第6話 河童と若衆組

 アルバムは台紙に写真を貼るタイプの昔風な厚くて大きな紐綴じ式のものだった。

 開けようとすると、パリパリと音がした。

 写真を台紙に押さえてあるビニールのカバーがはがれる音だった。


 江洲楓は慌てて写真の表面が傷ついていないか確認した。

 ビニールカバーがはがれかけたのはページの端の方だけで写真にまでは至ってなかった。

 ほっと息をついて、はがれかけてビニールカバーを台紙に戻しつけた。


「そのアルバムは戦後のものだったと思います。正式な写真は町の広報誌や檀家さん向けの会報誌に掲載されていましたので、そのアルバムは主にスナップ写真になります」


 浜村さんが説明した。


 アルバムの1ページめには碧浪寺の本堂と昭和二十年から三十年にかけてのご住職の写真が貼られていた。端正な顔立ちで知性溢れる表情をしている。


 2ページと3ページには境内の一角に植えられている枇杷の木と枇杷観音の御堂と御堂の奥からのぞく枇杷観音像の写真が貼られていた。

 夏に撮影したのか枇杷の木の緑濃い葉の合間にころんとした実がたわわに実っている。


 4ページと5ページには御堂から出して本堂で撮影されたと思しき枇杷観音の写真が貼ってあった。全身像を前、右横、後ろ、左横、上半身をアップにしたものと全部で5枚あった。


 6ページには舎利壺、7ページには舎利壺のふたを開けた状態、そして、8ページには舎利壺とそこから出した舎利を模していると思しきガラス玉の写真が貼ってあった。


「これ、もしかしたら」


 江洲楓が指さして言った。


「この写真だと断定はできない。形や大きさはそれっぽいけれど、色は普通のビー玉のように見える。やや楕円形みたいだけど」


 竹園灰は写真に顔を近づけたり離したりしながらじっくり眺めている。


「それにしても、もしこの写真のように中身まで展示してたら罰当たりとか言われちゃいそう」

「確かに。信心深いお年寄りからしたら仏様のお骨を人目にさらすなんてとんでもないことになる」

「人目にさらすといえば、どこだったかな、仏像が自分の身をさらしていて、人間が自分のからだの悪いところを撫でるとよくなるっていうのがあったよね」


 江洲楓が何かを撫でる仕草をした。


「なで仏のおびんずるさん。十六羅漢の中でも神通力が強くて病気も治せるとされていた」


 竹園灰が即答した。


「そう、それ、私が見たのは、撫でられ過ぎて顔も何も消えてしまうほどつるつるになってた。撫でただけで御利益って強烈な牽引力があるものなのね」

「信じる人にとっては」

「困った時だけ信じる人にとっても」


 二人が言い合っていると、


「昨年も今年も、舎利壺の中身は出したりしませんでしたよ。ご希望があれば中をお見せすることはありましたが。それは写真を撮影するために特別に出したのだと思います」


 と浜村さんがお茶のおかわりを注ぎながら言った。


「そうなんですね。このきれいなガラスのビー玉は、まさか本物の舎利ではないですよね」


 浜村さんから何かききだせないかと思い江洲楓がたずねた。


「いえ、そうでもないみたいなんですよ」


 浜村さんの返答は意外なものだった。


「観光ボランティアの研修会で、町に伝わる昔話や民話、伝説も説明できるようにご年輩の語り部の方から講習を受けたのですが、その時に舎利にまつわる伝説もあったんですよ」

「それは、どのような伝説ですか」

「差し支えなければ、ぜひ伺いたいです」


 二人は興味深そうに浜村さんを見た。


「いいですよ。元の話は長いんですが、かいつまんでお話しますね」


 浜村さんは二人の座っているテーブルのそばに椅子を運んでくるとゆったりと腰かけておもむろに話し始めた。


「ちょうど幕末の頃のことです。峠を越えてやってきて悪さをする河童が、いつしかこの辺に住みついてしまったのだそうです。

 最も妖怪の河童がいたとは思えませんので、船を逃げ出して山に潜伏していた異人さんか、金山には全国から荒くれものが集まってきていましたからその中で山賊になったもののことをそんな風に言っていたのかもしれません。

 少しでも変ったところのあるものは、小さな町では目立ちますから。


 それでも港町は人や物の出入りがあるのが当り前なので、無用の詮索はしないところがありました。

 そんなところのある町なので、畑のきゅうりを盗んだとか、番犬の縄を解いて逃がしてしまったとか、年頃の娘さんの下駄の鼻緒を片方だけ切ってしまうとかのちょっとした悪さをするだけの河童は、放っておかれたそうです。


 それが、ある時、夜中に碧浪寺に忍び込みましてね。当時大層な噂になっていた枇杷観音を見てやろうと思ったみたいです。

 枇杷観音の祀られている御堂に近づくと、誰に聞いたのか背中に手を入れて舎利壺を取り出したのです。


 からからと音がする舎利壺を掲げ持ってしばらく振ってからふたをとって中に入っている舎利をすくいました。

 すると、河童の手の水かきにビー玉のようなガラス玉の舎利がくっついて離れなくなりました。

 河童はあせりました。誰か来たら泥棒と思われて今度はこっぴどく怒られるに違いありません。

 いくら手を振っても、指で摘まんではがそうしてもとれません。


 その時です。


 蝋燭の火でも月の光でもない不思議な光が河童の手に当てられました。

 ガラス玉がちかりと光って、それが河童の目くらましになりました。


 河童は慌てて水かきに舎利を模したガラス玉をつけたまま舎利壺を持って逃げていきました。

 強い光でよく目が見えなくなってしまったので、あちらこちらにぶつかりながら傷だらけになってようやく山の棲み処に辿りつきました」


 浜村さんはそこで話を区切ると、コップに注いだ水をひと口飲んだ。


「河童さん気の毒ですね」


 どことなく間の抜けた図が思い浮かんで、江洲楓が言った。


「舎利壺はどうなったんですか」


 竹園灰は話の先を尋ねた。


「若衆組が活躍して河童をつかまえて舎利壺を取り返しました。

 本堂の柱に河童を縛り付けて、住職がこんこんとお説教をしたそうです。

 河童は涙をぽろぽろこぼして反省したとのことです。

 若衆組は罰当たりな河童を締め上げようとしましたが、住職の執り成しで河童は放免となったとのことです。

 ただし二度と悪さをしないように、頭の皿に戒めの呪文が施されたそうです」


 いたずらにしては厳しい制裁のようだった。


「若衆組というのは、盗難の時に活躍した青年団のことですか」

「かなり権力を持っていたのですね」

「それは、もう。次のページの写真をご覧ください」


 言われるままにページをくると、法被に褌姿の大勢の若者が腕を組んで両足を踏ん張ばって立っている勇ましい写真が貼られていた。


「この写真に写っている方たちは、皆さん地元の方ですか」

「はい、この方たちが青年団です。若者組ですね、漁村では昔からきっちりした組織があったんですよ。海は豊かさを与えてくれますが、ちょっとこちらが侮るととんでもないことになります」

「そうですね」

「本当に」


 二人は相槌を打つ。


「浜組、町組、山組に分かれてまして、職種によって所属が分かれています。

 これは現在の青年団でも同じです。

 学校制度もなかった時代は、この若衆組が子どもたちの教育も担っていました。

 普段は、漁業、農業、山仕事に励み、盗難や小競合いへの対応や夜間の見まわりや火事の際の消火活動をし、年中行事とくに祭りについては準備から進行当日の仕切りまでを行っていたのです。

 若衆組が現在は青年団として活動していることになります」


 浜村さんはすらすらと地元の人々の生業と活動について説明していく。


「お盆や秋の豊穣祭りの他に、海神を祀るようなこともあったんですか」


 江洲楓は興味をそそられ浜村さんに質問を投げかけた。


「ええ。港祭りは、今では観光祭りのようになってますが、かつては厳かなものでした」


 改めて写真を見ながら二人は口々に言った。


「皆さん、精悍ですね」

「勢揃いすると壮観です」


 浜村さんはわが意を得たとばかりに饒舌になる。


「そうなんですよ。

 かっこいいですよね。

 顔立ちもめりはりのきいている人が多いんです。

 御露西亜船が来た時の国際結婚での子孫もいます。

 国際結婚と言いましても当時は正式には認められてなかったのですが、ここ黄金浦では暗黙の了解で夫婦になったものも少なからずいたんですね。

 それで、妖精のようなかわいらしい子どもが生まれて、その子孫も彫りが深くて。

 男の子は骨格もしっかりしてるのできれいに筋肉がついて、女の子はそれはもう色白でまつ毛が長くてさらさらの金髪で青い目で、あ、すみません、一人でしゃべってしまって」


 浜村さんの頬は蒸気していた。

 まるで自慢の息子や娘を紹介しているような誇らしげな語り口だった。 


「肝心なことを説明してませんでしたね。ガラス玉の舎利ですが、骨の粉を混ぜて作られたそうです。その骨がお釈迦様のだとご住職がおっしゃってました。だから、本当に貴重なものなんですよ」

「舎利入りのガラスですか、それは、珍しいですね」

「河童が目くらましにあったのも、おそれ多いものだったからかもしれませんね」

「慈悲の心の清らかさに河童の邪まな心が射抜かれたのかもしれません」


 そう言うと浜村さんはページをめくった。


 次のページは御露西亜国の特使のお宿処の記念碑と造船記念碑の写真だった。

 そして最後のページは、枇杷観音を描いた絵画の写真だった。


「これは、油絵ですか」

「ずいぶん迫力のある絵ですね」

「いえ、これは、漆喰鏝絵しっくいこてえです」

「漆喰鏝絵? 」


 聞きなれない絵画技法に二人は声を揃えてきき返した。

 

「漆喰鏝絵は西洋のフレスコ画に似ていますが、左官技術を駆使した独特の芸術性を持った絵画です」

「面白いですね」

「実物も見てみたいです」

「漆喰鏝絵で有名な左官がおりまして、記念館に行けばご覧になれますよ」

「画家ではなくて左官なのですか」

「はい、こう、なんて言ったらよいのか、芸術性は認められているのですが、本人はあくまで自分は職人だと言い張りまして、没後も遺言で美術館なんぞに俺の絵は飾るな、なんて遺してまして御身内の方はずい分難儀されたようです。

 そうは言いましても作品をそのまま放置しておくわけにはいきませんので、当人の名前を冠した記念館を設立しましてそちらにおさめられて、今では、常設展と企画展が開催されるに至っています。美術館ではなくて記念館だから、本人も許してくれるだろうとのことのようです」

「こだわりの強い方だったんですね」

「偏屈さん」

「や、灰ったら偏屈おじさんだなんて」

「おじさんとは言ってない」


 二人のやりとりを浜村さんは面白そうに見ている。


「お二人は仲がいいんですね」

「え、まあ、子どもの頃からのつきあいなので」

「幼なじみですか」


 浜村さんが二人の顔を交互に見ながらしみじみと言った。


「久繰里家のお嬢さんにも幼なじみがおりましてね、子どもの頃は二人でよくこちらの境内で遊んでいたそうです」

「そうなんですか」

「そうなんですか」


 二人は思わず声を合わせた。


「久繰里家と遠縁の信川家は昔は山の二大素封家だったそうです。それが信川家が没落しましてね、いえ、没落と言いましても家が傾いたとかそういうことではなかったみたいなのですが」

「旧家の没落ですか。家財を失ったのではなくても、きっと、家内は大変だったのでしょうね」

「さあ、そのあたりのことは詳しくは存じ上げません。私のような町住まいのものは、漏れ聞こえてくる噂で知るだけですので」

「噂、ですか」

「はい。人の口には戸をたてられませんので、って、あら、私ったら」


 浜村さんは、しゃべり過ぎたという風で苦笑いをした。


「今お話ししたことは、黄金浦のものは、たいてい皆さん知ってらっしゃることです。ただ、そうしたことは、公けには記録されていないだけで。あまりうれしい歴史ではありませんから」


 浜村さんがそう言い終えた時だった。


「すみません、案内をお願いします」

 

 休み処の入口に女性グループが顔を出した。


「はい、ただいままいります」


 浜村さんは明るく返事をすると二人の方に向き直った。


「それでは、これで失礼いたします。こちらはサービスですので、食べ終わりましたらこのままにしておいてください。アルバムはすみませんが仕舞わせていただきます」


「ありがとうございました」

「ごちそうさまでした」


 浜村さんはアルバムを抱えて観光ボランティアへと戻っていった。


「さて、私たちもそろそろ行きますか」

「それにしても、河童とはね」

「まさか、河童の呪いなんてことはないよね」

「反省したって言ってた」


 竹園灰の思わぬ切り返しに、江洲楓はふき出した。


「昔話のことじゃない、反省っていうのは」

「全く根拠のないことではないみたいだった」


 江洲楓は気を取り直すと、


「でも、盗難騒動があったって」


 と言った。


「それは、人間だったんでしょ」


 竹園灰はにべもなかった。

 それでも江洲楓は食い下がる。


「浜村さん、口ごもってた」

「妖怪の類ではないって言ってたし」


 言い合っているうちに、江洲楓は、ふと思い出したことを口にした。


「そういえば、あかりさんの変色した髪の色。頭頂部から水が垂れるように変色していたのは、河童の皿を直接髪に描いたようなイメージだった。枇杷観音の頭頂部も水が染み出したようになっていたのも同じかも」

「では、河童の呪いかもね」

「さっき反省したって言ったじゃない。それに、そんなの逆恨みじゃない」

「妖怪だもの、逆恨みはお手のもの」


 それは違う気がすると言おうとして、江洲楓は口をつぐんだ。

 新たな事実が出てきたならば、それを考察の根拠になるか検討するのは最もなことだ。

 つまり、竹園灰の言い分が目まぐるしく変わるのもおかしなことではない。


「お手のものってちょっと違う気もするけど」


 とりあえずそうつぶやくと、竹園灰が


「とりあえずここはここまで、金山パークに行きましょう」


 と促した。


「そうね」


 江洲楓と竹園灰は碧浪寺を後にした。









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