拝金主義者編 第九話『コンセンサス』

 和泉いずみが目を覚ますと、見覚えのない天井が目にとまった。


 すぐに、自分がトランザ中に気を失ったということを思い出し、体を起こした。

 視界を一周させると、隣で久間きゅうまが退屈そうに立っていた。


「よぉ、やっと起きたのか……どうやら、もうとっくにトランザは終了しちまってたみたいだぜ?」


「な、なんだと⁉︎」


 和泉は激昂して立ち上がる。だがその瞬間、頭がガクンと揺れ、思わずふらついてしまう。


「やめとけ、急に立ち上がるのはオススメしないぞ」


「……く、くそ! まさかあんな卑怯な手にやられるとは」


「いやいや、それお前が言うことか?」


 久間は呆れて肩をすくめた。


「うるせぇ! あんな勝ち方、誰が認めるかよ! もう一度だっ! 次は絶対てめぇに勝つ!」


 和泉の怒りは頂点に達していた。今にも久間に殴りかかる勢いだ。


「きゅーまー!」


 その時だった。ビルの入り口から、残像を見せるほどのスピードで、少女が久間の胸に飛び込んできたのだ。


「え? あ……藍原あいはら?」


 第三者の介入を禁じているはずのトランザ内に何故か藍原が侵入できたことを、久間は目を剥いて驚いていた。


「な、なんで? どうやって……このビルに……」


「わかんないよ! とにかく私、久間のことが心配で心配で! ミダスに頼んで対戦会場になってるオフィスビルの前まで連れてきてもらったの。でも本当に良かった、久間が無事で……」


「あのロバ耳が?」


 意外に感じた久間は、頭の上に疑問符を浮かべる。

 藍原は質問に答えず、久間が無事だったことにひたすら安堵していた。僅かに涙が込められた顔を、久間の胸にすり寄せる。


「まったく……非常に面倒でしたよ」


 突如、何もないロビーの真ん中にミダスが出現し、話に割って入ってきた。


「なっ! てめぇはロバ耳!」


 和泉がミダスに鋭い眼光を飛ばした。


「そんな睨まないでくださいよ。トランザが終わってもずーっと寝てるんですもん、さすがに迷惑ですって。このビルの被害も大きいんですから、すぐに立ち退いていただかないと」


「それでわざわざ起こしに来たってことか?」


「はい、そういうことです。あと、私個人の興味ということもあります。初めて二日の資産家アセットホルダーが第一位を破ったのですから、気にもなりますよ。それに、何やら賭けもなさっていたようなので」


 ミダスは口許を緩め、半目で和泉を軽く一瞥した。


 すると、ばつが悪そうに和泉が目を逸らした。


「加えて藍原様です。久間様のことで何かとしつこく私を振り回してきて、こっちは大変だったんですからね。わがままな彼女の面倒を見てあげたこと、感謝してほしいですよ」


 ミダスは肩をすくめながら、疲労感に満ちた表情をわざとらしく浮かべた。


「そ、そうだったのか」


「だって、金の暴君を相手に久間が勝てるなんて思わなかったから。私、最悪の場合は自分の資本を使って久間のことを助けようと」


「ああ、なるほどね。普通に考えて、たしかにありえねぇよな。俺が第一位に勝つなんてよ」


「ほんとだよ! めちゃくちゃ心配したんだからね! あんまり人に言ったことないけど、今は無性に言いたいよ。久間のバカ!」


 藍原は顔を紅潮させ、軽く久間の胸元を拳で叩いた。


「はは、人からこんなに気持ちよくバカって言われたの、初めてかもな」


 久間はやれやれといった表情で、藍原の背中をさすった。


「本当にびっくりしたけど、呆れるくらい馬鹿だって思ったけど、ちょっと嬉しかった。あれってさ、やっぱり私のため?」


 急にしおらしくなりながら、柔らかい笑みを浮かべる藍原。


「半分は……そうかな。ただ、耐えられなかったんだよ。まるで、鏡を見てるようでさ」


「あーあ、そこは嘘でも全部私のためって言って欲しかったなぁ……ふふ、久間のけち」


 その顔は卑怯だろうと、久間は無意識に目を晒す。視線を合わせていたら、彼女の魅力に落ちてしまいそうだった。


「本当にありがとね、久間」


 今まで、面と向かって誰かに感謝されたこともない久間は、素直にありがとうと言われるのに慣れていなかった。思わず、頬の筋肉が緩む。


「ちっ、イチャイチャしやがって。勝者はいいよなぁ、勝利の美酒に酔いしれてよ」


「俺はまだ未成年だっての」


「ふふ、この区域じゃ法律そのものは機能してませんけどね」


「そうだ。ちょうどお前に確認しておきたいことがあったんだが、今いいか?」


「へ……私ですか? まあ、いいですけど。いったいなんでしょう?」


「ああ。この区域とベネについて、聞きそびれたことがあった」


「ほほぉ……なるほど。でしたら喜んで。何でも質問なさってください」


 ミダスはニコッと微笑んだ。久間に対して妙に関心があるらしい。


「例えばの話だが、ベネの価値がゼロになった場合、この区域はどうなるんだ?」


「変わった質問ですね。もちろん、この区域は永遠に閉鎖されます。ベネの価値がなくなってしまえば、経済回復のためのマネーゲームが行えなくなってしまいますからね」


「へぇ、なるほどな。それだけ聞ければ満足だよ。これで計画を実行に移せる」


「……計画?」


 ミダスが首をひねった。


「ああ。この違法経済特区を終わらせるっていう、壮大な計画だよ」


 その瞬間、ミダスの表情が強張る。同時に、和泉は目を見開いた。


「おいデカブツ。たしか、負けた方は何でも一つ言うことを聞くんだったよな?」


「え? あ、ああ……そうだが」


「だったら俺たちの計画に付き合え、お前は使える。それに、なんだかんだ似た者同士だからな。きっと理解できるさ」


「クハッ! バカかてめぇ、んな約束を俺が守ると思ってんのか?」


「もちろん、守るさ。お前はそういう男だ。嫌いな奴に貸しを作ったりしない。そうだろ?」


 久間がしたり顔で訊き返すと、和泉は苛立ちげに舌を鳴らした。真意を見抜かれていたことが、少々気に障ったらしい。


「ロバ耳、今のうちに何か対策でも考えておくことをオススメする。もうすぐ、この違法経済特区は永遠に閉鎖される。お前のその澄ました顔がもう見れなくなると思うと残念でならないがなぁ」


「へぇ、面白いことを言いますね。楽しみに待ってますよ。久間様」


 ミダスは平静を装ってはいたが、内心では久間に対する怒りと恐怖が、彼女の中で膨れ上がっていた。


 だが、それは久間も同じだった。威勢良く宣戦布告はしたものの、不安と恐れがどうやっても消えなかった。


 それでも、久間は決心していた。必ず、成し遂げてみせると。

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