第2話 話してくれて ありがとう
話し終えると
「話してくれて、ありがとう」
「ちょっと換気するね」
カーテンは閉めたまま窓を少し開けると、梅雨の晴れ間のさわやかな風が吹き込んできた。江洲楓は風を吸い込むと、気取られないように小さくため息をついた。
在学時の久繰里あかりは、やわらかな頬のラインをなぞりなだらかな肩にかかるさらりとした黒髪の印象的なおっとりとした少女だった。同年代の活動的な少女たちのような溌剌さはなかったが、健やかさは感じられた。
それが、今目の前でうなだれている彼女は、病みやつれたというのがぴったりと当てはまるような生気のない様子をしていた。化粧はおざなり、髪も無造作に束ねているだけ、部屋着の延長のようなくたびれたロングTシャツとジーンズ。そのあまりのやつれぶりに彼女の在学時から司書をしている江洲楓は、目が離せなくなってしまっていた。
「お湯わいたかな、お茶いれましょうね」
江洲楓は沈黙を避けるように言うと、準備室の小さな流しに立って紅茶をいれる準備を始めた。
いくら図書室の常連だったとはいえその親密さは一過性のものだと江洲楓は思っている。だから卒業生が来ても、深入りしないように相手の話をきき、話させることで少しでも気持ちが軽くなればというスタンスをとっていた。
深刻そうな様子でやって来た久繰里あかりにも、最初はそうするつもりだった。
ところが、久繰里あかりは、話すほどに生気が漏れ失われていくようなのだった。
大抵の生徒は、卒業とともに始まる大学や職場の新しい環境の新鮮さに惹かれ古巣に戻ってくることはなくなる。とくに図書室を訪れるもの好きな生徒はごく稀だった。それもあって、江洲楓は、礼儀正しい訪問者には準備室で歓待することにしていた。手を離れた子どもたちの外での話をきくのは楽しかった。
たまに来る図書室の常連ではなかった生徒などは、本題に入る前に図書準備室の適度な乱雑さに居心地の良さを感じると口にし、学校にいた間にもっと図書室を利用しておけばよかったと笑顔を見せる。その多くは追従ではなく心底から出る言葉であることは江洲楓を喜ばせた。
久繰里あかりの話は、しかし、思い出を語るといったセンチメンタルなものではなかった。
幼い頃近所に住んでいた少し年上の少女と就職先で再会したものの、連休明けに急にその彼女が会社を辞めた上にどうやら亡くなってしまったらしいというものだった。仕事でも私生活でも問題を抱えているようには見えなかったことから、衝動的なことだとされているが、彼女は自分に原因があるのだと思いこんでいるようだった。
なんでも自分のせいだと思いこむのは傲慢なことだと指摘するのは簡単だが、目の前の彼女にそれは響きそうになかった。
江洲楓は、窓際のワゴンに置いたティーセットで紅茶をいれると、久繰里あかりにすすめた。
「紅茶、冷めないうちにどうぞ。これ、よかったらお砂糖代わりに」
江洲楓は修学旅行の土産で配られた可愛らしい千代紙の小箱のふたをとり差し出した。カワイイと騒いで写真を撮るのに夢中になる生徒が多いが、久繰里あかりは無言で下を向いたままだった。あえてそれ以上は声をかけずに、江洲楓は薔薇の形をした干菓子を口に含んでそれから紅茶を飲んだ。上品な甘さの干菓子がふくよかな紅茶の香りとともにほどけていく。
「味が、します」
初めて久繰里あかりが小さく笑った。
美味しいではなく味がするとはひっかかるが、あえてそこには触れなかった。
「よかった、干菓子って紅茶やコーヒーにも合うのよね」
と、チャイムが鳴った。部活動終了を告げる午後6時のチャイムだ。最終下校時刻の6時半まで校内は慌ただしくなる。じき週番の教師が追い出しにやってくる。卒業生の相手をして遅くなりがちな彼女を快く思っていないものもいるのだ。
「そろそろ閉館準備をしなければならないの、ごめんね、ちょっと席をはずすけど、待ってて。紅茶おかわりいかが」
「あ、大丈夫です」
あかりは、少し慌てた様子で干菓子をたて続けに口に含むとティーカップに口をつけた。
それを目の端で確認して準備室を出ると、カウンターの貸出用端末のスイッチを切り、乱れた棚を直しながら室内を一周し、置きっぱなしになっている筆記用具を集め、椅子とテーブルを整え、カーテンを閉めカウンターに戻ってきた。
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