第二章

第1話 黄金の枇杷の家

「ようこそおいでくださいました」


 出迎えてくれたのは、草木染めの遠州縞えんしゅうじまの着物を品よく着こなした女性だった。木綿地の遠州縞は着るほどに生地がこなれて柔らかくなり着心地がよくなる。


 軽く結いあげた髪は金細工の華奢な櫛で留められている。小さな櫛だが細工は繊細で金山で栄えたこの辺りの素封家そほうかに代々伝わるもののように江洲楓には思われた。


「このたびは、娘のあかりがたいへんお世話になりまして」


 女性は久繰里あかりの母親で久繰里あまねと名乗った。

 女性が家督を継ぐ久繰里家は代々婿をとってきたのだそうだ。

 最初の夫とはあかりが生まれてすぐに死別しており、それ以降一人で家を切り盛りしているとのことだった。


 それにしても、二十歳過ぎの子どもがいるにしては、ずい分若く見える。そういえばこの辺には美肌と若返りの湯と言われる温泉がある。

 江戸時代に栄えた金山を観光のアピールにしていて、金粉温泉の素や金粉パックなどが土産物店に置かれている。昭和半ばに全て閉山になっているので、地元産の金ではないとわかるが、土産物としては人気があるようだった。


「昔の不老不死には鉱物が使われてたましたでしょ。最もとんでもない毒の鉱物だったんですけどね。美と若さ、生命力を求める人の執着心というのは恐ろしいものです」


 楚々とした佇まいだが気さくでよくしゃべる人だった。内気ですぐに何かにおびえるようなところのある久繰里あかりとは正反対だ。

 艶のある廊下は日々の手入れの行き届いている様子を伺わせる。

 前を歩く久繰里あまねの足袋の白さがその艶に際だつ、そして、足音のしない歩き方に目がいく。

 

「どうぞ、お入りください」


 久繰里あまねはすっと跪くと、障子戸を開けた。

 無音の所作の美しさに、空気に清冽さが走った。


 そこは、囲炉裏を中心にした八畳ほどの部屋だった。

 部屋の隅に信楽を思わせる渋い色調の壺が置かれ、蛍袋ほたるぶくろ苧環おだまき弟切草おとぎりそうといった山野の花が投げ入れてある。


 壁際には骨董と思われる船箪笥が据えられていた。

 船箪笥は、商いの道具を仕舞っておく小型で丈夫な船上家具だ。江戸時代末頃に盛んだった北前船に積み込まれていた。


 黄金浦は漁村なので、船箪笥を乗せるような船はなかったはずだ。とはいえ幕末の頃に滞在した御露西亜人の要望で、日本の骨董品を誂えたということがあったのかもしれない。


 その船箪笥は懸硯かけすずりと言われるもので、けやきなどの木組みが蝶番ちょうつがい、錠前などの鉄金具ででがっしりと覆われている独特の佇まいをしている。


 中は金銭、帳面、筆、硯といった商い道具が仕舞えるようになっていて、持ち運びできるように上部に持ち手が付いている。

 箪笥の上には持ち運び用の取っ手が付いていて、その右側に花をいけてある壺と、同じかまのものを思われる香炉が置かれている。

 左側には持ち手が曲線を描いている鉄製の燭台に枇杷の実る枝を描いた絵蝋燭が立っている。興味深げに絵蝋燭を眺めている江洲楓の視線を捉えて


「そちらは、はぜの実を二年間寝かせた古々実ここみを使った木蝋もくろうなんですよ」


と久繰里あまねが言った。


「二年も実を寝かせてるとは、ずいぶん上質な和蝋燭なんですね」

「火を消したあとのにおいにくせがないんですよ」

「そうなんですね。アロマキャンドルはくつろぎたい時に灯してますが、こちらのような純天然の和蝋燭のにおいも穏やかな心持ちになりそうですね」

「よろしかったら、お包みしましょうか」

「あ、いえ、申しわけないです」

「こちら市販はされませんので、ぜひお持ちください。お帰りまでにご用意します」


 それ以上断るのもおかしな具合になってしまい、江洲楓は困り顔で会釈した。


「お客さまにくつろいでいただきたい時、こちらにご案内させていただいてるんですよ」


 久繰里あまねは囲炉裏の端に江洲楓を導くと、


「どうぞ、お座りください」


 と火を入れていない囲炉裏を囲むように敷いてある裂織の座布団をすすめてくれた。


「ここも維持が難しくなってまして、蔵のものも骨董以外は処分するしかなくて。先祖の暮らしのしみついているものばかりですから、ただ捨ててしまうのも忍びなくて、こうしてリサイクルして活用するようにしてるんですよ」


 古風な佇まいの割には生活感のある発言に少し驚いた。

 ここでは、一般の価値観などではなく、生活者としての価値観が重要なのだ。

 清々しさを感じ、江洲楓は肩の力が抜けるのを感じた。


「あらためて自己紹介させていただきます。私、江沼西高で司書をしております。久繰里あかりさんは、在学時によく利用してくださっていました。ボランティアとしても活動してくださり、本のことをはじめ、よくお話させていただいておりました」

「存じ上げております。あかりは、図書室のことや司書の先生のことは、よく話してくれてたんですよ」

「そうでしたか。うれしいです。そういえば、こちらにもかなり多くの蔵書があるそうですね」

「古いというだけでさほど価値のあるものではありませんが、古文書講読会の方々が調査と保存に尽力してくださっているので、アーカイブを作りましょう、とはりきってらっしゃって」

「アーカイブ、ですか」


 司書としては馴染みのある言葉だが、この場にはなんとなくそぐわないような気がする。

 母はここから離れて住んだことはないと久繰里あかりは言っていたが、実のところどうなのだろう。


 行儀見習いだという若い女性がお盆を運んできた。それから江洲楓の前に、茶碗とお菓子ののった皿を並べた。


「こちら、よろしかったらお召し上がりください」


 なまこ壁を模した模様が縁に施された角皿に、小ぶりの枇杷の実が透けて見える葛餅がぷるるんと揺れている。枇杷が名産なのだという。


「涼し気ですね。こちらは、地元の和菓子屋さんのものですか」


 添えられているのはガラスのスプーン。すくって口にいれると、ほのかな果実のリキュールの香りが広がる。


「うちのパテシエさんが作ってます」

「パテシエさん? 菓子工房かカフェを経営されてるんですか」

「こちらを運んでくれた彼女です。うちで行儀見習いの名目で家事全般をしてもらってるんです。とても優秀なんですよ、東京の製菓学校で表彰されたこともあるんです。遠縁のお子さんをお預かりして久繰里家の歴史を学びながらお作法ごとを身につけていただくならわしがありましてね。嫁入り修業、婿入り修行のようなものです」


 久繰里あまねはやわらかな笑みを浮かべると自らも葛餅を口に運んだ。


「梅雨明けから海開きにかけての頃には、これが一番です」


 自画自賛のようにもとれるが、彼女が言うと自然に言葉がこぼれたかのようで嫌な感じはしなかった。


「この辺りではみかんの栽培もずいぶん盛んなのですけれど、実のところ、オレンジやレモンなどに比べると、みかんはそのまま食べるのが一番美味しいと思うんですよ。みかん大福などは切り口がかわいらしくて、お写真にはいいのでしょうけれど」

「そうかもしれませんね」

「夏の日暮れ頃は、斜面の枇杷畑が一面黄金色に染まりましてね、金山で栄えたところですから、御利益があるんじゃないかって、枇杷観音が祀られるようにもなったんですよ」

「枇杷観音ですか」

「ええ。ちょうどそのすぐ近くに温泉も湧きましてね、美と健康の不老不死の観音の湯、だったかしら、雑誌やメディアで時々取り上げられてるんですよ」

「そういえば、見たことがあります、記事」

「よろしかったら、観光していってくださいね。あら、でも、ここら辺も地続きで地元になるのですよね。何度もいらしてますよね」

「いえ、以外に近場はじっくり観光したことないです」

「でしたら、ぜひ」


 しばしお茶とお菓子と歓談が続いた。

 おしゃべりをしにきたわけではないが、和やかな空気をうかつに壊すわけにもいかなかった。

 それでも、頃合いを見計らって、江洲楓はおもむろに切り出した。


「あかりさんのご様子は、いかがですか」


 一瞬、火のない囲炉裏の炭が、ちかり、と光ったように見えた。

 あの蛍光グリーンを思わせる閃きだった。








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