第7話 おねえちゃん
声の主は片手に松明を持ち、もう片手でまとっているくるぶしまであるレインコートのフードをはらうと、こちらに一歩踏み出した。
「そちらにいらっしゃるのは、どこのお嬢さんがたかと思いましたら、先生とそのお連れの方かしら。観光はここまでですの。どうぞお帰りになってください」
松明を掲げもって立っていたのは久繰里あまねだった。
久繰里家で会った時のゆったりとした朗らかな様子とは違って、切羽詰まったような表情で妖しげな雰囲気を醸し出している。
「こちらの電気系統に不具合が起きたと連絡が入りましたのよ。
採掘現場の再現人形のコントロール機械にも影響が出てしまっていると伺って来てみたら、ずいぶんとひどいありさまになっていて驚きました。新しく整備するには、また新たな予算を組まなければなりませんわ。
それにしても、この壊れ方は、ただショートしただけではないみたいですね」
久繰里あまねはしゃがむと転がっている再現人形を松明で照らした。無表情で半開きになっている目がこちらを見ている。
久繰里あまねが空いている手でまぶたをおろしてやった。
すると今度は人形の口がぱかんと開いて、どろりとした液体が流れだした。どす黒い赤い液体が人形の唇を生々しく染めた。
「あらあら、この間の豪雨で地下水が増えて機械にまで溜まってしまったのかしら。それとも誰かがわざと壊そうと細工をしたのかしら」
久繰里あまねは松明をこちらに向けて、鋭い流し目を送った。
「信川美理愛さん、いらっしゃるんでしょ。こちらにいらっしゃい。よそのお嬢さまがたは、もうけっこうですから、どうぞお帰りください」
そう言って久繰里あまねは松明で倒れている再現人形の脇を照らした。
「ほら、道を照らして差し上げてますから、早くどうぞ」
江洲楓と竹園灰が自分たちの背後に信川美理愛をかばって動こうとしないのを見て、久繰里あまねは強引に張り付けたような笑顔で、語りかけてきた。
「美理愛さん、こちらにいらっしゃい。あかりと美理愛さん、あなたがた二人が揃ってこそ、黄金浦は平らかに統べられていくのですよ。
あなたも知っているのでしょう。ちゃんと教育を受けてきているはずですものね。
あら、意外そうな顔をして、あなたのお母さまの代わりに御本を読んで差し上げましたでしょう。学校の長いお休みの時は泊まりにきていたじゃないの。
忘れてしまったの。あかりとあんなに仲良く過ごしていたのに。薄情なのね、美理愛さん。
あなたは、自分だけ逃げたのですものね」
信川美理愛は自分だけ逃げたと言われて息を詰めた。
そうではない。
あかりのためなのだと言おうとして、でも、なぜか言葉が出なかった。
その様子を見て久繰里あまねは、薄笑みを浮かべた。
「ほんのひと時、峠の向こうに行ってくるだけです。サラカツギの儀は、血を流すような臓物を喰らうようなそんな暴力的で陰惨な因習ではありませんのよ。禍禍しさに満ちたものではないのですよ」
「そうは思えない。得体の知れないものに自分の娘をやってしまうなんて正気の沙汰じゃない」
信川美理愛は二人の間から前へ進んで言った。
凛とした佇まいの彼女に、一瞬、久繰里あまねはひるんだようだった。
「お久しぶりね、美理愛さん。ずいぶん大きくなったわね。あら、成人した娘さんにこのご挨拶はなかったですわね」
久繰里あまねは袖で口元を抑えると微笑みを浮かべながら言った。
「ただの契約なのですよ。当方と先方との間の昔からの約束事なのです。旧家の血を分けることで先方に優越感を抱かせて、代わりにこちらには町を維持するための財の情報をもらうのです。それだけのことです。
財といっても世の中を転覆させよう世界を欺こうなどいった壮大な愚かなことに使えるほどの巨額ではありません。
サラカツギの儀を願っているのは、黄金浦、そう、あかりと美理愛さん、あなたたちの故郷のためを思っている方々なのです」
信川美理愛は、江洲楓と竹園灰の方を振り向いた。
二人は何かあったら援護すると緊張感を漂わせている。
「さあ、あかりは、あなたに会いたがっています。今すぐ、いらしてくださいな」
久繰里あまねは慈母の顔になっていた。
久繰里あまねが粘るのは、久繰里家の
あまねの願いはこの町のことを大切にしている人々の総意なのだと、あかりと美理愛二人の意思は、そうした人々の善意の総意に吞み込まれてなくなるのが当然のことだと、その慈しみの表情はそう言っている。その表情は、全てを包みとらえて、抗う若い心をくじこうとしている。
居心地のいい居場所に住まわせ、外から守り、自ら動かなくてもようように与え、考えるのを億劫なようにもっていき、自分の思うままに囲ってしまう。慈母の笑みは若い心には毒だ。
「さあ、どうしたの、あかりが待っているのよ」
久繰里あかりが望んでいることというのは、信川美理愛にとって拒否しがたいことだった。
でも、会いたいというそれに応えることは、彼女をおぞましい因習に引きずり込むことになる。
今まで何のために身を潜めてきたのか。
全てが無駄になってしまう。
「そんな、得体の知れない相手のところに嫁ぐなんて、誰だっていやですよ」
江洲楓がさらりと言った。
「共同体のためにそんな自己犠牲、時代錯誤もはなはだしい」
竹園灰がそれに拍車をかける。
「今の世にそんな旧弊な取り決めごとなんておかしいです。私たちは、私とあかりは、そんな取り決めには従いません。従わずとも山の家を守っていきます」
信川美理愛が、きっぱりと言い放った。
「世間知らずのお嬢さんがたに何ができるのです。本当に、今の若い方たちは、
松明の灯が、ぐぐっとこちらに近くなった。
久繰里あまねが、手を伸ばしてきたのだ。
「風習自体は後世に引き継いでいくのが望ましいと思います。でも、実際に携わる人が嫌がっているのなら、無理強いするのはおかしいです」
江洲楓が松明をものともせずにこちらからも近寄った。
「文章と写真や絵、録音、録画の形で記録として残していけばいいのではないですか。後にまたその風習を継いでもいいという人が現れたら復活させればいいじゃないですか」
江洲楓は久繰里あまねに思わずそう話しかけていた。
しかし、ことはそう簡単ではないこともわかっている。
「よそ者が関わることではありませんのよ」
松明の灯が、また一歩、近くなった。
「時代は変われども、町の維持繁栄はそこに住む人のため、それをするのが町の上に立つもの、財で支えるものの役割。久繰里家はずっとそれを継いできたのです。そのための試行錯誤の末に結ばれたのです、財をもたらすものたちとの契約が」
江洲楓はひるまず久繰里あまねを見返している。
「今はもう情報は自由に手に入れられるようになってはいます。でも、そんな簡単に手に入るような情報では賄えきれないほど、負の財がふくらんでしまっているのです。何がきっかけだったのかは今となってはわかりません。ただ、私の代で久繰里家を潰えさせるわけにはいかないのです」
久繰里あまねは、松明のゆらめきに視線を漂わせている。
「それは、あなたのエゴではないですか」
「少し耐えればうまくおさまるって言ってるじゃない」
江洲楓の問いかけに、久繰里あまねは業をにやしたかのように早口になってまくしたてた。
慈母から鬼母の表情になっている。
「お告げあったでしょ、これに」
久繰里あまねは携帯を取り出して投げつけた。
竹園灰が足もとに飛んできた携帯を拾うと、素早くその携帯に表示されていた送信履歴を確認した。
「楓、これ」
示された画面に表示されていた送信先は全て江洲楓の携帯だった。
携帯に怪しげなメッセージを送ってきたのは、久繰里あまねだったのだ。
久繰里あかりが学校を訪れて帰ったあの夜、サラカツギの儀を行うのに不都合な「あれ」が厭うカラス玉を取り上げようとして、あかりにカラス玉を返せとせまったのも久繰里あまねだったに違いない。
子どもの頃からサラカツギの儀の継承を叩きこまれ、それを受け入れた久繰里あまねは、共に次の世代につないでいくはずだった信川美理愛の母を早くに失い、完全にバランスを崩してしまったのだ。
それでも、互いに思い合い高め合い自分たちの責務を果たすことを願い合っていた情熱をよりどころに生きてきたのだった。
そして、その願いを実らせるため、自らの不安定さを抑え込んでいたのだが、娘たちの離反にたががはずれてしまったのかもしれない。
「久繰里さん、あまねさん、誰かの犠牲の上に成り立つものは、ろくなもんじゃないと思います」
自分の感情に振り回されて収拾のつかなくなっている久繰里あまねを見かねて江洲楓が言い放った。
「何がわかるのです、お気楽なお嬢さんがたに。財が授からず、町が傾いたら、久繰里の家が傾いたら、私は存在する理由が亡くなってしまいます。彼女が生きていれば、それこそ、二人で手を取り合って……おねえちゃん……」
久繰里あまねはわっと泣き叫ぶと、松明を振り回し始めた。空中に火の粉が散って坑道内の空気がかき乱される。
「おねえちゃん? 」
江洲楓がたずねると、
「私の母は、桜の盛りの頃の生まれで、あかりのおかあさん、久繰里あまねさんは、桃の節句の頃の生まれだったと聞いたことがあります」
と、信川美理愛が答えた。
「いいから、お嬢さんがたは、どこかへ行ってしまいなさい」
久繰里あまねが松明を振り回しながらせまってくる。
「逃げて」
竹園灰が声をあげた。
呆然と立ち尽くす信川美理愛の手を江洲楓が引いて、こちらに向ってくる松明の火の粉をかわして久繰里あまねの脇をすり抜けた。
と、ふりまわしていた松明の灯が久繰里あまねの着ていたレインコートに燃え移った。
「あ、熱い」
久繰里あまねは叫びながら最奥の非常口に向っていき、三人が止めるのも聞かずにドアを開け外に飛び出した。
止める間もなかった。
豪雨で崩れていた外の遊歩道を踏みそびれて、久繰里あまねはそのまま斜面を転げ落ちていった。
幸いなことに地面を転がることでレインコートの火は消えてわずかに燻るだけになった。
全身打撲で動かなくなった久繰里あまねを元若衆組の青年団が駆けつけて担架に載せて連れっていった。
自分の肩を抱きしめて震えている信川美理愛の両の手に、江洲楓と竹園灰はそれぞれの手を重ねた。
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