第4話 足が、はずれた
「やだやだやだ、なにこれ」
江洲楓がパニックを起こしかけた時だった。
人形たちの背後で松明の火があがった。
金鉱脈の壁に長い影が幾筋も映し出される。
自然の火は人形にとりついたものには効き目がないのかがたがたと手足をばたつかせている再現人形たちの姿が見えた。
よく見ると人形たちの足元はねじで固定されていた。近づいてきているように感じたのは坑内の反響の具合だったのかもしれない。
ふと見ると人形たちの背後に明らかに人形の動きとは違うものがいた。
「だれ、ちょっと待ってよ、山辺さん、待ってってば、もしかして、おねえちゃんさんなの」
人形たちの背後にゆらりと浮かび上がったのは、走り去っていく人影だった。
レインコートか何かを頭からすっぽりくるぶしまでかぶっていて男女の区別もつかなかった。
すぐに立ち去ろうとしていることから、松明の灯で何が起こっているのか誰がいるのかを確認しにきたようだった。江洲楓の声に、最後のおねえちゃんという呼びかけに一瞬動きが止まった。
「おねえちゃんさん、雨乞麗嬢さん、信川美理愛さん、ですか」
その人物は松明を高く掲げると頭上高くぐるぐると振り回し始めた。飛び散る火の粉、坑内の澱んだ空気が撹拌される。
通気口は何箇所も設置されているが、それでも閉所では空気の循環は滞りがちだ。
「危ない、火気厳禁だったと思うけど」
こんな閉鎖空間の奥で火の手があがったらさすがに逃げられない。
安全面から燃えにくい素材を使っ再現施設とはいえ燃え広がらないとは限らない。
なにより煙に巻かれてしまっては逃げることもままならない。
この現状での考えられる限りの最悪の状況が頭をよぎる。
「あなただって危ない、すぐにやめて」
江洲楓の声に動きがぴたりと止まった。
人間の姿が見えたことで、八洲楓はかえって冷静になった。
「人間のしわざ、ね」
江洲楓はつぶやくと、松明を下に向けて佇んでいる人物を見ようと目をこらした。
人物は後ろを見せて立っている。
やはりよくわからない。
人形たちは、人間たちのやりとりにはおかまいなくがたがたとうごめいている。
明かりがないので表情はわからないが陰惨に歪んだ形相が脳裏に転写されたかのようにこびりついていて、江洲楓は身震いして思わず目を閉じた。それを機にその人物は走り去ってしまった。
「待って、おねえちゃんさん」
江洲楓の声が坑内にこだました。
こだまの振動に反応したのか、人形たちが、再び怨嗟の声を上げだした。
「落ち着くのよ。この声だって、テープが巻き戻るのに時間がかかってたのかもしれない、よく聞いて、きっと同じことを言ってる」
禍禍しい何かのせいではなく人間が仕組んだことであれば恐れるに足らずだと江洲楓は思った。
手で触れる血潮の通う相手であれば、たとえどんなに邪悪な考えを持っていたとしても、その行動には理由がある。
時に常軌を逸したものもいるが、それでも人間であれば想像力の範疇におさまる。
江洲楓はしゃがんだままショルダーバッグをまさぐった。防災訓練の時に配布された携帯懐中電灯が手に触れた。
「よかった。荷物が重くなるからいつもはいれてないけど。山に入るかもと思って今回は入れてきたんだっけ」
懐中電灯をつけると、まず竹園灰の顔を照らした。彼女は光に反応して瞬いて目を細くあけた。
「灰、大丈夫」
「楓、私……」
竹園灰はまだ自由に動けないのか身を固くしている。握りしめた手が冷たい。
――私が灰を守る――
いつもなら役割は反対だ。
江洲楓はそれがちょっとうれしかった。
「ちょっと今ピンチかも」
「ピンチって、またレトロな言いまわしを」
「聞こえてるよね」
「がちゃがちゃうるさい。騒音案件」
「そう、おしゃべりは止んだけど、音がうるさいのよね」
「なんとかしなくちゃ」
「そう、灰、調子戻ってきた」
「まあ、ね。ありがと、楓」
息を整えている竹園灰の手に温もりがもどってきた。
「で、状況は」
「じゃあ、ピンチな状況を見せるね」
江洲楓は思いきって懐中電灯を再現人形たちの方に向けた。
人形たちは、足を地面に固定されているので、がたがた震えながらも、それ以上はこちらにせまってこれないようだった。
しかし力任せにがちゃがちゃやっているうちに、固定しているねじがゆるんできているのがわかった。
このままではまずい。
ねじがはずれたら、いっせいに襲ってくるに違いない。機械の力で捕まれたら、骨折したる筋肉がねじ切られるかもしれない。
「思うんだけど」
江洲楓が震える声で言った。
「なに」
「あの人形たちは遠隔操作されてるかもしれない」
「冷静に考えればね」
「だったら、声をあげたり、表情を変えたり、手をふりまわしたりはできても、こちらに来ることはないんじゃない」
「足をがたつかせて踏み出そうとしてるけど」
「動かすことはできても、そんなに素早く動き回ることはできないんじゃない」
「そっか、なるほど」
「でも、いざとなったら、これを試してみる」
竹園灰は雨乞麗嬢に渡された袋を掲げて見せた。
「一瞬でもひるむと言っていたから? でも、効かなかったかったら」
「おとぎ話じゃないんだから、魔法や妖術のような効果があるとは思ってない」
「だったら、どうやって試すの」
「直球勝負」
「え、直球って」
「足を狙う」
「足を狙うって、投げつけて壊すってこと」
「そう、もし動きだしたら、一番前の人形の足に集中して当てて倒す。後ろに続く人形はつまづく、その隙に逃げる」
「逃げるって、どこへ。人形たちの間を突破するの」
「違う。こっち」
竹園灰が指を射した方向を見て、江洲楓は、はっとした。
「もしかして、非常口」
「そう」
「前方突破は無理。このまま奥へ、最奥に祀ってある金山の守り神か悪神を封じる神か何かの所に行けば、もしかしたら抜け道があるんじゃないかな」
「言われてみれば、消防法のこと考えたらどこかに非常口があるはず」
「そう、それ」
江洲楓はリーフレットの復元坑内図を懐中電灯で照らした。
ざっと見た時は気づかなかったが、復元坑内図の何箇所かに△印が付いていた。
ここが通気口に違いない。
さらに丸印の中に「非」と印字してある箇所がありそれが非常口だと思われた。
そして、最奥の祠のところには△と〇と☆の印が付いていた。通気口と非常口は確実にあるということになる。
「星の印ってなにかな」
「ここより先は採掘するなっていう禁忌の場所だと説明で言っていたよね、そのことを表してるんじゃないかな」
「普通に考えればそうよね」
「今は、外に出られる通路があるってことがわかればそれで十分。あとは逃れてから調べればいいこと」
「そうだね。ありがと、灰。こんなところで調べ欲発揮してたら命がいくつあっても足りないね」
「そういうこと」
二人はそろそろと後ずさりしながら最奥に向って移動を始めた。
「待て、逃がさない」
「待て、待て、待て、待て、待……」
「行くな、行くな、行くな」
人形たちの大合唱が始まった。
「シマス、じゃないあ。さっきと違うこと言ってる、巻き戻しテープじゃないの」
「遠隔操作できるなら、音声や音楽も自在に流せる。だいたい、巻き戻しテープっていつの時代の展示物」
「予算の関係でリニューアルできないと開設当初のままってことはあるのよ」
「ハコモノ行政の負の遺産にはありがち」
「そういうこと、って言ってしまうのも残念なことなのだけれど」
「でも黄金浦は潤ってるんじゃないの」
「夏場はにぎわってるけど、観光だけで町の経営が成り立ってるところなんて多くはないと思う」
「それが現実」
「そういうこと、って、そんなこと言ってる場合じゃない、足、足が」
「足? 」
江洲楓が竹園灰にしがみついた。
「急に、なに」
「足が、はずれた」
「足がはずれた? 」
「あ、足じゃなくて、ねじ、ねじがはずれてる」
「え、もしかして」
二人の視線の先には、一体の人形がはずれたねじをがちゃがちゃ言わせながら、不自然な動きでこちらに向ってきていた。
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