拝金主義者編 第二話『メンター』

 勤務終了時、久間きゅうまは速攻でタイムカードを切り、例の少女の元へと向かった。


 久間も、どうしてここまで必死になるのかわかっていなかったが、心の奥底である予感があった。

 もしかしたら彼女は、何か知っているかもしれないと。


 久間を助けたあの時、彼女が見せた奇行。それも違法経済特区に出入りする人間ならば、難しいことではない。一瞬にして何千万という大金が動く世界だ、それに比べたら十数万のお金など、もはやはした金にもならない。ゴミ同然だ。


 そして先ほど聞いた、少女からの同じ立場という発言。これは、同じ資産家アセットホルダーであるということを意味しているんじゃないか。久間の中で疑惑が妄想を育て、急成長していた。

 久間はすぐに、店の前で退屈そうに待っていた少女へと駆け寄った。


「お疲れ様。ここじゃなんだし、場所変えて話そっか」


「ああ、そうしてくれるか」


 久間たちは、人目を避けるために移動することにした。少女の提案で、初めてあった路地裏を選んだ。ここは、昼間は特にひと通りが少なく、静かで薄暗い。密会するには絶好のポイントだった。


「それで、俺に何の用なんだ? お前も、資産家ってやつなんだろ?」


「話が早いね。やっぱり君、結構賢いよ。見た目と反して」


「おい、そりゃ貶してんのか?」


「もちろん褒めてるんだよ。相手を油断させられるし、凄い今の環境に適してると思う」


「まあ、タイミングがタイミングだしな。それにお前が資産家アセットホルダーって方が、この間の一件は納得がいく」


「たしかに、そんな難しくないかもね。それでも、私は君のことを評価するよ。特に、昨日のトランザは中々見ものだったな」


「とらんざ?」


「商業取引のことだよ。通称、トランザクション。略してトランザ。ある程度古参の資産家アセットホルダーなら、みんなこの略称を使ってるよ」


「へぇ……そ、そうなんだ。って、ちょっと待てよっ! 他人のトランザって見れるのか?」


 久間は驚いて目を見開いた。


「あー、そこからなんだね。資産家アセットホルダーは観戦用のモニターから他の資産家アセットホルダーのトランザを自由に見学できるんだよ。本当なら初心者はまず見て覚えるんだけど、君は運悪くいきなりトランザさせられちゃったみたいだね」


「くそっ! あのロバ耳女、マジで性格悪いな」


「そのロバ耳と一緒にいたせいで、モニター前じゃ君が初心者だってバレバレだったよ。だからこそ注目されたんだけどね」


 これは最悪のスタートだった。初戦から所有している資産アセットや総資本が筒抜けの状態、情報戦が鍵となるトランザにおいて、非常にアウェイである。


 それにトランザが観戦できるのなら、実戦より先に見学から入っておきたかった。そうすれば、もっと有利にことが進んだかもしれない。


 久間の中で、ミダスへの苛立ちが徐々に膨れ上がっていた。完全にいいように遊ばれてしまっている。


 本来なら、実際のトランザを見て勉強してから望むべきところ、ミダスは急に実戦へと久間を繰り出していたのだ。


 久間が破産しようが、面白ければそれでいい。そんな彼女の身勝手な思考が丸わかりだった。


「つうか、そろそろ本題に入ってくれよ」


「あはは、ごめんごめん。ていうか、そもそもまだ自己紹介すらしてなかったね。私は藍原真紀あいはらまき。ご明察の通り、あの区域に出入りしている資産家アセットホルダー。一応、君の名前も聞いておこうかな」


「名乗らなきゃダメなのか?」


「うーん。私を信用してくれてるなら、名前くらいは教えてほしいかな」


 藍原と名乗った少女は、ニコッと邪気の無い笑みを浮かべた。


「はぁ、久間善治ぜんじだ」


「ふふ、よろしくね久間」


 久間の中で、まだ彼女のことを完全に信用できたわけではなかったが、少なくとも助けられた恩があった。それに、ここで協力的に振る舞えば、今後の情報収集に活かせると考えた。


「話って言うのは、単純に協力者になってほしいってだけ。というか、私が君の協力者になりたいって言う方が正しいかな」


「意味がわからねぇな。昨日初めてトランザをやった初心者に協力したいだなんて、変人なのか、それとも単にバカなのか、もしくは何か裏でもあるのか」


「まあ、普通に考えたらそうなっちゃうか。別に君を騙そうとしてるわけじゃないよ。ただ単に一人の女の子として、君のことが好きになっちゃったの……他の理由は、特にないかな」


「は、はい?」


 唐突なうえに全くムードのない告白に、思わず惚けた声を漏らす久間。


 藍原は特に恥じるような素振りもなく、あっさりと言い切った。久間の中で、女の子の告白はもっと勇気を振り絞った一言というイメージがあったために、全く想定していない返しだった。


「いや、冗談だろ? まだ一回しか会ったこともないような俺を好きになるとか、普通に考えて信じられないんだが」


「えー、酷いなぁ。女の子が異性に想いを伝えたっていうのに、嘘や冗談で済まそうとするなんて。まあ、君からしたら仕方ないかもね。私は一応、昨日モニターで君のトランザを観戦してるから、情報量的には十分なんだよ」


「んなの、ただカメラ視点で見てただけだろ。それでいったい、俺の何がわかるって言うんだよ」


「わかるよ……だって君、初心者なうえに一度もトランザを観戦したことのない状態で相手を破産させちゃったんだよ。ただの資産家アセットホルダーにあんなことはできない。君には、トランザの才能がある。加えて、相手の資産家アセットホルダーの負債を肩代わりして助けちゃうお人好しだ。強くて優しい、それだけで異性としての魅力は高いと思うけど」


「別に、あれは気まぐれだ。あのロバ耳女の思惑通りってのが、俺の中で気に食わなかったってだけのこと」


「それ、あの時の私と同じじゃん。私も気まぐれから君を助けて、君から恩を買った。君も信じてるんでしょ? 本当は、お金には人を救う力があるって」


 藍原の言葉は、久間の心に深く突き刺さった。過去のトラウマが頭の中で再生され、お金によって死んでいった母親のことが、鮮明に思い出されていく。


 裏を返せば、お金があれば母親のことを救うことができたのだ。そう、まるでお金は人を殺す凶器でありながらも、人を救う善の富である。それはある意味矛盾していて、妙に哲学的だった。


 久間も心のどこかで、それをわかっていたのかもしれない。だから、無意識に加村を救ってしまった。お金には人を救う力があると、久間自身が強く理解していたから。

 そしてそれは、まさに藍原の思想そのものだったのだ。


「俺にとって、昨日のトランザは特別だったんだよ。慣れてない素人に、目の前で人が破産する姿を見ろってか。お人好しじゃなくても、罪悪感から助けようとする人がいてもおかしくないだろ。それにあの人は一応、知り合いだったんだ」


「へぇ、初めての対戦相手が知り合いなんて、君も中々に持ってる男だね。ますます興味が湧いてきたよ」


「相手が見ず知らずの人間だったら、俺の選択もまた変わってただろうよ」


 久間はあくまでも己の罪悪感や、人間の持つ偽善が招いた結果だと言い張る。


「けどさ、私に助けられたことで心境に変化があったってことも考えられるでしょ? 君がもし、私の思想に感化されたのだとしたら、不良に襲われてた君を助けたことも無駄じゃなかった。それって、すごく素敵なことだも思わない? 私は正直……ちょっと嬉しかったかな」


 無邪気な、まるで朝を迎えた瞬間に花が割れ咲くような純粋な笑みを藍原は向けた。

 同時に久間の心臓が、音を立てて跳ねた。

 一瞬のうちに、心を奪われてしまうほどに魅力的な姿だった。


「ふふ、久間と私って似てるんだと思う。だって二人とも、お金で人を救えるなんて馬鹿みたいな思想を掲げてるんだもん」


「互いに、大金を捨ててまで誰かを助けたお人好しってか?」


「そういうこと。だから私たち、一緒に手を組もうよ。それとも、私じゃ不満?」


「不満ねぇ。たしかに、満足かと言われたら違うな。俺はお前の実力なんて知らない。今じゃなくても、後になって不満が生まれるってことはあるかもしれない」


「慎重だね。あと、情報はそれなりに持ってるつもりだよ。少なくとも君よりかは」


「いや、そりゃそうだろ。ていうか、俺と協力したところで何か変わるのか? 似てるって言っても、所詮まだ何も知らない新人だぞ」


「一応、進歩はあるよ。私の目的を達成するためには、頭数がいる。特に、君のようなお人好しがね」


「お前の……目的だと?」


「うん。やること自体はいたって単純だよ」

 藍原は絶対に誰にも聞かれることのないように、蚊の鳴くような声で、淡々とそのプランについて話し始めた。


「それ……本気か?」


 しばらく唖然としていた久間が、ゆっくりと口を開いた。


「本気だよ。一人じゃ無理でも、二人ならできるかもしれない。むしろ数が多いほど成功率は上がる」


 その瞳には、不安と自信の両方が渦巻いていた。


「そもそも協力って言うけどよぉ、実際どうやるんだ? トランザ中は他の資産家アセットホルダーの介入なんてできないだろうに」


「うわぁ、君って本当に何も知らないんだね。実は資産家アセットホルダーって、トランザ中に他の資産家アセットホルダーに融資することができるんだよ。融資した資産家アセットホルダーが勝利した場合、そのトランザでの利益から一割だけ報酬として受け取ることができるの。だから総資本がまだ少ない久間からしたら、断る理由なんてない美味しい話ってことになるんだけどなぁ」


「融資って、まるで資産家アセットホルダーというよりか起業家って感じだな。要するに総資本が少なくても、多額の融資を得ればより強力な投資を行えるってことか」


「そういうこと。ただし、融資はトランザ中に一度しかできないから注意してね。それと融資を得るには、まず先にトランザ中の資産家アセットホルダーが他の資産家アセットホルダーに融資をお願いしないといけないの。一度申請すれば、あとはずっと効果が継続する。一応、ステータス画面で操作できるから。ちなみに、額は融資する資産家アセットホルダーの総資本を超えてなければ自由だよ。もう一つの注意点としては、融資したお金は戻ってこないから、勝利時の利益より多く支払わないのがベストってことくらいかな」


「俺が知らないだけで、まだまだ細かいルールがたくさんあるんだな」


 久間は景気の悪いため息を吐いた。もはや怒りを通り越して呆れていたのだ。


「てことは、トランザが週に一回必ず行われるってことも聞いてないのかな?」


「え? ってことは、来週になったらまたあそこに行かないとってことか?」


「うん、そういうことになるかな」


「ちっ、どこまでもムカつくルールだぜ」


 久間は苛立ちげに舌を鳴らした。

 最悪、誰ともトランザを行わなければ、プラスのまま居座り続けるということも視野に入れていたからだ。しかし、それではこの区域のバランスが破綻してしまう。そのような上手い話は当然なかった。


「残念だったね」


「つうかそれって、あのロバ耳が勝手に対戦相手を決めてんのか?」


「完全ランダムってわけじゃないよ。一応、総資本のマージンが一番狭い資産家アセットホルダーと当たるシステムだから」


「なるほど。要するに、雑魚は雑魚同士で闘わされるわけか」


「そうそう、だから急に総資本が多い相手と対戦することはないんだ。でも、資産家アセットホルダーが自らトランザを行うなら話は別だよ。その時は対戦相手を自由に選べる。まあ、断ることもできちゃうけど」


「それ、強制力ないのに成り立つのか?」


「うーん、たしかにあんまり見ないかなー。実質、決闘みたいなもんだから。お互いに相手の資産アセットが欲しかったりしない限りは起こらないかも」


 久間は、その話を聞いて少し安心した。より稼ごうとする資産家アセットホルダーは、大きく分けて二種類いるだろうからだ。


 ギャンブル感覚で、自分より総資本の多い資産家アセットホルダー相手に大勝ちしようと挑む者と、まだ未熟な資産アセットホルダー家を相手に破産を狙って雑魚狩りをする者である。


 挑まれて断れないのであれば、後者の場合は破産者が続出してしまう。総資本のマージンが近い週一のトランザだけが強制なのが、なりよりの救いだった。


「じゃあ、これも知ってる? 資産アセットにつけられている名称は、実際の経済用語から取られてるってこととか」


「え? ど、どういうことだ?」


「例えば君が昨日戦っていた相手の資産アセットは、そのまま市場操作から取られてる。単純に何でもありってわけじゃないんだよ。資産アセットは経済回復において重要な意味がそのまま能力として扱われてるの。だから一応、経済の勉強をしておけばある程度資産アセットの能力を予測したりもできるし、存在しないであろう能力もわかるってわけ」


 全く気づいていなかった。改めて考えてみると、たしかに久間の持つ『外部取引ディーリング』も無関係ではない。明らかに名称や能力が意識されている。


「それで、私と協力してくれる気にはなったかな?」


「まあ、俺がお前に助けられたことは事実だからな。あの時、俺は資産家アセットホルダーでもなんでもなかった。お前がそれだけお人好しっことはよくわかった。むしろ俺の方から協力させてほしいって言いたくなるくらいだよ」


「ふふっ、嬉しいな。それじゃあ私たち、正式に仲間ってことでいいんだよね。他にも何か聞きたいことがあったら、何でも教えてあげるよ。あっ、でもその前に告白の返事とか聞きたいかなぁ。チラッ、チラッ!」


 わざと声に出しながら、何か期待したのような眼差しを向ける藍原。


 異性どころか、動物からも好意を持たれたことのない久間は、初々しく視線を逸らした。


 藍原は、冗談やお世辞抜きで普通に可愛らしい少女だ。そんな上玉からはっきり好きと言われて、恥ずかしくないわけがない。必死に平静を装ってはいるが、その心臓は激しくノックを繰り返していた。


「あっ! そういや俺、なんか資産アセットってやつを新しく手に入れてたみたいなんだが、トランザ以外で確認する方法ってあるのか?」


 久間は返事に困り、あえて話題を変える。


「あはっ、もしかして恥ずかしいの? まあ、そんなところも可愛くて、意外と私好みかな。新しい君の好き好きポイントが増えたから、返事はもう少し待ってあげる。えーっと、要は資産アセットの査定をしたいってことだよね。それなら一度、違法経済特区の方に行かないとダメかな」


 藍原は、久間の心理を完全に読み取っていた。しかし、逆に好感度の方が上がったらしい。


「査定って、たしかあのロバ耳も言ってたな。適当に返しちゃったけど」


「辛辣だね。たしかにあの子、相当な数の資産家アセットホルダーに嫌われてるから、あんまりその対応も不思議じゃないけど」


 大抵の場合、人を食ったような態度で接してくる相手を好きになるのは難しいだろう。特に久間同様、無理やり連れてこまれたような資産家アセットホルダーは、ミダスのことを内心恨んでいてもおかしくない。


「ならとりあえず査定に行ってみて、ついでに他の資産家アセットホルダーのトランザを見学して来よっか。あはっ! なんかデートみたいだね」


「いや、全然違うだろ」

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