第12話 カラス玉の謎
食卓につくと「今日のオードブルです」と竹園灰が小綺麗な装幀の詩集を白磁の大皿にサーブした。すらりとした長身に憎らしいほどソムリエエプロンが似合っている。
江洲楓は詩集をぱらぱらめくって目に留まったページを黙読した。
黙読だが口は動いている。
竹園灰はその口元を見つめて、心の中で同じ詩をそらんじる。
食器に食べ物以外のものを乗せるなど品のない行為だとわかってはいるが、それは母との大切な思い出の一つだった。
幼い頃の一時期実家が傾きかけた折に食費が削られ、せめて食卓が楽しくなるようにと紙に描いたご馳走や小説の中の美味しそうな部分を抜き書きした紙を、母は皿にのせてくれたのだ。
「美味しかったな」
江洲楓のつぶやきに、竹園灰は肩眉を上げて興味を示す。
「斜陽のスープ」
家が傾く前に都内のホテルの料理長を招いて習ったコンソメスープを、母は最上等のごちそうと言って、本当に食材の乏しい時に、抜き書きの紙と共に食卓に並べていたのだった。
竹園灰もご相伴に預かったことがあった。
心なしか穏やかな表情が彼女に浮かんだ。
江洲楓が本を閉じて皿の上に置くと、竹園灰が皿ごとさげて代わりに蓋付きの深みのある器を持ってきた。流れるような仕草で蓋をとると、ブイヤベースが黄金色の湯気をあげていた。
柳細工のかごには厚切りのバゲット。ワインの搾りかすとグリーンペッパーをまとった山羊のチーズにトレーシングペーパーのような透け感のある生ハムとオリーブが小皿に添えられていた。
大ぶりのグラスに赤ワインを注ぐと竹園灰はキッチンへもどり、江洲楓は食事を始めた。ふだんはつましい食生活をおくっているが、週末はちょっとした贅沢をしているのだった。
もちろん望めば毎日グルメ三昧もできるだけの財力は今の実家にはある。しかしかつて没落しかかった時のことが強烈な印象として残っていて、贅沢三昧する気にはなれなかった。
それにお家復興以降江洲家の教訓として贅沢はし過ぎないようにと叩き込まれてきたので、そうそう自由にふるまえるわけではなかった。
非常勤の学校司書の給料で賄えるのは、週末ディナーを華やかに楽しむくらいのことだった。そうした事情を知っている竹園灰は、予算内で江洲楓が笑顔になる料理を見事にこしらえてくれるのだった。
本日のメインは鹿のロースト赤ワインソースブルーベリージャム添え、ジャガイモとグリーンピースのツートンカラーマッシュ。ブイヤベースだけでもボリュームがあるのに、今ここでは一人でないという安心感から江洲楓は急に食欲が出てきて全て平らげた。
「デザートは、召し上がりますか」
食事が終わる頃合いを見計らって竹園灰が戻ってきた。
もったいぶった口調が場を和ませる。
「今日は、何があるの」
「イチジクの赤ワインコンポート、バニラアイス添えチョコレートソースです」
「今日は赤ワイン尽くしね。ちょっと胃をすっきりさせたいから、ペリエもお願い」
すぐにデザートが運ばれてきた。白磁の大皿に描かれたデザート絵画に笑みを浮かべて江洲楓は「いただきます」とつぶやいた。それから、シルバーのスプーンにイチジクをのせ、その上にチョコレートソースがけのバニラアイスを重ねて口に入れた。
ディナーを堪能して満足げに口角を上げ、彼女は最後にペリエを口にした。心なしかいつもよりピリリとした感触が舌先に走った。ペリエがのどを一気に落ちていく時に少しむせて、さらに胸の奥がピリッとして思わず手で胸元を叩いた。
「大丈夫? 炭酸入りでないの持ってこようか」
竹園灰が素に戻って言った。
「ありがとう、大丈夫、落ち着いたみたい」
そう言って江洲楓が部屋へもどろうと立ち上がろうとした時だった。
「え、なに」
彼女は思わず声をあげた。
眩暈に襲われ椅子から崩れ落ちそうになったのだ。
懸命に両腕で椅子の肘かけにつかまってこらえているが、誰かに足を掴まれて引っ張られているかのように両足を伸ばしまま身動きがとれなくなっていた。次第に目の奥がちかちかしてきた。
異変に気づき竹園灰が駆け寄ってきた。彼女は江洲楓の胸元で微発光しているものに気付き、「ちょっとごめん」と言うと首筋に手を伸ばしネックレスのチェーンをはずしてペンダントを彼女の首からはずした。
江洲楓は大きく息を吐くと、全身の力が抜けたかのようにくったりとした。首筋から胸元にかけて赤い発疹が出来ている。アレルギー性の蕁麻疹のようにも見える。
竹園灰はソムリエエプロンのポケットからペンライトを取り出して、ペンダントについているプラスチック様の宝石型容器に入っているものに光を当てた。レモン色のそれは、神秘的な蛍光グリーンに浮かび上がった。
「これは、ウランガラスじゃないかな」
「ウランガラス? ウランって危ないものじゃないの」
「危ないと一概には言えないものだけれど。楓の首筋の赤いのはチェーンの金属アレルギーみたいだし」
「預かりものなの。カラス玉っていうものだそう。無くさないように身につけてたんだけど、やめた方がいいかな」
江洲楓は眉をひそめると、掲げられて揺れているペンダントトップのカラス玉を見つめた。
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