をつけられない状態になってしまった。
荒れた原因の一つに噂があった。その噂は、実は雨乞麗嬢は蘇生して霊安室を抜け出していったとか、雨乞麗嬢は何人もいてそのうちの一人が亡くなっただけで他の者たちは何処かへ身を潜めているといった不穏なものだった。
そのことがあってから、同じことをくり返すわけにはいかないと、ついに行政が重い腰を上げた。
その結果、空き家は、ギャラリー、カフェ、フリースペース、新鮮な魚貝をふんだんに使った地中海料理レストラン、郷土資料館として活用されるようになった。
江洲楓が住んでいる家も、そんなリノベーションされた旧家の屋敷の一つだった。最もそこは八洲家の持ち物なので、行政ではなく素封家の実家江洲家が財産を使ったのだ。住居スペースの他に屋敷の一角に江洲家の伝承品を保存展示する資料館と学習スペースを設けてある。
終点を告げるアナウンスが響いた。
江洲楓はバスを降りると待合室に入りベンチに腰かけると携帯から久繰里あかりに電話した。
やはり彼女は出なかった。
代わりにすぐにメールが届いた。
「よろしくおねがいします」
文面はこれだけになっていた。
江洲楓はしばらく画面を見つめてからショルダーバッグにしまい、待合室を出た。
時間待ちのバスは運転手が小用を足しに行っているのかエンジンも車内灯も消されていて、しん、と静まり返っている。
この時間にここから乗る客は決して多くはないが、ゼロということはなかったように思う。
そう思いたった途端に、海からの強風に乗って潮騒が押し寄せてきた。
そして、バスの車内灯がいっせいに閃いた。
運転手はまだいない。
が、一番後ろの席に、レースのショールのようなものを頭からかぶった人が座っていた。
「雨乞麗嬢……」
江洲楓は見つめては行けないと思いつつ、目が離せなくなっていた。
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