違法経済特区編 第一話『イノベーション』
日の光が、西の空を赤く染めている。
最近、低所得者による自殺が増えている。その日の昼間、ニュースでビルから飛び降りた男性の事件を見ていた。どうやら会社をリストラされたあげく、打開しようとマネーゲームに挑んで見事に失敗してしまったらしい。
久間は、自殺が嫌いだった。死んだら、もう何もない。人を殺すのが悪なら、自らを殺すことも悪だ。そう考えていた。
自殺をしたところで自分や誰かが、救われるはずなどない。これは、揺るぎない真実だ。
だが金が原因で自殺をするということは、逆に言えば、金で人間の命が買えるとも言える。
これは簡単に言っているが、非常に恐ろしいことである。決して、あってはならない。
まさにお金とは人の命だ。人の生死をお金が決めている。
それなのに、この世はお金で溢れかえっている。どこにでもある、誰でも持っている。それがお金だ。
なら、どうしてお金を必要として死ぬ者がいるのだろうか。それはお金がないからだ。正確には、お金に困っている人間のところに、わざわざお金を分け与えてくれるものなどいないからである。しかし、お金が有り余っている人間など、この世には数え切れないほど存在する。だがその大半は金を無駄なことに使う。いや、本来お金とはむしろそういうものなのだ。
生きるために使うお金など、元々この世にはない。あるのは自分を満たすためのお金、それだけだ。
だから、生きるためのお金がなくなる。人間ならば、いや、生物ならば、生きることが最も優先されるはずなのだ。しかし、人はそれを選ばない。
生きるためだけにお金を使っていれば、人が金で自殺をすることなど、決して起こらない。それが久間の持論だった。
だからこそ、自殺をする人間は愚かで低脳だと見下していた。
自殺者に同情する者もいるが、それは偽善者に過ぎない。それが久間善治という男の持つ考え方だった。
そんな、ありふれた自殺ニュースについて考えていると、いつのまにか職場へとたどり着いていた。
久間は高校を中退しており、今は借りているアパート付近にあるコンビニエンスストアでアルバイトをしている。オーナーには世話になっており、固定金で社会扶養をつけて働かせてもらっている状態だ。
「……お疲れ様です」
事務所のドアを開けると、オーナーが防犯カメラの映像をチェックしていた。
「おはよう久間くん」
「もう夕方ですよ? おはようって時間じゃないでしょ」
「はは、たしかに」
「何してるんですか?」
「実はレジのお金が合わなくてね。いま金庫の中もチェックし終わったんだけど、特に異常がないんだよ。だからこうやって、カメラでチェックしてるってわけ」
「あー、なるほど……」
実はこのコンビニでは、先週からレジや金庫の金額が合わなくなっている。間違いなく、スタッフの誰かの仕業だ。金庫の鍵も、レジの中身も、従業員ならば容易に持ち出せる。ただ、防犯カメラが事務所を含め至る所に設置されているため、まず盗もうなどと考える者はいない。そう、まともな人間ならば。
「店長、前にも言いましたけど、やっぱりあの新人が怪しいですよ」
「久間くんもそう思うか。あんまり、仲間は疑いたくないんだけどなぁ」
「防犯カメラ見ながら言うセリフじゃないですよ」
「いや、これは一応だよ。あくまで念のためさ。警察に相談しても、やっぱりそれなりの根拠がないと取り合ってもらえなくてね」
だが、そう言いつつも加村は、久間が疑っている例の新人がシフトに入っている時間の映像ばかりをチェックしていた。
加村も、やはり心のどこかで感じているのだろう、犯人が誰なのか。
「今……もしかしてあいついます?」
「ああ、ちょうど君と交代だよ」
その疑われている新人は、ちょうど今日の昼間からシフトに入っていたらしい。そして今日もまた、レジと金庫の金額が合わなくなっている。もはやこれは確信犯だろう。
「あっ……」
加村が防犯カメラの映像から何かを見つけ、思わず声を漏らした。
気になった久間も、近づいてカメラの映像を覗き込む。
それは、レジの中の金額を合わせる点検行為の映像だった。
その新人が、レジから取り出したお金を金庫に収める際、妙な動きをしていた。しきりカメラを気にして、一万円札を二枚、ポケットにしまった。まさに、言い逃れ不可能な決定的瞬間である。
「もしかして店長、カメラの位置少しずらしました?」
「いや、ずらしたわけじゃないよ。カメラを一つ増やしただけさ。この映像は、そのすぐ側につけてある隠しカメラの方なんだ」
「店長、意外にやりますね」
加村は、証拠を確保するためにカメラの数を密かに増やしていたのだ。それも、本来のカメラの映像をそのまま残し、加村がパスワードを入力しなければ見ることができないように設定されていた。
しかも、隠しカメラは本来の防犯カメラのすぐ側、それも少し角度を調整してあるだけだ。これによって、元々の防犯カメラの死角になっていた部分を的確に捉えていた。
「悪いね久間くん。今から警察に連絡するけど、気にせず仕事の方を進めておいてくれ」
「わかりました」
加村は、その例の新人を事務所に呼び出した。
名前は
だが、浅野は髪も服装も態度も、特に異常がある人物ではなかった。加村も噂ほどではないとわかったから採用していたのだ。しかし、それは最初だけだった。時間とともに態度も接客もどんどん悪くなっていき、最近ではトイレに篭ってサボることが多々あり、お客や他のアルバイトからも頻繁にクレームが来ていた。
そんな時に起きた窃盗事件だ、疑われるのも無理はない。
久間も、浅野とはわざと距離を置いていた。最初の猫を被っていた頃の彼にですら、全く心を開かなかった。見抜いていたのだ、浅野の本性を。
特に久間は、昔から目敏く、そういったことに鼻が利く。そしてそれは案の定、的中してしまった。
しばらくして警察が到着し、事務所で事情聴取が始まった。
浅野の両親は彼の素行不良について知っていたらしく、またかといった表情を浮かべている。
未成年、それも初犯ということもあり、その場は厳重注意ということで解決した。
本来なら、これは逮捕されて当然の案件だ。しかし、加村があまり大事にしたくないからと、被害届などは出さなかった。
こういったことは、今までにも何度かあった。久間が働き始めてからだが、老人による万引きの被害が出た際も、警察を呼んで注意してもらうことだけで済ませている。まさに典型的な事なかれ主義である。
警察や浅野たちが帰った後、久間はそのことについて加村に訊ねた。
「店長、少し甘すぎませんか? あいつ、今までだって散々店に迷惑かけてきたんですよ? それなのに、あんな簡単に……」
「まあ、僕は彼をいじめたいわけじゃないからね。相手が悪人ならとことん潰そう、なんて気持ちは僕にはない。むしろ、長引いてもいいことはないよ」
加村が言っていることは正論だった。相手がどんな罰を受けようと、別に加村が得をするわけではない。要は、被害総額分の穴埋めだけあれば十分なのだ。あとは、適当に終わってくれればいい。むしろ、邪魔な虫がいなくなって軽くなったのかもしれない。
ポジティブと捉えればそれまでだが、根本的な問題を解決しようとしないあたり、加村の自己中心的な考え方が酷く露呈していた。
「店長、さわやかな顔で結構酷いこと言いますよね。そういうとこ、ちょっと苦手です」
「えぇっ⁉︎ 苦手って、普通それ本人を目の前にして言う?」
「店長なら、基本的に何を言っても笑って済ましてくれると思いまして」
「うーん。舐められてるのか、それとも信頼されてるのか、微妙なところだね」
久間は、加村のことを信頼している。だがそれと同じくらい、この男を軽蔑していた。言ってしまえば、仕事上の付き合いだけなら問題ないが、決して友人にはしたくない相手ということだ。
ただ、別に悪人とまでは思っていない。というより、むしろ逆だ。社会では加村のような生き方は正しい。争わず、場を穏便に済ませることを最優先に考える。それが利口なのだ。変に尖っている人間や、馬鹿正直に振る舞う人間の方が、今の世の中では損をする。
それは、久間が最もよく理解していた。己の父親と母親も、まさにそういう人間だったからである。
久間の父親は妙にプライドが高く、傲慢な男だった。会社をリストラされても、家族にはしばらくそのことを話さず、隠し通そうとまでしていた。自身の存在意義を失うのが怖かったのだ。
家族にとって、頼りにされる存在であり続けたい。そういったことにこだわるタイプだった。そんな安い虚栄心など捨ててしまえばいいのに、家族にリストラがバレた途端、突然蒸発した。
今もまだ、その行方はわかっていない。
そして、母親の方は呆れかえってしまうほどに馬鹿正直な人間だった。
リストラ後に父親が作った借金の額を、悪徳金融の社員に騙され倍以上に増やしてしまったのだ。
それから、なんとか久間を高校に通わせようとがむしゃらに働いていたが、ついにその限界を迎え、首を吊った。
まさに、人生の負け組。その典型例だ。
決して両親のようにはならない、久間にとっては反面教師そのものだった。
この世に、お金で買えないものはない。両親のせいで失った人生の好機を、お金の力でいつか取り戻す。
それが、久間の生きる糧だった。
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