第4話 おねえちゃん、の名は
久繰里あかりは、ぎゅっとペンを握りしめると、一文字一文字丁寧に記していった。息を詰めていたのか、書き終えるとふーっと深く息を吐き、メモを差し出した。
―—信川美理愛——
「しんかわみりあ、さん? 」
江洲楓が読み上げると、彼女はぶるるっと首を横に振った。
「しなかわ? 」
それにも首を降る。
「しながわ? 」
久繰里あかりは、そこでうなずいた。
「しながわみりあさん、ね」
江洲楓はすんなりと読ませない名字にひっかかるものを感じた。
今それについて触れることはしないが覚えておこうと江洲楓は「おねえちゃん」の名前を心の中で反芻した。
「気分はどう。暗くなってきたし心配だから、家までおくるね。戸締りをするから、いったん廊下に出てもらっていいかな」
江洲楓は久繰里あかりを促して準備室を出ると戸締りをして、「鍵を置いてくるから、ちょっとここで待ってて」と言い足早に職員室に向った。
職員室までは足早に歩いて1分ほど、三階建ての校舎の三階の東端に図書室、二階の西端に職員室がある。勤務時間中は図書室に詰めているため職員室の雰囲気はわからないが、昨今の風潮で非常勤講師が増やされているため、かつての学び舎のような親密さはないようだった。その分割り切って仕事に専念できるので、そうした雰囲気を望む教員も少なからずいるようだった。
勤務時間を過ぎた職員室は閑散としていた。
室内にいるのは、数名の教員だけだった。
副校長は書類を片付けながら外部からの電話対応の待機中だ。
他には明日返却しなければならない提出物のチェックに余念がない若手教員が各学年に一人ずつ。彼らは部活動が終わるまでにすべてを終わらせようと必死だ。近頃は部活の指導は外部講師に任せられるようになったので、その分授業準備や校務分掌の作業に専念できるようになっていた。
彼らの世代はデジタル機器の扱いは日常になっているので、先だって行った図書購入リクエストに電子書籍を図書室で扱ってはどうかといった提案をしてくる者もいた。確かにデジタル資料は欠かせないものではあるが、それを学校図書館で扱う範囲にするかどうかは、タブレットの装備と管理の問題などもう少し話を詰めてからでないとすぐには難しい。
江洲楓は、鍵を副校長の席の後ろのキーボックスに戻すと挨拶をして職員室を出た。
もどってくるまでの間は5分もかからなかった。
廊下ですれ違う生徒も教員もおらず、途中にあるいつも稼働中の印刷室も今日は珍しく電灯がついておらずひっそりと静まり返っていた。
二階から三階へ上る階段の途中の踊り場の窓からは、野球部、サッカー部、テニス部の生徒たちがグラウンドで後片付けをしているのが見えた。吹奏楽部の奏でる楽曲も今日は流れてこず、体育館も電灯は消えていて既に施錠されてるようだった。
夏の大会やコンクールを控えていつもだったらにぎやかな放課後のはずなのに、なぜか今日はどこもかしこも何かに遠慮するかのように早仕舞いしているようだった。
階段を上りきって、図書室の方を見ると人影が見えない。
「久繰里さん、あれ、帰っちゃったのかな」
慌てて早足で向かうと待っていてねと言った場所に久繰里あかりの姿はなかった。
ふと見やると準備室のドアすき間に二つ折りのコピー用紙がはささまっていた。
不審に思い開いてみると、
「よろしくおねがいします」
と利き手ではない方で書いたような震え文字が記されていた。
状況からすればそれを書いたのは久繰里あかりだが、その定まらない筆跡の文字は先ほど見た「おねえちゃん」の名前を記した文字とは明らかに違っていた。
江洲楓は胸騒ぎを覚え久繰里あかりの携帯にかけた。彼女は電話には出なかったがすぐにメールがきた。
「きょうはすみませんでした。よろしくおねがいします」
素っ気ないメールだったが、確認がとれたのでとりあえずほっとした。
江洲楓は受け取ったカラス玉のペンダントを首にさげると校舎を出た。
風もないのに海鳴りがやけに騒がしく、いつもなら部活帰りの生徒たちでにぎわっているバス停には誰もいなかった。
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