拝金主義者編 第八話『ベストプラクティス』

 恐る恐る振り返る和泉いずみそして、そこに立っている人物に目を向け、顔を強張らせた。

 それは、そこにいるはずのない存在だったのだ。


「はは……なんだよその面、人をバケモノみてぇによぉ……」


「なな……なんでてめぇがここにいる! 上層階にいたてめぇが、こんなにも早くここまで降りて来られるはずがねぇ!」


 和泉は震える唇を必死に動かし、言葉を紡いだ。


「おいおい、もっとちゃんと考えろよ。その優秀なおつむでさぁ。もしかして、まだ気づいてないのか?」


 久間きゅうまはここぞとばかりに煽った。顎を突き上げ、目線をわざと高くする。


「エレベーターは使えねぇ……この状況でこんなにも早く来れるわけが……あっ……」


「やっと気づいたか。そうさ、エレベーターを爆破したりしちゃいねぇ。爆破のタイミングでカメラを壊しただけさ。お前は勝手に勘違いしたんだよ、エレベーターが爆破されたんだと」


 和泉はモニターに再び目を向ける。上層階のカメラが潰されたことで、注意をそちらに向けられしまい、ロビー一階のカメラに映る久間を見逃してしまったことに、今更ながら気づく。


 全ては、この男の手のひらの上でいいように踊らされていたのだと。


「てめぇ、そういうことか……上層階のカメラを破壊したのは、爆破された本当の場所を俺に悟らせないための罠。最初からお前は、俺をこの警備室に足止めするのが目的だったのか!」


「そりゃ、こんな広いビル内でウロウロされたりなんかしたら俺の方が困るだろ」


「はは、違いねぇ。だがその根性、気に入ったぜ。この第一位とタイマンで決着つけようってのか。良い度胸だ!」


 和泉は自身の分身ペルソナを隣に出現させ、戦闘態勢に入る。


「ここからは互いの資産アセットをぶつけ合うガチバトルだ。悪いが、経験の差だけ見ればてめぇに勝ち目はねぇぞ?」


「よく言うぜ。てめぇはカメラ見て指示出してただけじゃねぇか、経験もクソもあるかよ。この引きこもり野郎が」


 口喧嘩だけで言えば、久間の方が有利かもしれない。それほどまでに、人を食った態度がよく似合う。


「残念だけど、俺がこの部屋に着いた時点で、お前はもう詰んでるんだよ」


「はあぁ? なにふざけたことを抜かしてやがる! お得意のハッタリも大概にしねぇか!」


「お前こそ何言ってんだ? 俺が何の準備もせず、のこのことこんなところに現れると……本当に思ってるのか?」


「な……なんだと?」


 その瞬間。和泉の体に悪寒が走る。まるで獰猛な肉食動物に背後を取られたかのような恐怖が、彼の全身を駆け巡った。


 久間は背中に隠していたある物を取り出し、その先端を和泉へと向けた。

 それは誰もが一度は見たことがある、ごくありふれた物、水鉄砲だった。それも少し大きい、子供に人気があるタイプだ。


「ふざけてんのか! あぁ? んなガキのオモチャで俺に勝てるわけねぇだろうが!」


 和泉の怒号が警備室に響き渡る。

 だが久間は終始笑顔で、その表情からは底知れぬ自信と余裕が感じられた。


「そうだな。これの中身が水なら、単なるオモチャで終わりだ。けど、よく見てみろよ」


 水鉄砲の先端には、何故か火がついたままのライターがガムテープで固定されていた。ちょうど、水鉄砲の発射口の前である。

 その瞬間、和泉の顔色が悪化した。

 額に青筋を立て、目を大きくする。


「超節約、お手製の火炎放射器だ」


 水鉄砲の口から、激しい炎が放たれる。中に仕込まれていたのは、水ではなくアルコール濃度の高いお酒。ライターの火を通って、うねる巨大な炎へと変貌していった。


 和泉の足元はたちまち炎によって包まれ、逃げ場を失ってしまう。


「ほら、ダメ押しだ」


 久間は和泉目掛け酒瓶を放り投げる。ぶつかった衝撃で瓶が割れ、中から飛び出した大量の酒を、和泉は頭から被ってしまう。


「くそっ! なんだこりゃ!」


「お前が酒好きかどうかは知らねぇけど、一般的に名前くらいは聞いたことあるだろうよ。スピリタス、炎上した部屋でそいつを被るってのは、人生で中々経験できないことだと思うぜ」


 たちまち酒に引火した炎に、和泉の体は呑み込まれていった。

 だが、トランザで決して人は死なない。永遠に全身を焼かれ続けるというのは、死よりも辛いことだろう。


 当然、損失もそれに見合ったものとなる。和泉の貯蓄されていた総資本が、激しい業火によってたちまち溶かされていく。


「甘い! 甘いぞクソガキィッ!」


 和泉の咆哮とともに、和泉を包んでいた炎が一瞬のうちに消し飛んだ。


「これが俺の持つ資産アセットの一つ、除外オミットだ。触れたものをトランザ内から除外することができる。まあ、資産家アセットホルダー資産アセットはこれに含まれないがな」


 和泉は炎に焼かれる痛みに耐えながら、自身にかかっていた酒もろとも炎を吹き飛ばしたのだった。


除外オミットか、名前も効果もそのまんまだな。安直すぎるのは考えものだぜ」


「クハハッ! 今ので俺を仕留められなかったのはお前のミスだな! すぐにとどめを刺せばよかったものをよぉ!」


 和泉は恐ろしい額のベネを吐き出しはしたが、総資本の全てとまでは及ばなかった。未だ、久間よりも多くのベネを有している。


「お前が炎に焼かれながら苦しむ様をもっと見たかったんだがな。けど、お前がこの程度でくたばるようなタマじゃないとは思ってたぜ。引きこもりのビビリでも、一応はこの区域の第一位だもんなぁ?」


「余裕こいてられるのも今のうちだぞ!」


「どうかな? トランザでは総資本ではなく利益の差で勝敗が決定する。この時点で、俺はお前より多くの利益を手に入れている。俺が逃げに徹すれば、負けるのはお前の方だぞ。木偶の坊が」


 久間の言う通りだった。総資本だけで言えば、圧倒的に和泉の方が多い。しかし、トランザ内の利益と損失による差額で言えば、久間が圧勝しているのだ。


 このまま制限時間を迎えれば、久間の勝利が決定することとなる。


「だからどうした。こっちは分身と合わせて二人、けどてめぇは一人。そのうえ、まだ俺には他にも資産アセットがある。ナイフや拳銃でも使ってみろ、除外オミットを持つ俺には通用しねぇぞ!」


「手のひらで拳銃の弾を捉えられたらの話だろうが。それに、もうお前の底は見えてる。言ったはずだぜ、詰んでるって」


「急くなよ、まだ楽しめるだろうが」


「諦めろ。お前に一定以上の損失を食らわせた今、俺がお前とまともにやり合う理由はない」


「まさかてめぇ、まだ何か小細工を用意してやがるのか?」


「それはどうだろうな。悪いけど、俺はこんな暑い部屋で闘うのは嫌なんでね、ここらで退散させてもらうよ」


「あぁ? ふざけんじゃねぇ! 待てコラ!」


 久間はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、警備室を飛び出した。


 憤慨しながら、その後を和泉が追う。

 二人は警備室を出て、そのまま隣にある一階のロビーへと向かった。


「逃がすわけねぇだろ!」


「そうだな、俺も逃げるつもりはない。でも、負けるつもりもない。どういう意味だかわかるか?」


「あ? 知るかよ。妙な言葉で時間稼ぎでもする気か?」


「いや、もう十分だよ。ここまでくればな。ほら、だいぶ効いてきてるし……」


「はぁ? いったい……な……何を言って……」


 和泉はだんだんと瞼が重くなり、意識が薄れていった。


「え? な……なんだ……ここ……こりゃあぁ……」


「来る前に、このロビーに催眠ガスを充満させておいたんだよ。だから……お、俺とお前のトランザは……もう、終わりってことだ」


「て、てめぇ……そういうことか、これで両方が寝ちまえば……自然とてめぇの勝ちに……」


 和泉は膝に手をつき、力の限り意識を保とうとしていた。

 しかし、それも時間の問題だった。


「お、お前が先に目覚めれば……俺に勝ち目はないさ。どうだ? お、おもし……れぇだろ……こ、この……ギャンブルは……」


 久間はまともに言葉も発せられないまま、ゆっくりとロビーの床に倒れた。

 和泉が、最後の力を振り絞って、久間の元へ歩み寄る。


「ふざ……けんなよ。まだ、俺は負けて……ねぇ。起きたら覚悟……しとけ……よぉ……」


 一歩届かず、和泉も意識を失った。


 そして制限時間内に、二人が起き上がることはなかった。

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