拝金主義者編 第五話『パラダイムシフト』

 違法経済特区、東に位置する喫煙所。


 黒いスーツに身を包んだ査定係の男が、虚空に向かって紫煙を吐き出していた。

 するとそこに、息を切らしながら一人の少女が駆けつけ、喫煙所の扉を激しく叩いた。 


「ここにいたのね。いつものとこにいないから探したじゃない!」


「えーっと……誰だっけ?」


藍原あいはらよ! 今までに何度か顔合わせたことあるんでしょ!」


「何人の資産家アセットホルダーを相手にしてると思っているんだ。いちいち覚えていない。それで、いったい何の用だ? 悪いが、査定は受けつけていないぞ。見ての通り、今は私の貴重なブレイクタイムだ」


「あなたはどうでもいいから、ミダスをすぐに呼んで! やめさせたいトランザがあるの!」


 必死に訴える藍原だったが、査定係の男はまるで興味を示さなかった。


「そんなこと知るか。そもそもあの女を呼び出すなんてことは私にだってできない。知っているだろう、あの女の気まぐれは。それに第三者の資産家アセットホルダーの要望でトランザを中止になんてできるはずがない。もちろん、あの女にもな」


「そ、そんな……」


 藍原が顔を絶望の色に染めあげた瞬間、背後から何者かの気配を感じた。振り返ると、頭の上から生やすロバ耳が特徴的なハスラー風の少女が、不気味な笑みを浮かべて佇んでいた。


「ミダス、来てくれたのね! お願い、あなたの権限で中止してほしいトランザがあるの。このままだと、久間きゅうまが破産しちゃう!」


 すがるように悲願する藍原を一瞥すると、今度は何やら懐から旧式の携帯電話を取り出し、画面を数秒だけ開いて何かを確認する。


「なるほど。久間様と和泉いずみ様がトランザを行うようですね。たしかに、始めて二日の久間様では、第一位の資産家アセットホルダーである和泉様を相手にするのは難しいかと思われます。ですが、これはあの方たちが互いに了承して行うこととなったトランザです。部外者は口出し無用かと。不安であれば、融資をして差し上げればいいのではないですか?」


「僅かな資本アセットを融資したところで、和泉の持つ総資本に敵うはずないじゃない」


「ふふ、なら久間様が破産するところ、指を咥えて見ていればいいじゃないですか。もしもの時は、あなたの資本で救済してあげればいいのですよ。そうなった場合、久間様は記憶を失って解放されます。むしろ、その方がハッピーエンドなんじゃないですか?」


 ミダスの言うことは、まさに理想的な内容だった。お金さえ払えば、久間はもうこの区域の呪縛から解放される。それは、破産を恐れる資産家アセットホルダーの誰もが夢見ることである。


「しかし、こんなにも早く激突するとは予想外でした。そう遠くないうちにどちらかが仕掛けるだろうとは思っていましたけど。ただ、安心していいと思いますよ。多分、久間様ならそれなりに醜く足掻くでしょう。勝てるとまでは断言しませんが、破産することはないと思いますよ。それだけ、あの方は意外性というものを持っていますから。そう、我々が恐れている、ボトルネックになり得る可能性を」


 まるで未来を見据えているかのように、ミダスは目を細めた呟いた。





 違法経済特区某所、オフィスビル。


 その入り口で、二人の資産家が互いに睨みをきかせながら、トランザ開始の瞬間を待っていた。


「そういや、俺は前回が初めてだったからよく知らないんだけど、こうやって面と向かった状態で始めてもいいものなのか?」


「いや、トランザ開始の場所は互いにランダムで決まるようにできてる。もうすぐ、指定の位置に移動するはずだ。ただ、昨日はてめぇが初参加だったから、例外で入り口スタートになったってだけの話だ」


「なるほど、通りで加村はまっすぐ一階のロビーに降りてきたわけだ。あの男の資本を考えれば、相手が初心者になる可能性は十分にある。てかこのルール、初心者に厳しすぎないか?」


 久間は一度、高層ビル付近周辺を見渡した。ここは区域内でも、特に衛生環境が悪い。


 辺りの建物から良くないガスが放出され、ネオンの禍々しい光が地面を不気味な色に染め上げている。


「おら、そろそろ指定の位置でスタンバイする時間だぜ」


 ビルのドアが開き、和泉が中へと入って行った。


「今更、ごめんなさいって頭下げてももう遅いからな。腹括って、早く入ってきな」


 無論、久間も引くつもりはなかった。己がもう二度とやりたくないとまで思ったトランザを自ら挑んだのは、それなりの理由があったからだ。


 この男、和泉帝世の持つ固定概念を破壊すること。お金の恐怖に縛られている守銭奴に、本当の意味を教えてやらなければならない。


 それほどまでに、和泉のお金が人を殺すという考えを否定したかった。


 自分が考えを改められたように、この男も変えられるはずだ。

 久間にとって和泉は、まるで鏡を見ているようなものだった。


 だからこそ、その過ちに気づかせたい。そんな意思が、このトランザには込められていた。


「言われなくとも逃げないさ、お前のふざけた勘違いをぶち壊すまではな」


 久間は顔色一つ変えずに、堂々とビルの中へと足を踏み入れる。

 第一位の資産家アセットホルダーに挑むことに対して、もはや臆するような素振りは一切なかった。


 ビル内部に入った瞬間、久間は突然謎の光に包まれる。

 気づくと、久間はビルの上層階に立っていた。

 どうやら、指定の場所まで瞬間移動させられたらしい。


 窓から外を見ると、歩く人の姿がまるで地を這う虫のように思えてしまうほど小さかった。

 エレベーターの前で回数を確認すると、そこはビルの二十七階だった。

 前回とは数字の桁が違う、フィールドの広さも倍以上だ。


「これじゃ、相手の資産家アセットホルダーを見つけるだけで制限時間がなくなるぞ」


 そう口にした瞬間、ビル内部にアナウンスが流れ始めた。


『カウントを開始いたします』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る