第5話 朱を引いた闇の中を走る

 バスは日没後すぐの西の空に朱を引いた闇の中を走っていく。運転席のすぐ後ろの席が江洲楓の定位置だった。目の前に貼ってある路線図でいつものように家路を辿ると窓の外を見やった。江洲楓は久繰里あかりがもしや歩いていないかと目をこらしたが、それらしき人影はなかった。それどころか、いつもなら江沼駅まで歩ていく電車通学の生徒たちの姿もなかった。


 江洲楓が勤務している江沼西高から最寄駅の江沼駅までは徒歩で30分ほどかかる。駅からバスも出ているが、大部分の生徒は友人たちとおしゃべりしながらの通学路を徒歩で楽しんでいる。登下校時の店舗への寄り道は禁止されているが、川沿いの遊歩道や土手で水分補給をすることは、とくに問題視されていなかった。水筒のボトルキャップ一杯の水やお茶でいつまでも話していることができる彼女たちを見かけると、なつかしさと微笑ましさに包まれる。


 久繰里あかりも在学時は大人しい生徒ではあったが、決して暗さに引きずられているような少女ではなかった。自宅が江沼市の南のはずれの町で、バスでかなり時間がかかる上に繁華街のある江沼駅とは反対方向のため、連れ立って寄り道をすることはなかったように思う。その代わり放課後はよく図書室で過ごし、同じように図書室になじんでいる生徒たちと一緒にはしゃぐとまではいかないが、おしゃべりを楽しむそうした子たちの輪の中でにこやかに話を聞いていた。

 そうした在学時の様子からはかけ離れた憔悴しきった姿に、江洲楓はいたたまれなさを感じていた。

 憔悴の原因がなまなかなことでないのはわかるが、そこまであかりを追い詰める存在というのが気になって仕方なかった。


「大丈夫かな。相当追いつめられているような感じだったけれど」


 江洲楓はつぶやくと窓の外に目をやった。

 右手に松原が続き、その向こうは堤防、そして、堤防の向こうは小石の浜が湾の曲線に沿って広がっている。バスに乗って5分もしないうちに右手に外港が現れ観光遊覧船が停泊しているのが見えた。観光遊覧船乗り場の停留所でバスが止まると、待合室から数人出てきて乗り込んできた。観光客ではなく船で行く方が便利な地区の役場勤めの公務員だろう。腰かけると文庫本を取り出したり、居眠りをしたりと思い思いにくつろいでいる。


 バスは直進してから突き当りを左折し魚市場と内港を左手に見ながら港湾地区の観光食堂街を抜けて行く。次に停車したのは市街地を分断するように流れる枯野川かれのがわの河口の渡し船乗り場だった。港湾地区から河口の大橋までは徒歩だと少し距離があるため、観光のみならず地元民の足にもなっている。江洲楓も天気のよい日は利用している。

 渡った先にはひなびた漁師町の街並みがあり、河口沿いの道を進んで行くと海岸に出る。その手前で左折するとバス通りで道なりに進んでいくと、海底火山の名残りの標高100メートルもない低さながら、ごつごつとした岩肌を見せる動物が寝そべっているような居臥山いぶせやまが現れる。山のふもとすぐが波打ち際の居臥海岸は釣り場としてにぎわっているが、ビーチコーミングも盛んだった。

 江洲楓は地元環境ボランティア主催の海岸のクリーン作戦に参加した時に、深海に沈んだ客船のものと思われる客室の名札といった思いのほか面白いものを拾うことができた。それ以来、お宝目当てで時々参加している。


「海開きの前にもう1度くらいクリーン作戦があったかな。もしかしたら、これと似たようなものがあったりして」


 江洲楓は、カラス玉のペンダントに触れると、帰ったら久繰里あかりにもう一度連絡をしてみようと思った。

 

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