拝金主義者編 第七話『ノマド』

 少年が家に帰ると、父親が見知らぬ男性の頭を踏みつけていた。


 父親が社長として運営している会社のオフィスの上が、そのまま少年の自宅となっていたのだ。


 故に、玄関まで向かう途中、必ず会社の中を通る必要があった。

 少年は見てしまった、土下座をしながら必死に悲願する男の頭を踏みつける父親の姿を。


「あのねぇ兵藤ひょうどうさん。謝って済む問題じゃないでしょう。私らはあなたを信用して、困っているあなたに多額の資金を提供して差し上げたんです。なのにいざ期限当日になったら一家丸々連れて夜逃げって、そりゃあ非道ってもんじゃありませんか?」


「も、申し訳ありません、和泉いずみさん! 必ず、必ず返します! だ、だからもう少しだけ、もう少しだけ待っていただけないでしょうか!」


「それ、聞くの三度目なんですけど。私らも寛容だと思いませんか、これほど待って差し上げているというのに、頭に足の裏乗せるだけで勘弁してるんですから」


 父親が踏みつけている男の横には、妻と娘と思われる人物が身を縮めて震えていた。娘の方は、少年とほぼ年齢の変わらない小学生低学年くらいだった。


 少年は以前から、父親が借金を踏み倒そうとする劣悪債務者を相手に恫喝している様子を何度も見てきた。


 そして、いつしか思うようになった。

 

 お金は、人を不幸にするものだと。


 どんなに誠実に生きていても、人は常にお金というものに支配され続ける。お金は所詮、人を殺す凶器なのだということを。




 オフィスビル、警備室。


 ここではビル内部に設置された無数の監視カメラの映像を一望できる。


 和泉は警備室の椅子に腰を下ろしていた。

 彼がトランザを行う時、真っ先に向かうのがここだ。言うなればテリトリーである。

 監視カメラの映像を頼りに、相手の資産家アセットホルダーのいる階を特定し、そこに自身の分身を送り込む。


 己は決して戦わず、ただ傍観するだけ。それが和泉のこの区域での生き方だった。


「クハハ、逃げろ逃げろ。だがな、俺の資産アセット分身ペルソナはどこまでもてめぇを追い続けるぜ」


 トランザは必ずオフィスビルで行われる。つまり必然的に、警備室の監視モニターがビル全体の索敵能力になるのだ。和泉はそのルールを利用していた。


 和泉の資産アセットは、マーケティングにおいてサービスを提供する相手、いわゆる人物像である。相手ならどんなサービスを望むのかと考えているうちに、自然と自分なら何を望み、何が必要かを考える。まさにペルソナとは鏡に映る自身の分身そのものを表していた。


「しかしあの資産アセットは厄介だな、近づいても吹き飛ばされちまう。分身とバレた今、もうさっきみたいに間合いを詰めることはできねぇか」


 久間きゅうま加村かむらから手に入れた資産アセット資産家アセットホルダー相手には効かないが、分身である資産アセット自体には力を発揮してしまったため、和泉の得意戦術を無力化していた。


 運が良いと言えばそれまでだが、分身だと悟られなければもっと大きな損失を与えられていただろう。


 和泉は爪を噛みながら、資産アセットの攻略法を探していた。

 前回のトランザを観戦していたおかげで、ある程度の予備知識はある。力の範囲や対象の制限などについては、既に理解している。


 和泉には、どうしても久間を破産させたいという明確な殺意があった。破産した資産家アセットホルダーの負債を肩代わりするような人間が、この世で最も軽蔑に値する存在だったからだ。


 それは、彼の人格形成とも大きく関わっていた。


 その時だった、突然久間のいる階の映像が白い煙の膜によって塞がれる。


「……あ? 何だこりゃ……」


 和泉は思わず立ち上がり、目を丸くした。


「例の発煙筒か? ふん、目くらましは野郎の得意技らしいな」


 監視カメラの映像を遮断され、和泉は久間と分身の位置を見失ってしまった。


「仕方ねぇな。他の階にあのクソガキが移動したタイミングでまた仕掛けるか」


 和泉はとりあえず、自身の分身ペルソナを操作するために一度分身ペルソナを消すことにした。映像が生きている下の階に出現させ、煙に乗じて逃げようときてきた久間を待ち伏せを図る。上層階からさらに上に行けば逃げ場がなくなるため、心理的に下の階に逃げると考えたのだ。


 だが、そんな余裕はすぐに消え去った。

 二十八階に設置されているカメラの映像が突然途絶えてしまったのだ。


「ん? どういうことだ? まさか故障? いや、そんなはずはねぇ……いったい、何が起きてやがる……」


 続いて二十七階、二十六階のカメラも映像がブラックアウトする。その異常事態に、さすがの和泉も何が起きているのかを察した。


「へぇ、マジかよ……野郎、俺の仕掛けに気づいたのか」


 和泉は白い歯を光らせ、粘ついた笑みを浮かべた。


「となると、もうこの仕掛けは通用しねぇ。しかも警備室にいることがバレちまってる俺は、逆に不利な立場になっちまったってわけか。いいねぇ、面白くなってきやがった」


 上層階のカメラはほとんどが壊され、久間がどこにいるのかが和泉からは認知不能となってしまった。


「だとしたら、既にこの警備室に向かってきてる可能性があるなぁ。監視カメラが潰されるたびに下の階に分身を向かわせるってのも手ではあるが、それだと恐らく間に合わねぇか……」


 和泉はブツブツと考え事をし始めた。

 その時だった、突然上から激しい爆音が轟き、ビル全体に地鳴りが響いた。


 同時に、エレベーターに設置されているカメラの映像が途絶えた。すぐに和泉は理解した。エレベーターが久間の手によって破壊されたのだと。


「クハハッ! あの野郎、派手なことをしやがる。エレベーターを壊して移動手段を階段だけに限定したってことか。ってことは、こっちから動くのも危険だな。そのうえ、ここにとどまっていればいずれあのガキが降りてきやがる。おいおい、あいつ本当に初心者なのか?」


 監視カメラを破壊して回っていることを踏まえれば、久間が和泉の作戦に気づいていることは間違いなかった。つまり、既に和泉はこの広いビルの中で向こうから一方的に居場所がバレてしまっている。


 だが逆に一階から移動しようとすれば、ルートは階段一つとなる。この状態で罠を仕掛けない人物などいるはずがない。久間の資産アセットを考えれば、数多の罠が仕掛けられている可能性は高い。

 和泉は完全に逃げ場を失ってしまった。


「待てよ。それでもまだ奴は上層階のどこかにいるはず、今ならまだこの警備室からは逃げられるか。いや、ダメだ。目を失えば今度は罠がどこにあるかわからないビル内部を彷徨うはめになる。くそがっ! どのみち、俺に残された選択肢はもうねぇってことかよ!」


 和泉は苛立ちから椅子を蹴り上げた。


「荒ぶってるなぁ、金の暴君様よぉ……」


 背後から聞こえてきたその声に、和泉は思わず身を震わせた。

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