拝金主義者編 第一話『メソッド』


「な、なんだよこれ」


 初の商業取引を終えた翌日、久間きゅうまは銀行に足を運んでいた。


 そして、自分の口座に振り込まれている異常な額の現金に、思わず目を剥いた。

 それは、久間が違法経済特区で手に入れた資本と同じ額だった。


 再び実感する。あれはやはり、現実の出来事なのだと。

 このお金に手をつけていいものなのか、久間は迷っていた。明らかに不当なお金である。それに、ミダスが久間に真実を全て話しているとは考えにくい。もしまだ何か裏があるのなら、迂闊に使ってしまうのは非常に危険だ。


 久間はお金の放つ異様な魅力と格闘しつつ、引き出すことを思い留まった。


 使うにしても、商業取引での間だけ。今はそう決めた。

 元々の給料から必要な金額だけを下ろした久間は、いつものように勤め先のコンビニへと向かった。


 加村かむらと顔を合わせることには、少し抵抗があった。向こうは記憶を失くしているとはいえ、そう簡単に割り切れることでもなかったからだ。


 事務所のドアを開けると、いつものようにパソコンの前で加村が座って待っていた。


「おはよう、久間くん」


「お……おはようございます……店長」


 普段と、何一つ変わらなかった。

 昨日のことが、まるで夢だったかのように感じてしまうほどに、加村はいつも通りだった。


 どうやら、本当に違法経済特区での記憶を失ってしまったらしい。

 久間と闘ったことも、久間に救われたことも、全て忘れてしまっていた。


「そういえば、君は大丈夫だった?」


「え……だ、大丈夫って何がですか⁉︎」


 久間は思わず体を凍りつかせた。顔が強張るのを必死でこらえ、極力平静を装った。

 その大丈夫という言葉の意味に、底知れない恐怖を感じたからだ。

 まさか、辛うじて記憶があるのだろうか。そんな疑念が、久間の中で渦巻いた。


「いや実は、浅野くんが逆恨みして、うちの従業員に暴力を振るったんだよ。どうやら、学校も退学になっちゃったみたいでね。逆に前より荒れちゃってるらしいんだ」


「なんだ……そのことですか……」


 久間は安堵すると同時に感じた。もし自分が負債を肩代わりしなかったら、この男はどうなっていたのだろうか。そんな最悪の未来を、嫌でも想像してしまう。


「君も気をつけてくれよ、うちの大事な戦力なんだからさ。怪我でもされたら大変だ」


「はは、そうですよね……」


 昨日、観葉植物を投げつけてきた人間の発言だと思うと、自然と苦い笑みがこぼれた。商業取引では損失の代わりに肉体はダメージを受けないことになっているが、それでも生身の人間相手に平気でできることではない。普通ならもっと躊躇う、それが人間だ。


 だが、加村にはそれがなかった。つまり、それだけ精神を侵食されていたのだ、商業取引によって。

 いつか自分もそうなるのではないかと、久間は少し怖かった。


「そういえば聞いてくれよ。なんだか僕、最近物忘れが激しくてね。昨日の夜、どこで何をしていたのか覚えてないんだ。仕事を終えて店を出たところまでは覚えてるんだが、気づいたら家で朝を迎えていてね。変な話だろ?」


「あー、そりゃたしかに奇妙ですねぇ。もしかして、店長昨日飲みすぎちゃったんじゃないですか?」


「うーん、覚えてないなぁ……」


「ほら、やっぱり泥酔してたんですよ。それで記憶ないんですって」


 久間は酔っていたんだと加村を誤魔化した。

 だが、違法経済特区についてのことを話せばこの男の記憶も戻るのではないかと、少し実験してみたい衝動にとらわれた。


 久間にとって、破産した人間のその後を見る機会というのは、ある意味興味深かった。

 どうにか違法経済特区についての情報手に入れられないだろうかと、久間は色々と考えていた。


 その一つが、この加村本人から聞き出すことである。記憶を消されていたとしても、それが回復しないとは限らないからだ。


 本当ならば、破産した資産家アセットホルダーは負債を違法経済特区に返済しなければならない。


 しかし、だとしたら少し妙だ。それで真面目に返済をする人間など、果たしているのだろうか。いつどこで負債を背負ったかもわからない、そんな意味不明なお金を。


 それに、例えその記憶があったとしても、素直に返済してくれる人間は多くないだろう。


 久間は違法経済特区というものに関してあまりにも無知だ。どこでもいい、誰でもいい、情報が欲しかった。


 その時だった。自身の視界をかすめた影に気づき、久間はハッ、と顔を上げた。

 その横顔に、たしかな見覚えがあったのだ。


「……あっ!」


 思わず声を上げ、久間は店の外へと飛び出した。

 ちょうど入り口のすぐ近くを、その人物が通り過ぎて行くところだった。


「ちょっと待ってくれ!」


 久間は考えるよりも先に呼び止めた。

その人物は久間の声に気づき、ゆっくりと振り返った。


「あ……本当に見つけちゃった……」


 目の前に佇む少女は、久間を一瞥して呟いた。


「けど、まさか君の方から声をかけてくれるとはね。少し意外だったな。私が探してたはずなのに」


「どうして……ここに?」


 忘れるわけがなかった。黄金色に輝く艶のある髪、二重でアーモンド型の瞳。その容姿こそ一度見たら記憶の底に深く焼き付いてしまうものだった。


 少女は、以前に久間が浅野とその仲間たちから路地裏でリンチされかけた時、札束をばら撒いて助けてくれた人物だった。


 あの時のことを、久間はまだ鮮明に覚えている。いや、そもそも忘れられるわけがなかった。それほどまでに、あれは刺激的な出来事だったのだから。


「君に会いに来たんだよ。でも何の情報もなかったから、前に会った場所の付近をとりあえず探索してたってわけ。ただ、こんなに早く出会えるとは、さすがに思わなかったかな」


「お、俺に会いに来ただと? お前、いったい何者なんだよ……」


「ふふ……その質問、二度目だよ? うーん……今はそうだなー、君と同じ立場にいる人間って言った方がわかりやすいかな?」


「いや、わかりにくいだろ……」


「まあいいや、君の勤務時間が終わるまで待っててあげるから、話はその後でいいよ。ほら、さすがにお店を放ったらかしにするのはまずいでしょ」


 その言葉を信じたわけではなかったが、久間は渋々仕事に戻った。

 しかし例の少女が気がかりで、仕事にはあまり身が入らなかった。


 

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