第一章

第1話 元図書室常連久繰里あかりの話

「おはよう」

「おはようございます」


 大人になって就職した先で「おねえちゃん」は「わたし」こと久繰里くくりあかりの上司になっていました。学年は同じでも転職した私はここでは新人です。短大を卒業して最初の職場は激務でからだを壊し次の職場では人間関係で心を壊しいずれも半年も続かず丸一年療養した後の三ヶ所目の職場で私は、新人教育の係長信川美理愛ことおねえちゃんと再会したのです。

 おねえちゃんは子どもの時のままきれいに成長していました。縁なしのラウンド型の華奢なメガネがよく似合っています。


 お昼休みに、化粧室に行くと、メガネをとって目薬をさしているおねえちゃんがいました。 


「覚えてるんでしょ」


 声をかけてきたのはおねえちゃんからでした。

 有無を言わせない口調は変っていません。

 その一言で、私は、おねえちゃんと二人、野原に立っていました。

 子どもの時の関係は、自分が望めば続くのです。

 望まないなら、今、ここで、宣言しなければなりません。


「これ、あげるわ」

 

 私のためらいなど一蹴する声。

 おねえちゃんが差し出したのは、カラス玉でした。

 金色の細い鎖が付けられています。

 おねえちゃんの申し出を受けない選択など私にはありません。

 私は、カラス玉を受け取りました。


「つけてよ」


 おねえちゃんに言われて私はカラス玉のネックレスをつけました。

 金の鎖は冷たいのに、カラス玉は熱をもっていました。

 カラス玉はプラスチックのおもちゃで、ダイアモンドの形をしています。

 首にさげると、プラスチックにしては重みがあるので、おかしいなと思いました。

 手に持ってよく見ようとすると、「昼休みはもうおしまい」と言って、おねえちゃん私の腕を引っ張りました。

 つかまれた腕にこめられた力の強さに、カラス玉に触れかけた手がはがされました。


 私は席にもどりました。

 誰かの出張のおみやげなのか、マカロンの包みが一つ、机に置いてありました。いちごの絵の描かれた包みを開けてマカロンを口に含みました。甘酸っぱ過ぎて、慌てて紅茶を飲み干しました。いれたままになっていた紅茶は冷めていました。

 わたしは、ブラウスの上からカラス玉に手を当てました。

 じんわり熱い塊が手のひらに伝わってきます。

 その熱は、カラス玉から手のひらを伝って全身を駆け巡りました。

 目を閉じると野原に二人、「おねえちゃん」と「わたし」が立っています。

 

「ひっぱりっこ、もう一回してよ、おねえちゃん」

「いやよ。今日はおしまい」


 おねえちゃんは、カラス玉を陽にかざして片目をつむって観察しています。

 カラス玉が欲しい私は粘ります。


「ねえ、お願いだから、もう一回」

「だめよ。欲しいなら、欲しいって、言いなさい」


 なぜだか私は欲しいと言えませんでした。

 私はがっかりして、「帰る」と言ってのろのろと歩きだしました。

 おねえちゃんはすぐに駆け寄ってきて、一緒に並びました。

 公園の一本杉の根っこの穴。

 そこがカラス玉の隠し場所です。

 カラスが悲しそうに、かー、かー、かー、と三回鳴きました。



 私がそろそろ新しい職場に慣れてきた頃の連休明けに、おねえちゃんは会社をやめていました。

 会社だけでなく、人生もやめていたのです。







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