拝金主義者編 第四話『ヒューリスティック』

「初めまして、あたしは新戸部有栖にとべありす。あんた、昨日トランザで初勝利した新人でしょ?」


 積極的に声をかけてきた新戸部は態度とは裏腹に、その目は冷ややかで機嫌が悪そうだった。

 しかし明らかに歳下であろう少女からお前と言われ、久間きゅうまは妙な違和感を覚えた。


「もしかして、見てたのか?」


「ええ、ちょうどここで……あんた、名前は?」


久間善治きゅうまぜんじだ」


 ここではそもそも対等で、相手は自分より経験の多い先輩だ。尊大な口調で話されるのは当然といえば当然であるが、わかっていてもやはり慣れない。


「てか、なんで偽善者も一緒にいんの? もしかして……二人って仲良し?」


 新渡戸は久間の隣に座る藍原あいはらに対し、侮蔑した言葉を吐き捨てる。

 馴れ馴れしく話しかける新渡戸だが、藍原は軽く無視した。


「あっ……そっか、あんたも偽善者だったっけ。まさか初めてのトランザで相手を破産に追い込むなんて、見てて驚いたよ」


「はぁ? 人のことを偽善者って、何様だよお前」


「強いて言うならお子様かな。まだ十四の中学生だし」


 使い古された屁理屈を吐き捨てる新渡戸。

 黒髪にセーラー服と、文学少女のようにおとなしそうなその見た目とは違い、中身は軽薄で態度が悪く、まるで不良のようだった。

 しかし、だからといって連中のように群れたり、適当に人生を浪費している幼稚さも感じられない。

 どこか、社会を斜め上から見ているような、現実離れした少女だった。


「これでも、ここじゃ一年以上トランザしてるベテランだから」


「へぇ、見えねぇな……」


 意外だった。中学生という若さでこの区域に連れてこられている人間がいること自体が。久間もそうだが、藍原といい新戸部といい、この区域には年齢層の低い人間も少なからず存在している。


「おいおい、やけに最前列が賑やかだと思ったらてめぇかよ。クソガキ」


 するとそこに、ドカドカと足音を鳴らしながら、一人の大男が歩み寄って来た。

 目つきは鋭く、髪型は両端を刈り上げたモヒカンドレッド、半裸の上から派手なジャケットを羽織っている。

 まさに絵に描いたようなチンピラの風貌だった。不良映画で中ボスとして出演していてもおかしくないほどに。


和泉いずみ、あんたも来てたの」


「ちょうど暇してたもんでよ。今日もどっかのバカが破産しねぇか、興味があって見に来たんだ」


 男は新渡戸の知り合いらしい。見た目はあまりにも正反対だが、妙に親しげな様子だった。


「あ、あんたは?」


 和泉と呼ばれた男は、久間に気づいて一瞥を向ける。


「あれ? てめぇどっかで見た顔だな」


「バカ、昨日ここでだろ。例の大物ルーキーだよ」


「あー! 思い出したぜ、てめぇ初陣戦で相手を破産させた偽善者野郎じゃねーか!」


 男は急に上機嫌になり、久間の肩を掴んだ。


「俺の名は和泉帝世いずみていせい。リアルじゃ職業不詳の無職だが、ここじゃ名の知れた資産家アセットホルダーだぜ。よろしくな、ルーキー!」


 何故か友好的に接してくる和泉という男に、久間は少し引き気味になる。

 他人と関わることが苦手な久間には、彼のような馴れ馴れしい態度が一番面倒なのだ。


「二日目にトランザ見学とは、新人のくせにやる気があるじゃねぇか。嫌いじゃねぇぞ、積極的な資産家アセットホルダーはよぉ」


 和泉は新渡戸以上に口が悪く、横柄な態度だった。久間が言えたことではないが、その風貌からまともな育ち方はしていないことが容易に想像できる。


「しかし、てめぇらマジでお似合いだなぁ。偽善者コンビじゃねぇか、クハハハハッ!」 

「あ? んだよその言い方。さっきから偽善者偽善者って、俺らのこと言ってんのか」


「クハッ、他に誰がいんだよ! 破産させた相手の借金を肩代わりするような甘ちゃんの偽善者は、てめぇら二人ぐれぇのもんだぜ」


「え? ってことは、藍原も?」


 久間は隣の席へと視線をずらした。藍原は体を小刻みに振るわせ、手で口を押さえていた。心なしか、顔色も少し悪い。


「なんだぁ? てめぇ、この女のこと何も知らねぇのか。この女も前にトランザで一度、相手の資産家アセットホルダーを破産させてるんだよ。その時、昨日のてめぇと同じように、相手の負債を肩代わりしたのさ。他人の人生が壊れちまうかもって恐怖に怯え、罪悪感に負けたんだよ! 口じゃ誰かを救いたいだなんて言ってるらしいが、んなもんは偽善だ! 所詮、自分てめぇのことしか考えてねぇのさ!」


「おい、その辺にしとけよ! 俺はお前が誰かなんて知らねぇけど、少なくともこいつのことはお前よりも知ってるつもりだ! いい加減なこと言うんじゃねぇ!」


 我慢できずに、久間は立ち上がった。和泉の恵まれた巨体を前にも臆することなく、堂々とした態度で言い返す。


「あぁ? てめぇ、なにイキがってんだよ。女の前でカッコつけてぇのはわかるが、本当は内心ビビってんだろ? クハハッ、無理すんなって」


 正直、久間は僅かながら和泉に対して恐怖を覚えていた。現実でも、不良相手に土下座をするような男だ。当然、自分よりも明らかに強者と思われる相手を前に物怖じしないという方が無理である。

 そんな彼の腕を、藍原が震えた手で掴んだ。


「いいの、久間……本当のことだから。大層な目標掲げてたって、所詮は偽善だよ……結局、私がそうしたいってだけの話だもん。ただの、自己満足なんだよ……」


「違うっ!」


 柄にもなく、久間は声を張り上げた。


「お前は、偽善者なんかじゃない。それは助けられた俺が一番よくわかってる。あの時、お前は助けられる保証もないのに、俺に救いの手を差し伸べてくれた。仮に自己満足だとしても、結果的に救われた人間がここにいるんだ! なのに何も知らねぇ野郎に、とやかく言われてたまるかよ!」


 初めてだったかもしれない。誰かのために、ここまで怒りを露わにしたのは。久間は、そもそもあまり他人と深く関わらない。故に、自分以外の人間を悪く言われ、素直に激昂したことなどなかった。


 そんな久間が、僅か一日にも満たない関係の相手を罵倒され、激しく怒りの感情を湧き上がらせたのには理由があった。


 もっとも、それは考えれば至極簡単なことである。

 久間にとって藍原は、自分を助けてくれた恩人であり、初めて異性を意識させた相手でもある。そして何より、己と同じ思想を持ち合わせている人間だったからだ。


「救われただぁ? クハッ、そりゃあ金の力でか? いやいや、理解に苦しむぜまったく……金はなぁ、人を殺す凶器なんだよ! 決して、誰かを助けたり、救ったりなんかしねぇ! だってそうだろ。人を生かすも殺すも、この世は全部金次第じゃねぇか!」


「な……なんだと?」


 久間は目を見開いた。

 和泉の思想に、どこか覚えがあったからだ。


 それは以前、久間が心の奥底で少なからず感じていたこと。

 お金は、時に人を不幸にする。社会では、多額の負債を抱え込んだ人間が何人も自殺を図ったり、犯罪に手を染めたりなどしている。お金の持つ魔性の魅力に取り憑かれ、大切な人間を殺めてしまうことだってあるのだ。


 それはまさに、お金によって人の生き死にが決まっていると言えなくもなかった。

 母親の死を目の当たりにした時、久間が一番に感じてしまったこの世の真理。


 この世のどこにでも存在し、ありふれているお金、それの持つ恐ろしい力。

 誰しもが持っているはずなのに、次第にそれは失われ、人生そのものをお金に支配される。


 久間は幼い日に、そのことを実感していた。

 和泉はまるで、昔の自分のようだった。


「教えてやる。この区域で俺がなんて呼ばれているか? 俺は通称、金の暴君。この区域内で最も多くの資本と資産アセットを有する、第一位の資産家アセットホルダーなんだよっ!」


「だ、第一位だと?」


「その通り。俺にとって、トランザはオモチャも同然だ。相手の資産家アセットホルダーをあえて破産に追い込み、金の力で殺す! その様を見るのが至福でたまらねぇんだよっ! クハハッ、クハハハハハハッ!」


 和泉は巨体を仰け反らせ、下品な笑い声を響かせた。


「つまり、俺とてめぇらは真逆の存在ってことだ」


 言葉の通りだった。

 破産させた相手の負債を肩代わりして救済した経験を持つ久間と藍原。それに対し、和泉は相手をわざと破産させ、多額の利益と資産を奪い続けて来たのだ。


「は、はは、ははは……真逆ねぇ……」


 達観したように、何故か久間は薄い笑みを浮かべていた。


「あ? てめぇ、なに笑ってんだ? 気味が悪いぜ……」


「いや、悪い。あまりにもおかしかったもんでよ」


「なんだと? あのなぁ、むしろ笑っちまうのはこっちの方なんだぜ」


 和泉は額にしわをよせ、地獄の底から鳴り響くような低い声を漏らした。


「だってそうだろ、破産した資産家アセットホルダーを助けるバカがまた出たんだからなぁ。金は人を救えるとか馬鹿げた夢を見続けてる偽善者は、俺が一番嫌いなタイプだ」


「馬鹿げた……夢だと?」


「そうさ。勘違いにもほどがあるぜ、金ってのは人を殺す存在だ。決して、人を救えるような夢のあるもんじゃねぇ。てめぇだって、結局は罪悪感から救っただけのことだ。最初はその力で、相手の資産家アセットホルダーを社会的に殺そうとしてたんだからなぁ!」


 和泉は油紙に火がついたように、止め処なく久間に罵倒の言葉を並べた。

 分厚い唇の隙間から、ピアスをつけた長い舌を突き出す。


「なるほど、お前の考えは理解できたよ。つまり理想論だと思ってるわけだ、人を金の力で救うことを。それって要するに、お前だって心の底じゃそういう力があるって認めてるってことじゃねぇのか? だから夢なんて言い方ができんだよ」


「なに?」


 その言葉が癇に障ったのか、和泉は鋭い目で久間を睨めつけた。


「たしか、トランザで相手を破産させて遊んでるんだったな」


「ああ、そうだ! だから得られる利益は莫大。初めて二日のトーシローのガキが、楯突いていい相手じゃねぇんだよ」


「そりゃ脅しか? 初心者相手なら絶対に勝てるとかって思ってるのなら、それこそおつむが弱い。悪いけど、俺は金に怯えているような軟弱野郎に負けるつもりはねぇぞ」


「あぁ? 俺が……金に怯えているだと?」


 久間は白い歯を見せ、遥かに身長の高い和泉を見下すように顎を突き出した。


「そうさ。金が凶器だって、さっきお前は言っただろ? つまりは殺意ってことだ。殺意ってのは、結局のところ恐怖の感情からくる。こいつには殺されるかもしれない、そう思うから先に殺そうとするんだ。お前は金に怯えているから、凶器だって言い聞かせて安心してるだけの腰抜けだ……俺がそのことを教えてやる。今すぐ受けろよ……俺とのトランザ……」


 二人の会話を聞いていた周りの資産家アセットホルダーや藍原たちは、その瞬間に目を剥いた。


 まだトランザをたった一回しかやったことのない新人が、トランザでは負けなしの序列一位に対し、真正面から勝負を挑んだのだ。

 無鉄砲にもほどがある、自殺行為に等しいものだった。


「ちょっと久間! いったい何を言って……」


 藍原が自身の耳を疑うような、信じられないといった面持ちで久間を見つめた。

 表情を強張らせていた和泉も、さすがに腹を抱えて笑ってしまう。


「クハ、クハハ、クハハハハッ! こりゃあいい、傑作だ! 受けろだと? 誰に向かって口聞いてやがる。もちろん受けて立つぜ、てめぇみたいなイレギュラーな野郎は早めに潰しておかなきゃならねぇと思ってたところだ。二度とでけぇ口が叩けねぇように、この区域から永久追放してやる!」


 久間は、獲物が餌に食いついたことに思わず笑みを浮かべ、上唇を軽く舐めた。


「なら早速始めようぜ、木偶の坊」


「ああ、望むところだ。今すぐにでも消してやる」


「なぁ、せっかく第一位の資産家アセットホルダーとトランザができるんだし、何か条件つけようぜ。負けた場合、勝った奴の命令をなんでも一つ聞く、これどうよ?」


「正気かよ……やっぱてめぇ、ネジが二、三本ぶっ飛んでやがるな。ありきたりな条件だが悪くねぇ、のった!」


「そうこなくっちゃな」


 リールを全力で引き、見事に久間は区域内最大の大物を釣り上げた。深く食い込んだ釣り針は、もう決して獲物を放さない。

 この日、デビュー二日目のルーキーと区域内第一位の暴君による、前代未聞のトランザが始まった。

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