第6話 雨乞麗嬢の初めての客となった少女の話

 くずれた風情が美しい人がいる。

 清潔さと不潔さのぎりぎりの線で、汚れやほこりもその一部のようにはずせない装飾として着こなしている人がいる。

 雨乞麗嬢のことを、少女はそう思った。


 小綺麗なものに囲まれていると、不意に不安にさいなまれることがある。

 人は、人間は、生きているだけで汚れを創出していく。

 かと言って、死を選んだとしても死の跡はやっぱり見えるもの見えないものの汚れを残す。

 考え出すと生きることも死ぬこともできなくなって、籠るしかなくなった。


 最初に雨乞麗嬢の客になったのは、そうした少女の一人だった。


 籠るのは少女の本意ではなかった。

 けれど、どうしたらよいのかもわからなかった。

 わからないままに、人目を避けて、そぼ降る雨の日を選び、レインコートをまといフードで顔を隠し傘で半身を覆い、怖ろしくよく当たるという噂の占い師のもとを訪れたのだった。

 

 ドアベルを鳴らすと、扉がひとりでに開いた。

 ふらふらと中へ入っていくと、じっとこちらを見て佇んでいる女性がいた。

 聞き知ったことから、彼女が雨乞麗嬢だとわかった。


 蜘蛛の巣のかかったかぎ裂きだらけのレースのショールをヴェールのように頭からかぶり、いつ洗ったのかわからないもつれた長い髪が見え隠れしている。

 ロングスカートの上にワンピースを重ねて、イングリッシュガーデンを刺繍したような重そうな花模様の前身頃のカーディガンをはおって、足元は毛足の長いペルシャ猫を思わせる室内履きで、触れ合う音が耳障りな琥珀の玉を連ねたネックレスを何十にも首にかけて、指には封蝋印の指輪をしている。

 いずれも高価ではるだろうが、どことなく薄汚れていて、ほつれ、破れ、みすぼらしく見えるのだった。

 ただ、見てくれはみずぼらしくても、本人には気高さが見て取れた。


 雨乞麗嬢の異様な風体に気圧されて、少女は言葉を見つけられず、口を開くことができず、きしむソファの真ん中に埋もれるだけだった。

 

 驟雨が館を覆うカーテンとなって、外部の音を遮断する。

 じっとしていると、足元から冷気がのぼってくる。

 バスの時間があるうちに帰りなさいと、耳鳴りが警告する。

 

「めしあがれ」


 抑揚のない声。

 顔を上げると、ボビンレースのドイリーを敷いたガラスのローテーブルに銀のお盆が置かれた。

 筆で描かれた青い線画の薔薇模様の薄手のティーカップに並々と注がれた紅茶からは、薔薇と蜂蜜の香りが漂ってくる。

 すぼめた唇にすっぽり入りそうな砂糖掛けのプチフールが、レース模様の小皿にのっている。すみれの花の砂糖漬けが紫の影を落とす。


「いただくわ」


 再び声がした。

 雨乞麗嬢は、鈍い銀色のスプーン、ティースプーンではなくスープスプーンですくって、ゆっくりと口に運んでいた。

 少女は倣っておそるおそるスプーンで紅茶を飲んだ。

 香りのまま薔薇と蜂蜜の紅茶だった。

 少女の頬に赤みが差した。

 

「これが、あなたのしるし


 雨乞麗嬢がカードを差し出した。

 一般的なタロットカードの絵ではなかった。

 奇妙に明るい透け感のある色彩の乱舞。

 抽象的過ぎて全く意味がわからない。

 少女がカードを手に困惑していても、雨乞麗嬢はもう何も言わなかった。


 ティーカップを置くと、少女はカードを胸に抱いて立ち上がり、一礼して館を出た。


 答えが出たわけではない。

 もやもやが晴れたわけでもない。

 がんばろうという気が起きたわけでもない。

 なのに、カードがあると思うと守られている気分になって、胸が温かくなった。


 少女は上着のポケットにカードをしまおうと手を入れた。

 指先につるんとした感触のものが当たった。

 取り出してみると、ビー玉だった。

 レモンドロップのような色。

 見覚えのないものだった。

 館で入れられたのだろうか。

 確かめに戻ればバスに間に合わない。

 少女は気にかけながらも、その日は帰ることにした。


 その夜はぐっすり眠ることができ、朝の目覚めもよく、少女は何事もなかったかのように日常に戻っていった。

 そして、そのまま、ビー玉のことは忘れた。

 カードは、同じようなことで悩む生徒へのメッセージとして、イラスト占い百科のタロット占いのページにはさんで、卒業していった。

 


 

 




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