エピローグ
夢をみている。
私をあやす母に抱かれて。
寝苦しい夜に母の腕枕で。
遊び疲れてうたた寝する母の膝枕で。
子どもの頃、折にふれ語られてきた話。
この家のこと、この家の歴史、この家の役割のこと。
一人で嫁ぐのではないから、一人で継ぐのではないから、あなたなは一人ではないから。
くり返される、一人ではないから、だいじょうぶなのだと。
母の声はやさしい。
母といる私のそばに誰かいる。
こちらに背を向けて一心に何かをしている。
子どもがいる。
一人でいる。
絵本を読んでいるのだろうか、リリアンを編んでいるのだろうか、千代紙を折っているのだろうか。
「おねえちゃん」
そう呼ぶとその子は振り向いた。
「あかり、ただいま」
「おねえちゃん……美理愛と二人で、家を継ぎます。
先方は、後ろめたいことがあるのか、契約のことについてこちらから交渉を申し出ましたが、まだ返答はありません。
でも、過去のことをあらいざらい調査して
それが、家を継いでつないでいく、最初の仕事だと思っています」
久繰里あかりの声には張りがあった。
「たいへんだと思うけど、協力できることがあれば言ってね」
「ありがとうございます」
久繰里あかりは、相談に訪れた時の憔悴しきった様子からずいぶん回復していた。
信川美理愛が親身になって世話をしてくれたのだという。
「伝承は伝承として記録して遺します。自分にとって厭わしいからといって抹消してしまうのは違うと思うから」
「あかりさん」
江洲楓は感無量で涙腺がゆるみかけていた。
久繰里あかりの母久繰里あまねは、全身至るところを骨折していたが幸い命に別条はなかった。ただ、頭部打撲で記憶が部分的に消失していて心身が回復するまで入院治療をすることになった。
「記録をまとめたら、読んでくださいね」
「もちろん。家の伝承も、黄金浦の伝承も口伝だけでは心もとないから、消失させないように記録するのはたいせつなことだと思うわ」
「よろしくお願いします」
「頼ってもらえてうれしい、こちらこそよろしくね」
江洲楓がにこやかに言うと、
「ありがとうございます。お二人のおかげです。これからもよろしくお願いします」
と、信川美理愛が丁寧に頭をさげた。
「また、図書室に、いつでも遊びに来てね」
「はい。お二人とも、今度は温泉に入りにきてくださいね」
「そうね、枇杷観音の湯つかりそびれちゃったからね」
江洲楓は笑顔で二人に手をふり、竹園灰は軽く手をあげた。
久繰里あかりと信川美理愛、二人の胸元には、それぞれカラス玉のペンダントが揺れていた。
二人に見おくられて、江洲楓と竹園灰は黄金浦をあとにした。
竹園灰の運転の助手席で江洲楓はくつろいでいる。
開けた窓から入って来る海風が心地よい。
真夏の少し前のにぎわいの予感をはらむ風だ。
それぞれの土地に、それぞれの家に、それぞれの伝承がある。
時に荒唐無稽であっても、決して疎かに扱ってはならないものがある。
真剣に守ろうとするものを、蔑ろにしてはならない。
真摯に向き合うこと、事象にも、人にも。
「ありがと、これからもよろしく」
江洲楓は、一人では解決できなかった今回の出来事に思いを馳せ、隣りでハンドルを握る竹園灰に心の中でつぶやいた。
サラカツギの家 美木間 @mikoma
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