拝金主義者編 第六話『インフルエンサー』

 久間きゅうまの視界が、ゲームのステータス画面のようなものに変化する。前回一度経験しているものの、やはりまだ慣れない。


 制限時間は一時間、その間に和泉を見つけ出して倒さなくてはならない。

 久間はとりあえず、エレベーターを利用することにした。相手がこちらの動きに気づいて向かって来てくれる可能性もあるからだ。これだけ広いと、そもそも戦闘に発展しない可能性まである。ならば、わざとこちらの動きを教えるのも悪くないだろうと考えた。


 エレベーターのボタンを押そうとした瞬間、久間は思いとどまった。

 よく考えれば、相手の資産アセットも不明瞭な状態で逃げ場のないエレベーターに乗るのは危険すぎるのではないだろうか。


 相手がエレベーターの動きを見て、都合よく止まる階で待っていてくれる、もしくは来てくれるとは限らない。


 遠距離攻撃を可能としていれば、むしろエレベーターの中の方が危険だ。

 極端に言えば、毒ガスを使うことのできる資産アセットを相手が持っている可能性もある。


 和泉いずみは相手を破産させて利益を得てきた、つまりは普通の資産家アセットホルダーよりも資産アセットの数が多いということだ。それなのにエレベーターで移動するのは、もはや自殺行為だろう。


 久間はとりあえず、周りに気を配りながら外部取引ディーリングを行う。前回同様、今回も拳銃を駆使して闘うことにするが、トランザ以外では資産が使えないため練習などができていない。本来なら、今後も重宝する武器である拳銃の扱いにも慣れておきたかった。


 上層階にいたため、まずは相手の資産家アセットホルダーがいる可能性が高い下層へと降り始める。さすがに二人とも上層階からスタートするとは考えにくい。確率的にも下層の方が高いだろう。


 その時だった。久間は目を丸くした。

 何故ならエレベーターが動いていたのだ。久間はそこで気づく、和泉が前回自分のトランザを観戦していたことに。

 そう、相手側は知っているのだ、久間の資産アセットが外部から物を引き寄せることができる力だということを。


 取引するということまではわからなくても、空間移動系の資産アセットだという予想はできる。そして相手が拳銃や発煙筒、携帯電話などを引き寄せる力ならば、エレベーターで移動しても問題はないと。


「ちっ……舐めやがって」


 久間は爆弾や毒ガスを取引して使用することも十分に可能だった。そうすれば、エレベーターの中にいる人間など一瞬で倒せてしまう。けれど、それを扱えるだけの知識や技量が備わっていなかった。拳銃にも同じことが言えるが、自身にも危険が及ぶ可能性のある爆弾や毒ガスはまた話が変わってくる。使うのであれば、少しでも勉強しておいてからだ。


「まあ、ここで止まるわけじゃねぇだろうし。相手が止まった階に俺が行けばいいだけのことか」


 エレベーターを使用するということは、相手に自身の向かっている階を教えることになる。この状況ならば、久間が圧倒的に有利だ。


 だが、それは甘い考えだった。

 久間もすぐに、自身の過ちに気づく。


「いや、待てよ、わざわざエレベーターを使ってるっていうことは……あいつまさか……」


 エレベーターは久間のいる階で止まり、ゆっくりと扉が解放された。

 鉄の塊から、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべた和泉が降りてくる。


 そう、久間は根本的なことを忘れていた。相手は資産家アセットホルダー、こちらの位置を把握する探知能力を持っていてもおかしくないということを。


「くそっ! ずりぃぞ!」


 久間は瞬時に拳銃を構えた。

 こうすれば和泉もさすがに身構えるだろうと考えたが、どういうわけか全く動じていなかった。それどころか、徐々にこちらへと歩み寄ってくる。


「お前、これが見えねぇのか! 拳銃で撃たれたら人は死ぬ。それってつまり、このトランザでの損失も同等ってことだろ! 死ぬほどのダメージを受ければ、いくら第一位のお前だって軽い損失じゃすまないぜ?」


 久間はすぐに撃っても良かったのだが、傷を負うことのないトランザにおいて、素人の弾など大した脅威にはならないとわかっていた。仮に当たったとしても、死ぬほどの損失にはならない可能性がある。本来の戦闘なら、足などを狙って相手の動きを止めることもできるが、痛みはあれど負傷しないトランザではあまり友好的ではない。


 特にマージンの広い久間と和泉ならなおさらだ。

 久間が躊躇していると、和泉は迷いなく床を蹴って突進してきた。まるで、自身の損失などどうでもいいかのように。


「なっ! そ、そんなのありかよ!」


 久間は下手なりに拳銃の弾を乱射するが、そう都合よく当たるはずもなく、一発足をかすめただけだった。


 しかし妙なことに、和泉は痛がる様子を見せなかった。そのうえ久間の視界に映るのステータス画面からも、利益による総資本の変動が見られない。


「……え?」


 思わず声が漏れた。

 その瞬間、久間は和泉に鼻先まで間合いを詰められ、みぞおちに拳を打ち込まれる。


 久間は突き上げるような衝撃とともに、一瞬だけ息ができなくなった。嘔気が襲いかかり、胃から喉にかけて熱いものが逆流した。


 ステータス画面には、殴られたことによる損失で総資本が減っていた。だが、やはり先ほどのダメージによる利益はない。タイムラグがあるわけでもなさそうだった。


「くそっ! ま、まさか……お前……」


 久間はここでようやく、目の前にいる和泉が何者なのかということに気づいた。

 わざわざ投資を行わずに殴るだけですませたのは、久間を痛めつけたいわけではない。投資そのものができないからだ。


「なるほどな。それがお前の持つ資産《アセットか」


 和泉は何も答えない。当然だ、いま久間を殴ったこの男は、正確には和泉ではない。和泉の資産アセットによって生み出された、いわば分身のような存在なのだ。


 だからこそ、あえて危険な行動を取ることもできる。いくら相手と間合いを詰めても、決して投資を受けることはない。そのうえ、殴られても刺されても撃たれても、一ベネたりたも損失をすることがない。


 元々恵まれた体格を持つ和泉だからこそ、真の力を発揮できる資産アセット。和泉は探知能力に加えて、意のままに操る無敵の兵隊までも所有していたのだ。


「だけど、てめぇが人形だってわかったなら話は簡単だ」


 和泉の分身が追い打ちをかけようとした瞬間、謎の力で後方へと吹き飛ばされた。

 久間はお腹を抑えながらゆっくりと立ち上がり、笑みを作った。


「店長、あんたから貰ったこの資産アセット、やっぱ便利だよ」


 それは久間が前回のトランザで得たもう一つの資産、操作コントロールだった。

 本来、この資産アセットは人間相手には使用できない。しかし、それが資産アセットによって作られた偽物ならば話は別だ。

 和泉の分身は、ゾンビのようにゆらゆらと起き上がる。


「不死身の操り人形とは、陰湿な資産アセットだぜ、となるとマーケティング系か? 顧客やユーザーってことも考えられるな。ちっ……商業取引と無関係じゃないって言っても、これじゃ何でもありじゃねぇか、まったくよぉ……」


 久間は呆れたようにため息をついた。


「図体がでかいくせして、てめぇは前線には向かわず、手も汚さねぇで、ご立派に高みの見物かよ。ふざけてやがるな」


 気に入らなかった。ただ単純に、和泉の闘い方そのものが。


「おい! どこに隠れてるかなんて知らねぇけどなぁ……そんな中途半端な覚悟で勝てると思うなよ、チンピラが!」


 しかし、久間に何か策があるわけではない。現状、このまま制限時間を過ぎれば一方的に損失を受けた久間の負けである。久間にとって、生命線とも言える総資本を早々に失ったのは非常に大きい。


「くそ! もっと早く気づいていれば……」


 トランザのルールにおいて、真正面から突っ込んでくる戦術は考えにくい。初見殺し故に、仕方のない損失だった。


「探知能力に分身……ったく、都合のいい資産アセットばっかり持ちやがって」


 相手の位置がわかる力と、その場所に自身の分身を送り込める力の相性は抜群にいい。不正な資産取引を疑いたくなるレベルだ。


 そもそも広範囲の戦闘が基本のトランザでは、索敵能力などは最も重宝される。和泉は見た目こそチンピラだが、だてに第一位というわけでもないらしい。


 だがこちらは相手の場所や状態がわからないのに対し、向こうに筒抜けというのはあまりにも不利だった。和泉の分身は怯むことなく久間に襲いかかる。操作コントロール資産アセットで攻撃を防げるとはいえ、これでは防戦一方だ。


「いや、でもさすがに人形、衝撃によっちゃ戦闘不能になるよな」


 久間は資産アセットを使い、外部から手榴弾を入手する。細かいプラスチック爆弾などは扱えなくとも、手投げ式爆弾ならば素人の久間でも十分に武器として使用できる。投げ方など色々やり方はあるのだが、この状態ではそんなことに気を配っている余裕はなかった。


 和泉の分身に手榴弾を投げつけると、爆炎とともにその肉体を跡形もなく吹き飛ばした。

 テレビや映画で見たことのある派手な衝撃ほどでもなかったが、それなりに威力はあった。


 久間の予想通り、痛覚や命などはなくとも、爆弾の衝撃に分身は耐えられなかったらしく、生身の人間の死体に似た何かが廊下に転がっていた。

 血も出ておらず、まさに人間そのものを人形に変えたような、異様な存在だった。


「逆に気持ち悪いな……これ」


 だが喜びも束の間、和泉の分身は徐々に再生していき、肉体を成型していった。


「なっ! マジかよ……こいつ」


 飛び散った肉片が、まるで映像を逆再生しているかのように戻っていく。

 和泉の分身は、体をポキポキと鳴らしながら立ち上がった。


「ちくしょう! んなのありかよ!」


 久間はこれ以上闘えば総資本が無駄になると考え、一時撤退を試みた。無様に背を向け、死角になるであろう位置まで廊下を駆け抜ける。仮に探知能力があったとしても、分身の動かしかたが分身の視界によるものなら、死角に入ることに多少の意味はある。


 久間はオフィスの扉を強引に破壊し、今度は室内へと移動する。廊下よりもある程度遮蔽物があるため、分身の行動を制限できる。


「しかし……ビル全体に届く索敵能力相手じゃ、これも焼け石に水だな」


 久間は必死に和泉の資産アセットが何なのかを探っていた。その仕組みや制限が何かを掴むことさえできれば、この防戦一方の状況をどうにかできるはずだからだ。


 その時、久間は無意識に見つめていたオフィスの天井に備えられているある物に気がついた。


「……ん? あれって、もしかして……」


 久間の頭の中で、何かが激しくスパークした。


「そうか……そうだったんだ。読めたぜ、野郎の索敵能力が何なのか。よく考えてみたら、索敵や探知なんてビジネスじゃ聞いたこともねぇな。まだ確信は持てないが、可能性としては十分あり得る。ならいっそ、それにかけてみるか……」


 久間は不敵に微笑み、前回と同様に発煙筒を取引する。


「さぁて、ここからは俺のターンだ。反撃開始といくぜ」


 やがて、オフィス全体が白い煙によって包まれていった。

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