拝金主義者編 第三話『フィードバック』

 路地裏から出てタクシーを使い、二人は例のタワーマンションの屋上、ペントハウスへと向かった。


 本当なら、二度と来たくなかった忌々しい区域。ただ今日は自分のトランザを行うために来たわけでもなく、気持ちには非常に余裕があった。


 前回のように、不安定な精神状態ではない。緊張も驚くほどになかった。

 久間きゅうまは街の中心に位置する、宝くじ屋のような建物へと案内された。


 中は薄暗く、無駄に清潔感があった。

 奥のカウンターには、黒のスーツにサングラスをかけた、シークレットサービスを彷彿とさせる男が座っていた。


「ビギナーかい?」


「え……? あ……俺のこと?」


「そうだ、顔に覚えがないからな。それで、いったい何の用かな?」


「ここに来て何の用ってことはないだろ」


「はは、たしかにそうだな。査定をしに来る以外、ここに資産家アセットホルダーが来ることなどない」


「で、どうしたらわかるんだ?」


「この私と手を握るだけだ。そうすれば、私がその仕組みを自然に理解する。まるで歩くように、最初から備わっている力同然に」


「なんだよそれ、信用していいのか?」


「まあ、多分大丈夫だと思うぞ。私がこの区域で与えられている役目のようなものだからな」


 スーツの男はおもむろに右手を差し出した。久間もそれに従う。


「気をつけてね。この人こう見えてもゲイだから」


「えっ⁉︎」


「やめろ、誤解されるじゃないか。私はゲイではない、ショタコンなだけだ」


「いや、それもっとまずいんだけど……」


「それじゃあ、気を取り直して握手会といこうか」


「お前はどこのアイドルなんだよ」


「いいツッコミだな、ビギナー。残念ながらアイドルは私ではなく、君の方だ」


「そっちの方がツッコミどころある気がするんだが」


 冗談を交えながらも、久間はスーツの男と手を合わせた。

 男はまるでその感触を堪能するかのように、いやらしい手つきでじっくりと久間の手を握り始めた。


 自称ショタコンの男に手を握られるというのは、思っていた以上に気持ちが悪かった。

 久間は額に青筋を立てる。


「なるほど、理解した。君の資産がいったいなんなのか」


「わかったんなら、もう手を離していいか?」


「いや、もう少しだけ。頼む、ほんのちょっとでいいから」


「きめぇよ! いいから離せっ!」


 男は名残惜しそうに握りしめていたが、久間はそれを無理やり引きちぎった。


「……サービス精神のないやつだ」


「お前、ガチの変態かよ……悪いけど、俺にそっちの趣味はねぇんだ……」


「新しい性癖の扉を開かせてやろうと思ったのに」


「……マジで勘弁してくれ」


 冗談なのか判断し難いセリフに、頭を悩ませる久間。


「それで、久間の資産についての説明は?」


 話を脱線させられて痺れを切らしたのか、藍原あいはらがスーツの男に直接訊ねた。


「悪いが、他の資産家アセットホルダーの前では言えない。ルールとして、区域の一部である私が勝手なことをするのは許されていないんだ。少し、席を外してもらえるかな」


「あっ……ごめんごめん」


 藍原は素直に従い、建物の外に出て行った。


「安心してくれていい、資産家アセットホルダーの情報が漏れないよう、この建物から一歩でも出ればどんなに耳が良くても会話は聞こえない」


 どうやら思っていた以上に、区域内は厳重に管理されているらしい。


「さて、改めて話を続けよう。君の資産アセットは単純明快だ。一つは、外部取引ディーリング。頭の中で念じるだけで、好きなものを何でも自分の手元に転移させられる。ただし、その度に自身の総資本から転移物と見合った額のベネが消えていくといったものだ」


「べね? 何だよそれ」


「君、ミダスから何も聞いてないようだな。ベネはこの区域内での貨幣単位のことだ。ベネフィット、意味はそのまま利益を表している。持っている総資本は全てベネだ。現実世界では日本円として使うことができる。ただし、日本円をベネに変えることはできない。そんなことを許せば、総資本に大きな差が出てしまうからな。君の資産アセットは、トランザ中に外部とベネで取引を行い、購入した物を持ち込むことができる力だ」


 ほとんどが久間の推測通りだった。最初は資産アセットそのものを使ったペナルティだと思っていたが、どうやら久間の資産アセットだけが持つ制約のようなものらしい。


「二つ目は、操作コントロール。半径三メートル以内にある物を自由自在に操ることができる力だ。生物などには使用できないようだがな。あとおそらく聞いていないようだから説明するが、資産アセットに見合った価値のベネが最初の総資本になる。君が最初から五千万の総資本を持ち、ある程度の経験がある資産家アセットホルダーと当たってしまったのは、資産アセットの価値が高すぎたための不運だよ。この操作コントロールという資産アセットは、一千万程度の価値しかない」


「あんたはあのロバ耳と違って、随分と資産家アセットホルダーに優しいじゃねぇか。信じていいのかよ」


「それは君の自由だ。だが、全員があの女のようにふざけた性格をしているとは思わないでほしいね。ヤクザだって、誰しも粗暴な人間とは限らないだろう?」


「……ごもっともで」



 

 査定を終えた久間は、藍原に観戦モニターの場所まで案内された。

 席はたくさんあったが、適当に座っていいものなのかわからなかった。座ろうかどうか悩んでいると、藍原が腕を組んで最前列へと引っ張って行った。


「大丈夫だよ、ここは自由席だから」


「そ……そうか」


 晴れやかで温かい屈折のない笑みを浮かべる藍原に対し、久間は心中で、その笑顔はずるいだろうと年相応に照れる。


 今までまともに学生生活も送らず、同年代の女子への免疫が著しく低い久間にとっては一撃必殺レベルだった。


 モニターの前には、十数人の資産家たちがそれぞれバラバラの席に座って観戦していた。ほとんどが久間より歳上の大人ばかりであり、同年代の資産家はあまりいないようだった。


「今日は大盛況だね。十箇所以上でトランザが行われてるなんて」


「こんなふうに撮られてたなんて、全然気づかなかったな。いったいどんだけ隠しカメラ仕掛けてんだよ」


「うーん、多分そういうんじゃないと思うよ。資産アセットと同じで、区域の持つ何かしら別の技術なんじゃないかな。ほら、こんなに派手に闘ってたら、隠しカメラが壊れちゃうかもしれないでしょ」


「……たしかに」


 どうやら撮影方法について資産家は何も知らないらしい。もし知っている者がいれば、撮影を妨げる行為があってもおかしくないからだ。

 藍原に聞いたところ、撮影でトラブルが起きたことは一度もないとのことだった。


「……ん?」


 その時、久間が何かに気づいた。


「藍原、なんで闘ってる場所が全部ビルの中なんだ?」


「お、そこに気づくとは、さすがだね久間。トランザは毎回、この区域にあるオフィスビルのどこかで行われてるんだよ」


 それは初耳だった。ミダスからも、そのような説明は受けていない。どうやら違法経済特区とは、久間が思っている以上に経済発展というものを意識しているようだ。


 会社のオフィスやホール、並びに会議室といった、まさに経済を動かしていくフィールド。その名の通り、トランザクションそのものだ。


「でも一度トランザで使用されると、次の時は全く新しいビルに変えられちゃってるの。多分だけど、経験者と初心者で情報量に差が出るのを抑えてるんじゃないかな。ただ、それでも現実にあるビルとほとんど変わらないから、特に妙な建物ってことはないんだけどね」


 その時、久間の背中を誰かが軽く叩いた。振り向くと、そこにはセーラー服に身を包んだ自分よりも幼い少女が立っていた。

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